第14話 夜の訪問者
真由ちゃんが作ってくれた夕食を一気にたいらげ、デザートの桃をいただいてから一息ついた。味もボリュームにも大満足な夕食だった。それでいて、明日の火曜日は休みという至れり尽くせりの状況である。
「ごちそうさま。すごく美味しかったよ、ありがとう」
「いえいえ、こちらこそお世話になっていますから」
真由ちゃんは、ペコリと丁寧に頭を下げた。あれだけボリュームの食事を作るのは大変だったと思うのだが、謙虚な子である。
「そうそう、明日なんだけどね、実は休みをもらったんだ」
「何かされるんですか? それなら、わたしは……」
邪魔にならないようにどこかに出かけてきます、と言いそうな真由ちゃんに俺は慌てて口を開いた。
「予定があるとかじゃなくて、単に休日出勤したから休みをとるように勧められただけなんだ」
「良かったじゃないですか。日曜日に働いたわけですから、明日はゆっくりと……」
「それなんだけど、真由ちゃんは何か用事とか予定はある?」
「ふえ、わ、わたしですか。い、いえ、お勉強するぐらいで、必ずしなくてはならないようなことはないです。……すみません、実家の方もまだはっきりしなくて」
自分の予定を聞かれると思っていなかったのか、真由ちゃんは落ち着きなく周囲をに目をやった後、空のお皿に目を落とした。ううむ、何か変なことを聞いてしまっただろうか。
「それじゃさ、真由ちゃんの部屋のエアコンをもう一度ちゃんと調べてみようと思うんだ。この間は……色々あってそんなに詳しく見られなかったからさ。マニュアルとかを見せてもらえたら有り難いかなって」
「はい、探してみます。……というか、わたしが自分でやらなくちゃいけなかったですよね。す、すみません」
「いや、謝らなくていいよ。真由ちゃんが倒れたのはほんの数日前の話だし、気づかなくても仕方がないよ。ただ、俺も機械に詳しいわけじゃないから、あんまり期待しないでね。うまくいけば、この状況も解決できるわけだし……」
解決できる、と自分で口にしながら何か引っかかるものがあった。隣室のエアコンが無事に稼働さえすれば、元の生活に戻るのである。だが、そのことに名残惜しさを感じている自分に気づいて驚いてしまった。
いかん、今の生活は新鮮で楽しい事も多いが、これはあくまで緊急避難というか人道上のやむを得ない措置なのである。
正当な理由もないのに、社会人が女子高生と同居するなどもってのほかだ。
あれこれ考え込んでいるのを不審に思ったのか、真由ちゃんがじっと俺を見つめていた。
「どうしたの? ちょっとエアコンの修理について考えてたんだけど」
「あっ、そ、そうだったんですか。……いえ、な、何でもないですよ」
俺が視線を向けると、真由ちゃんは恥ずかしそうに目をそらした。あんまり見たら悪いと思って目線をはずすと、彼女が遠慮がちに俺の方を見てくる。
「うん?」
「あの、その……」
何か言いたいことでもあるのだろうか。妙な雰囲気である。
しばらく沈黙が続いたところで、不意にそれが破られた。玄関のインターホンが鳴ったのである。
6畳間に、さっと緊張が走った。時刻は夜で、誰かが訪問してくるような予定はないはずである。
俺は、指で口元にバツマークを作ってみせた。声を出さないで、という意味のジェスチャーである。真由ちゃんは、真面目な表情でコクコクとうなずいた。
俺は立ち上がると、無意識に足音を忍ばせて玄関へ向かった。一体誰なのだろう。新型コロナウイルスの影響で、友人や知人であっても訪ねてくることはそうそうないはずだ。
まさか、警察という想像が頭をよぎった。部屋に真由ちゃんが出入りしているのを見た誰かが、通報したとか。俺にやましいところはないが、誤解されそうなシチュエーションではある。いやいや、誰にも見られていないはずだし、見られたとしても隣部屋の住人同士の交流の範疇でおさまるはずだ。
あれこれ考えながら、玄関のドアスコープをそっとのぞきこむ。大事にはならないだろう、と心で言い聞かせても緊張は走る。
スコープを通して、制服っぽい服装の男性の姿が見えた。
大手の宅配会社の配達員らしかった。
「はーい。今、開けます」
俺は、安堵すると同時に慌ててドアを開けたのだった。
荷物を受け取ってから、俺はため息をついた。なんのことはない、俺が休日出勤した日曜日に注文した商品が届いただけだった。もともとは、真由ちゃんにこの部屋で休んでもらうための理由付けとしてのものだったのだが、すっかり忘れてしまっていたのだ。
自分のうかつさにあきれながら6畳間に戻ったが、そこにはがらんとした空間が広がっているだけだった。さきほどまで一緒に居たはずの真由ちゃんの姿が見えない。ちゃぶ台の上に二人分の食器だけが寂しく放置されている。しばし考えたあと、俺はベランダの戸を開けた。多分、彼女は気を利かして身を隠してくれているだろう。
「真由ちゃん?」
「……はい、もう大丈夫ですか」
背後から小さな声が聞こえたので、驚いてしまった。振り向くと、押入れがガタガタと揺れて真由ちゃんが猫のように這い出してくる。
「ああ、問題ないよ。……そ、そんなところに隠れてたんだ」
「はい、遠山さんの社会的地位を守るためですから。わたしのぶんの食器を片付ける時間はなかったですけれど、なんとかなるかなって」
真由ちゃんは、きゅっとこぶしを握ってから、押入れの戸を丁寧に閉めた。どこかコミカルな動作ではあったが、彼女は俺のことを考えてくれていたのだろう。場合によっては、俺の名誉が失われていたわけだし。
「機転が利くんだねえ。……ありがとう」
「いえいえ、とってもお世話になってますから。そうだ、押入れのスペースをもう少し空けてすぐに隠れられるようにしましょうか」
「うーん、それはそれで誤解を招くような気がしないでも……」
押入れに女子高生を隠している会社員、というフレーズは事件の予感しかしない。いっそのこと、変に隠さず堂々としていればどうだろう。エアコンをめぐって隣部屋同士で助け合い、お礼に夕食を御馳走になっているとか。
いや、真由ちゃんがこの部屋に泊まっていることが問題なのだ。別々の場所で寝ているとはいえ、周囲がそれを理解してくれるとは限らない。しかも、自分のことばかり気になっていたが彼女にだって迷惑がかかるだろう。
「……あのう、どうされたのですか? その箱、要冷凍ってシールが貼ってありますけれど大丈夫ですか」
「あっ、ごめん。ぼんやりしてた。さっき来たのは配達の人で、昨日届くかもしれないって真由ちゃんに留守番してもらったものだよ」
「ああ、配達の人だったのですね。良かった……ちょっとドキドキしました」
「実は俺もちょっと焦ってたんだ。ふう、冷たいものでも食べてリラックスしようか。この荷物、衝動買いしちゃったアイスなんだ。果肉たっぷりオレンジアイスっていう宣伝に、つい指が伸びちゃったんだ」
「オレンジアイスですか、食べたい……ではなくて、いいのですか? せっかく買ったものを」
真由ちゃんはアイスのパッケージに目を輝かせたがすぐに、表情を引き締めた。なかなか面白い子である。礼儀正しいが、ちょっと気をつかいすぎかもしれない。
「こういうのは一人で食べるより、誰かと食べた方が美味しいんだよ。ほら、一緒に食べよう」
「あっ、はい。……あっ、スプーンを用意しますね」
手を伸ばしかけた真由ちゃんは、いったん引っ込めると台所へと向かった。彼女は甘いものに目がないのだろうか。もしかして、さっき何か言いたそうにしていたのは昨日買ったプリンの残りのことかもしれない。
それにしても、いつの間にかスプーンとか食器の場所も把握されてしまっているようだ。なかなか楽しい感覚である。
アイスを口に運んだ真由ちゃんは「美味しい」「幸せ」という単語を連呼した。このぐらいで喜んでくれるのなら、いくらでも注文するのにな、と思った。だが、口に出すのは恥ずかしい気がしたので、俺は彼女の笑顔を眺めながらアイスを堪能したのだった。