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なにを思ったのか、リクオルは金色の粉を持って店の外に出ていった。
「それ、どうするつもり?」
「うん。ちょっとね?
看板に装飾でもつけようかな、って。」
そのときは、軽い気持ちで、なるほど、って思った。
看板がキラキラしてんのも綺麗かもしれない。
リクオルは絵を描くのが好きだし、気晴らしにでもなるならいいか。
しばらくして戻ってきたリクオルは、両手についた粉をパンパンって払いながら、大仕事をしてきた人のように、額から出てもいない汗をぬぐった。
「久々に大作を仕上げてきたよ?」
それは見にきてほしい、アピールかな?
しかし、こちらも今佳境で、手を離すわけにはいかない。
「そかそか。
じゃ、これ済んだら、見に行くよ。」
適当な返事をして、で、適当ゆえに、そのまま忘れた。
翌朝。
店を開けようとして、わたしは小さな生き物が戸の前にちょこんと座っているのに気付いた。
あれは・・・山ネズミ?
目と目が合った瞬間、ネズミがにこっと笑った、ように見えた。
え?今このネズミ、笑った?
「こんにちは。」
「げっ、ネ、ネズミがしゃべった?」
この世界、妖精さんがいて、魔法もあるけど、しゃべるケモノはいない。エルフ、ドワーフ、ホビットの異種族はいるけど、言葉の通じる種族は、一応、みんな人型をしている。
山ネズミは黒目がちの目をくりくりさせて、えへへ、と笑った。
「ここって、どんなお願いでも聞いてくれるって、ホント?」
「え?ああ・・・まあ・・・可能な限りは・・・」
山ネズミはいったいどんな香水がほしいんだろう。
そもそも、香水なんて使うのか?
いやしかし、この山ネズミ、人語を解するみたいだし、もしかしたら、香水も使うかも。
「いったい何をご要望ですか?」
「あのね?ボク、お家に帰りたいの。」
は?
「いえ、あの、うちの香水は家に帰る手助けにはなるかどうか・・・」
「どうして?
なんでも願い事を叶えますって、あそこに書いてあるのにぃ。」
ネズミはうちの看板を指さして言った。
「え?そんなこと、書いてあるかな?」
「ちゃんと魔法の粉で書いてあるよ?」
魔法の粉、というのでぴんときた。
もしかして、それって、リクオルの金色の粉で書いてあるってことか。
確かに、目の前のこのネズミは普通のネズミじゃなさそうだし。
わたしの目にはそんな文字は見えないんだけど、見えるモノもいるのかもしれない。
しかし、リクオルを暇にしておくとホント、ろくなことをしない。
うじゅじゅ。目にいっぱい涙をためて抗議するネズミに、なんだかこういう顔には見覚えがあるなあとため息が出そうになる。
「ジェルバちゃん、どうしたの?ん?」
ちょうどそこへリクオルが出てきた。
リクオルはちょこんと座っている山ネズミをまじまじと見てから、にこっと笑いかけた。
「これはこれは、いらっしゃいませ。
お客さんかな?」
「うん。ボク、お家に帰りたいの。」
山ネズミさんの要望はぶれない。
「いや、あの、うちは香水屋なので・・・」
匂いを嗅いだら一瞬で家に帰れる香水、なんて、いくら妖精さんの魔法付でもあり得ませんて。
しかし、それをどうやって説明したものか。
「そういうのは、あの・・・」
言いかけてから考える。
う、ん?どこに言えばいいんだろ?
迷子の仔ネズミちゃんなんて、自警団の小屋に連れて行っても困らせるだけだろうし。
「なんとかしてあげようよ、ジェルバちゃん。」
わたしがちょっと悩んでいた隙に、仔ネズミから事情を聞いたらしいリクオルが、ネズミと同じ顔をしてこっちを振り向いた。
「かわいそうじゃないか。」
「いや、あのね?
うちはただの香水屋なんだから・・・」
説得しようと試みるも、うじゅじゅ、と涙をいっぱいに溜めた黒目勝ちの二組の瞳に見詰められると、その次の言葉が出てこない。
「だーーーっ、もうっ、分かったっ。」
たまりかねてそう言えば、二組の瞳は揃って嬉しそうにきらきら輝いた。