なにごともなき一日
ヤン(ジャン)・シベリウスは帝政ロシア時代のフィンランドに生まれ、ヨーロッパで活躍した作曲家です。65歳で交響曲7番を作曲して以降は、40歳の頃にヘルシンキ郊外のトゥースラ湖の辺りに建てた妻の名前を付けた住宅に隠遁生活をして30年ほどをすごして亡くなっています。晩年は、ほとんど音楽のことを語ることはなかったようです。
才能が枯渇したと評されることもありますが、シベリウス贔屓としては、音楽が必要なくなったのではないかと思っています。満たされてしまえば、なにも生み出す必要はありません。そういうしあわせな晩年をすごされたと考えると、ちょっと嬉しくなります。
さて、シベリウスの交響曲6番は、フィンランドの民族音楽の影響が色濃い3番までとは異なり、深く澄んでいます。シベリウスに限らず、一番、好きな交響曲です。
聴いていると、見たこともない冬の森林の景色と生き物たちの営みが見えてくるような気がします。ただ、人はいません。そこには、人間の営みは、きっぱりと切り捨てられています。その潔さが、この曲が好きな理由だと思っています。
以上は例によって、すべて、私の個人的な思い込みです。
なにごともなき一日が なにごともなく始まれば
目覚めぬままに着替えして 未明の時を、犬を連れ
歩けば、東 海の端 雲は茜に染まりゆく
なにごともなき一日の なにも起こらぬのどかさに
ヒーターを入れ、カーテンを 開き、陽の差す窓際に
座りて、熱いお茶を飲み 白い息をば、ふうと吐く
なにごともなき一日に なにをかなさん、営みは
布団を干して、暖かき そのぬくもりに、亡き祖母の
干した布団と縁側の 匂いを、いつか偲ばせる
なにごともなき一日は オーディオ機器に火を灯し
人の住まわぬ天然を 描く6番、シベリウス
聴けば、いつしか、我もまた 冬の森をば、風となる
なにごともなき一日の 夕餉を煮つつ、書を読めば
母の形見の色褪せた 古き詩集に挟まれた
栞が示す恋愛詩の ふと、しみじみと胸を打つ
なにごともなき一日は なにごともなく暮れゆきて
星を望めば、鮮やかに 星座、数多に灯りゆき
数えるきみの遥かなる 声の、しじまをこぼれくる