5. 荒れ果てた街で
自分が“ジェイ”を最終的に脱獄させてしまったのだ。彼は狡猾だった。壁を破壊し、共犯者に兵士の恰好をさせて見張りの兵を気絶させ、自力では解除できなかった術だけは誰かが解くのを待った。おそらく、サナが様子を確認しに壁の大穴を潜り抜けた時にはまだ牢獄のどこかに潜んでいたんだろう。そして、サナが最奥へ進んでいったところで悠々と外に出た―。
よく考えると、あの兵士はサナが牢の識別札を確認した時、背後にいたのだ。しかも塔はかなり薄暗かった。それなのに“ジェイ”が脱獄したとすぐ口にした。サナでさえ初めてあの場所に“ジェイ”が閉じ込められていたと知ったというのに。
ゲルプは事の次第を聞き終わると、兵士の特徴を訊ねた。しかし、サナは首を振るしかなかった。何の特徴も思い出せなかった。いや、兵士が特徴らしい何かを全く見せなかったのだ。どこにでもいるようで、どこにもいない存在として後ろについてきていたことを改めて考え、サナは身震いした。
「あたしの判断が遅かったんだよ、サナのせいじゃない。それに、奴の脱走は完全に想定外だった」
アーラが歯噛みした。ゲルプは軽く首を振ると、サナに向き直った。
「いいか、サナ。まずは街の人々を助け、その後、奴を追う任務に移れ。懲戒はあとだ」
「……はい」
サナは膝をついて頭を下げ、走り出した。
街は惨憺たる有様だった。騎士たちが方々を走り回っては号令を出し、建物の下敷きになった人の救出作業や消火作業にあたっていた。道端に怪我を負った人々がうずくまったり、泣いたりしているのを見るたびにサナは胸の痛みを感じた。
すぐに手伝いに向かおうとしたが、元々店や家屋でごった返していた商売の街だ。瓦礫や崩れかけた建物のせいで道はさらに塞がっており、フォトゥルクが通るには狭すぎた。
サナはシークを見上げて頬のあたりを両手で挟み、「ごめんね、小さくなってもらえる?」と呼び掛けた。元の大きさで飛んだり走ったりするのが好きな獣はやや不満げに鼻を鳴らしたが、親愛なるご主人にどこかに預けられ、繋がれてしまう方が嫌だったので大人しく従うことにした。それに、綺麗なものや小さなものを愛でるシークは、ご主人のしもべであることを気に入っていたのだ。
首をふるふる振ってゆっくり小さくなっていき、手のひらサイズにまで縮んだシークをサナはすくい上げると肩に乗せた。シークは鎧の繋ぎ目に爪を引っかけて体を丸め、『これもまぁ悪くない』と言わんばかりに瞼を閉じた。
人々の救出や片付けを手伝っているうちに日が傾き始めた。サナはさすがに疲労を感じ始めていた。日頃の訓練で鍛えているとはいえ、今日はあまりに多くのことが起こりすぎている。
「サナ!」
振り返ると、兜を脱いで軽装のアーラがこちらに歩いてきたところだった。近衛兵団を統率する女副団長は、ただ歩いているだけでも目立つ姿をしている。
「疲れてないか?」
「大丈夫です。副団長こそ」
「正式なとき以外は、アーラでいいって言ったろ?」
にっと笑うと、アーラは橙色の短髪をくしゃくしゃっとかき回した。そうしながら、ありとあらゆる物が散乱した街の通りを見回す。
「ひどい有様だな。片づけ終わるにはまだ当分かかりそうだ。私は一度家に戻る。サナもいったん部屋で休んできたらどうだ?」
「私は日没までもう少し」
「いや、言い方が悪かった。休め」
アーラはサナの肩に手を置いた。それだけでサナの足は軽く揺らいだ。
「ほら見ろ。なんせ顔色が悪い。どう見たって大丈夫じゃないぞ。無理をしないでよく休息をとって、体調を整えるのも兵士としてのつとめだ」
アーラには敵わない。何せ、早くに母親を亡くしたサナの母代わり、姉代わりとして幼い頃から面倒を見てもらっていた存在だ。サナの性格や無理をする癖はよく知っている。
「わかった。ありがとう、アーラ」
「気をつけてな」
別れ際にアーラはぎゅっとサナを抱きしめた。豊満な胸に圧迫されて、サナはあやうく窒息しそうになった。