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最高傑作についての持論

 最高傑作という言葉がある。


「○○史上最高傑作!」などという風にその人間の生の中で一番素晴らしい作品という意味で使われているこの言葉に、僕は一つ思う所がある。いやいや言葉の響きが強く、素晴らしいものに使いたくなる。とってもその気持ちはわかる。もちろん意味的にもそう意味の言葉だ。


 しかし、言葉の意味を歪曲し、最高傑作を自分の中に複数作るような日本語情弱な輩が今の時代には蔓延っている。なぜそんなことが起こってしまうのか。答えは簡単で、人間の意思は他人に扇動されやすいからだ。一人のリーダーと二人の取り巻きがいればすぐにそいつらに乗せられてしまう。他人の評論ばかり気にして、他人の良しといったものを自分の良しと考えているものよりも優先してしまう。


 人間の精神を16歳の学生が憂うというのもなんとも滑稽に映るが、仕方がない事だ。僕は今人間を憂いているが、人間の事を心配するような若者がいるこの世界のほうを憂うべきなのかもしれない。いや、いつの時代だって若者が国を思うことはあった。明治維新だって、国を案じた若者の思想から開始した。もちろん一人の思想だけでなく、木戸孝允や西郷隆盛、大久保利通などの様々な才能が絡み合った結果絞り出された結晶だ。


 閑話休題。


 当たり前のことだが最高傑作は個人に一つ、どんな人間にでも必ずあるのだ。


 そして最高傑作があるなら、最高拙作があっても良いんじゃないか、と僕は考える。一番出来が良いものがあるなら、一番出来が悪いものがあっても良いんじゃないのだろうか。いやそうであるべきなのだ。たとえ絶えず進化し、常に最高を更新する人ような人間が存在したとしても、初めて作った作品が一番の駄作。最高拙作なのではないのだろうか。


 そしてこの話はこの世界を創造した神、人間を作った神の最高が交わる話。最高傑作と最高拙作の人間がもしかかわったのなら。それが実現した物語。とても近くで、それでいて遠い存在を見続けてきた傍観者の物語。






 忘れていたが一つ注釈しておこう。


 僕は何かの宗教を信仰しているわけではないので神がいるかどうかなんて全くもってどうでもいい。神なんて当たり前のように裏切って、都合よく信じるのが一番だ。

初めまして、鳥知散兎と申します。

100%趣味で書いた話です。

これが初めての投稿になるのでお手柔らかにお願いします。

批評とかも待ってるよ。

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