ミツケ鳥
「ザンナさん、ザンナさん。面白い情報欲しくないですかい?」
「は?」
ニヤニヤしながら話しかけてきたのは下女のロット。彼女も魔獣の一種で病を喰べる。森を病から守るのが彼女の役目。だが、買物やら情報収集やらで屋敷を留守にすることが多い。
そして彼女もまた、アイストに拾われた子。
「ザンナさんが不機嫌になる情報。手に入れちゃったんですよー。まあ、すぐ知ると思いますけど。一足先に知りたくないですかい?」
ひどく楽しげに。彼女が敬語を使う時は大抵ろくなことがない。
ザンナは顔をしかめた。
畑仕事をしていた手を止めて、汗を拭って、しかし気になるそれを問わずにはいられない。
「僕が不機嫌になること?」
「不機嫌になること」
「相当?」
「相当」
「どういった方面?」
「んー。長期的に悩む方向」
「…なに?」
「えへへっ。実はねぇ、」
「マイスウィートエンジェルたちぃぃいいいいいいいいいいい!!!!」
「あーあ、転送使われたかぁ」
ロットが喋ろうとした瞬間、アイストの声が屋敷中に響いた。
嫌な予感がする。このテンションはアイストがロットを連れてきた時と全く同じ。子どもが増えることは別に嫌ではない。けれど、何かが僕の本能に訴えている。
「おお!マイスウィートエンジェルたちはここにいたんだね!」
屋敷の影から体を覗かせたアイストがザンナたちを見てパッと顔を輝かせた。
まだ心の準備ができていない、のに。
アイストが待ってくれるはずもなく、屋敷の影にいた“ソレ”を僕らの前に出した。
「鳥に攫われていた所を助けたんだ!今日から私たちの弟になる。嬉しいだろう?」
「…どうも」
そこにいたのは人間だった。
気力のなさそうな顔をして、小柄な、その目に何も映していない少年。
体が震えた。
何で人間なんか連れてきたんだと怒りさえ沸き起こった。
「アイスト?何かあったの?」
ヒョコッと顔を出したリナが、すぐさまその人間に気づく。アイストがズイッとその少年を彼女の前に出した。
「今日から私たちの弟になる子だ」
「…どうも」
ザンナたちにしたのと同じように言う少年。
リナは少しの間の後、パァっと花が咲くように笑った。それから少年の手を取って嬉しそうに言った。
「私はリナ!これからよろしくね!…えっと、」
「ミツケ鳥。名前はミツケ鳥にしよう」
アイストの提案を少年が拒む様子はない。
リナがもう一度フワリと微笑んで言う。
「よろしくね、ミツケ鳥」
リナの瞳が、リナの笑顔が。
憎い人間に向けられている。いや、その人間が僕を見下したわけではないけど。それでも。
ギリッと奥歯を噛んで服の裾を握りしめるザンナ。
なんだろうね、この気持ちは。
「皆はもう自己紹介したの?」
あんなに嬉しそうなリナを泣かせてはいけないだろうから。
「まだしてないんだよね。改めまして、私はロット。この子はザンナ。よろしくね?」
そう言って肩を組んだロットがボソリと言う。
“憎い気持ち分からなくはないよ”
ロットも過去に人間から酷い仕打ちを受けたのか。彼女が話したがらないから聞いたことはないけれど。
“でもあの子は関係ないからさ”
ザンナの理性を引き出すその言葉に、ザンナは吐き出すように答えた。
“わかってる”
少し呆れたような息が耳を掠めた後、ロットの体が離れた。
ミツケ鳥の方を見ればリナが楽しそうに自分たちのことについて話していた。アイストはこうで、ロットがあれで、ザンナがどうで。
不意にリナの肩越しにミツケ鳥と目が合った。彼の口が小さく動く。
“ごめんなさい”
ザンナの敵意を感じたのだろうか。
ザンナは何も返さず、背を向けた。
ミツケ鳥は絵が上手かった。
リナはミツケ鳥を連れて屋敷を離れることが多くなった。
ミツケ鳥は歌が上手かった。
リナとミツケ鳥が楽しげに歌う声が毎日のように聞こえた。
ミツケ鳥は心を読むのが上手かった。
リナが寂しがる日、決まって彼女の横にいたのはミツケ鳥だった。
ザンナは拾われた恩を返そうと料理人の役目をかって出た。
おそらくロットも恩を返そうと下女になった。
これは義務ではない。
けれど、毎日リナと遊び呆けるミツケ鳥にザンナは負の感情を無視することはできなかった。
でも、リナはミツケ鳥と遊んで楽しそう。
だから、嫌な気持ちにならないように。
見ないように、聞かないように。
ザンナは以前よりもっと、リナを避けるようになった。
ミツケ鳥が来てから1ヶ月が経った頃。
台所で昼食の片付けをするザンナの元にリナが遠慮がちに顔を出した。
「ザンナ…?」
愛しい人の声。名前を呼ばれたのはいつ以来か。
振り向けばリナが恐る恐るといった様子でこちらを見つめている。
何で急に、そんな驚きと戸惑い。
それと、話しかけられた、そんな堪らない嬉しさに心に花が満ちたような心地がした。
「…なに?」
やっとのことで言葉を絞り出すと、途端にリナが花が咲くように笑った。ザンナの元に走り寄ってニコリと微笑む。
「クッキーが作りたいの。一緒に作ろ?」
まともな会話をしたのが久しぶりすぎて、気恥ずかしさのような、顔中に熱がこもって熱い。
気を緩めれば口角が上がってしまいそうで、グッとそれを抑えて視線を逸らす。
「…べつにいいけど」
パァっと心底嬉しそうに微笑むリナが視界の片隅に入って、ザンナは誤魔化すように頭をかいた。
小麦粉、卵、砂糖、バター。
ボウルと泡立て器を2つずつ。
台所に仲良く並んで。
「何で、急に…」
「ん?」
「クッキー…とか、」
「だってそろそろでしょ?」
「そろそろ…?」
「ザンナが初めてこの家に来た日」
浮き立つ心を混ぜて。
「…まだ覚えてたんだ」
「覚えてるよ。毎年クッキー作るでしょ?それに特別な日だから」
ほんの少しの甘い気持ちを加えて。
「何でクッキーか覚えてる?」
「…忘れた」
「そうだよね。だいぶ昔のことだし」
嘘。覚えてる。
“喜びを運ぶ”
クチナシの花が入ったクッキーは幼い僕の荒んだ心を癒してくれた。
「…ねぇ、ザンナ」
「…ねぇ、リナ」
「あ…」
合わさった声に目を大きくする2人。
見つめ合う間。
リナは口元に手を当てると小さく笑った。優しく優しく目尻を下げて。
ザンナは耳を赤く染めた。フィッと視線を横にずらす。
「なぁに?ザンナ」
「なんでもない」
「じゃあ私から」
「どーぞ」
素っ気ない態度もこうなってしまうと可愛らしい。
リナは手元に視線を戻してゆったりと言った。
「庭にね、可愛いゼラニウムが咲いてたの。クッキーに入れてもいい?」
ゼラニウム。“君ありて幸福”
そんな花言葉を気にしているのは僕だけだろうけど。
「…いいんじゃない」
リナがそれを故意なく選んだとしても、僕はこんなに満たされている。
それだけでいい。
僕に向けられなくても僕が君に向ける無言の愛。
混ぜ終えた生地を軽く伸ばして、用意していた型抜きで丸くくり抜いていく。
その上にすでに乾燥させた赤いゼラニウムを乗せて、オーブンに入れる。
クッキーが焼きあがるまでは紅茶を飲んで他愛のない話をして、懐かしい感覚に身を浸していた。
いい香りがし始めて数十分。
出来上がったクッキーをオーブンから出してしばらく冷やす。程よい温度になってから2人で食べた。甘い味が口いっぱいに広がった。
「美味しいね!」
「うん。リナはお菓子作りが上手だから」
「ザンナが手伝ってくれたからだよ」
それに2人で食べるから特別に美味しいのかもね
そう言って、ふふっと笑うリナにザンナも釣られて笑う。
しかし、楽しい時間とは簡単に壊れるものだ。
「ミツケ鳥はね、カーネーションがいいんだって言ってたの。花言葉が永遠の幸福だから」
彼の名前が出た途端、楽しかった気持ちが一気に冷めた。
リナは気づかずに続ける。
「でも私はゼラニウムがよかったの。ゼラニウムの花言葉を知ってる?」
“真実の友情”
「ね?素敵でしょ?」
ズキズキと心が痛む。少しのすれ違いがとても大きく感じる。息をするのが苦しい。口の中のクッキーが苦く感じる。
「でもミツケ鳥が花言葉を知ってるなんてびっくりだったよ。今度ミツケ鳥にお菓子を作る時、入れてみようかな?」
気づいてはいけないと、望んではいけないと。
そう言い聞かせていたのに。
でも、だって、おかしいじゃないか。
「ヒヤシンスとか、分かるかな?」
“あなたとなら幸せ”
カッと身体中が燃えるように熱くなった。
それは僕が欲しかった言葉で、想いで。
だって、ずっとリナの隣にいたのは僕で。
ああ、気づいてはいけなかったのに。
ずっと避けてきたのに。
ダンッと地面にひっくり返った椅子が大きな音を立てた。
ビクリとリナが体を震わせる。
多分僕は怖い顔をしていた。そして、リナを冷たく見下ろしていた。
こんなにも愛おしいのに、どうしてだろうね。
「もうさ、クッキーいらないや」
これを恋と名付けるのは間違ってると思うんだ。
リナは今にも泣き出しそうな顔をした。ザンナはそんなリナを置いて部屋を出た。
リナを傷つけた。でもどうしようもない。僕みたいな奴が恋をするなんて間違っている。
こんな感情を捨てないと。リナに嫌われないと。
でも優しいリナはきっと僕を見捨てないから。
それなら、ああ、そうだ。あの人間を利用しよう。あの人間を殺せばリナもきっと僕を嫌いになる。番のように思っているのなら尚更。
僕の居場所を奪ったアイツを。
「ザンナ」
廊下を早足で歩くザンナを引き止めたのはアイスト。珍しく真剣な表情をしている。
「リナのことか?」
何かを察したらしく、そう問うアイストに、ザンナはハハッとわざとらしく笑った。
「そんな心配そうな顔しないでくださいよ。なんでもありませんから」
なんでもないはずがない、けれど、踏み込んでほしくないのなら無理にいくのは違う。
アイストの心中は見てとれた。
「ところで明日は森の巡視に行きますか?」
「あ、ああ、そうだな」
「そうですか」
それならよかった
そう言ってニィッと笑うザンナに、さすがのアイストも嫌な予感を感じたらしい。
「ザンナ。お願いだから相談したいことがあったら言ってくれ。私は愛しい子に抱え込んでほしくないんだよ」
愛しい、か。僕もリナに対してそんな純粋な気持ちを持ってたと思っていたよ。
「大丈夫です。悩むことなんて毎日のメニューくらいですから」
けれど、この燃えるような気持ちはどうやら嫉妬心らしい。ミツケ鳥に抱いていたのは人間に向ける憎悪だけではなくて醜い嫉妬が混じっていた。そして今、憎悪は自分にも向けられている。僕ごときが恋をするなんておこがましい。リナは穢していい存在ではないのに。
アイストに追及される前にザンナは一礼してその場を去った。向かうのは泉。
水を大量に運ばなくてはいけない。
ザンナの瞳はすでに鋭い光を帯びていた。