021.ダリルを探して
少し長めです。
「ふむふむ。つまり、そこの彼がかの有名な大魔法使いフェルティナンド殿の記憶を引き継いだ生まれ変わりであり、その為に現代の常識とのズレを抱え、あのような騒ぎを起こしてしまうに至ったと……そういう訳なのだね?」
魔法の修行を開始して半年以上が経った頃、私たちはようやく事の顛末を冒険者ギルドのサブマスターであるロバートさんに説明していた。
「一日ください」と言っていた通り、私はちゃんとジムに事情を聞いてすぐ、ロバートさんに連絡を取った。翌日には会いに行きます、と伝えたところ、ロバートさん側から、時期をズラすように返事が来たのだ。
サブマスターという役職上、ロバートさんはかなり忙しいみたいで、なかなかタイミングが掴めなかったから、リズさんにお話をして終わりにしても良いかと思ったけど、遅くなっても構わないから直接聞かせて欲しい、とのロバートさんによる希望と、リズさんは古株とは言え、役職的には決定権などは有している訳ではないから、やはり要職にある人に伝えた方が良いだろうという私たちの相談結果によって、これだけ遅くなったのである。
因みに今は、私たちが直接ロバートさんの執務室を訪れている。
顔ぶれは、私、グレイ、ジムの3人だ。
ルカも来たがってたし、私も来てもらいたかったけど、お父様から用事を言い渡されて、どうしても抜けられなかった。
でも、ルカもジムも、今日の邪神の欠片の気配は安定しているから、ルカ1人が居なくても対応出来るだろう、との結論だったから、そこまでは心配しなくても大丈夫だろう。多分。
「はい。ご迷惑をおかけして、誠に申し訳ございませんでした」
「ああ、悪かった……も、申し訳ありませんでした」
また余計な態度を取ろうとするジムを睨みつけておく。
だけど、この半年以上で、最初にジムに対して感じたようなお腹の底から湧き上がるような苛立ちは感じなくなっていた。
今も、イラッとはするけど、それくらいで、特に問題はない。
ある程度の邪神の欠片の影響があったところで、多分慣れで解消出来るんだろうと思うと、安心する。まぁ、油断は禁物だろうけど。
「いや、こちらこそギルド所属の冒険者が迷惑をかけたね。彼も、悪い人ではないんだ。ただちょっと……元々子ども嫌いということもあって、癇に障ってしまったのだろうね。まぁ、相手の中身が大人だと分かっていても、ああなったかもしれないがね。ハハハ」
聞いての通り、私はジムの事情も簡単に説明した。
そこを伏せても説明は出来ただろうけど、ジム本人が、無駄に騒ぎになったりしないなら別に構わない、と言っていたので、打ち明けることにしたのだ。
多分、その方が誠意を示せるだろうし、何よりも……最早、気軽に魔法薬を持ち込む少年の噂が広まり過ぎた。上手くギルド側で話をまとめてもらうには、打ち明けておく必要があった。
ジムもねぇ……もっと上手くやってくれてたら、私たちでも対応出来たかもしれないんだけどねぇ。
「あの時の一件は、それを止めずに看過していた冒険者たちにも一因はある。事情を説明してくれた君たちの態度を誠意として受け取るから、これでお互い、水に流そうではないか」
「恐れ入りますわ」
しかし、大人のやり取りは難しい。
ロバートさんも、それこそ悪い人ではないと思うんだけど、要職に就いているせいか、どうにも言い回しが迂遠というか、裏がありそうというか……対応に悩んでしまう。今のだって、素直に水に流してくれて嬉しいと思ってはいけないんだろうなぁ、と感じてしまう。
……貴族として生きていく以上、その辺りは覚えないといけないんだろうけど。憂鬱だな。
「さて。とは言えあの一件で、我がギルドには少々問題が発生していてね」
「問題、ですか?」
居住まいを正して、急に何を言うんだろう。
ロバートさんは、ニコニコと楽しげに目を細めている。
ただ、そのニュアンスからして、決して楽しい内容じゃないんだろうというのは感じた。
「うむ。当事者であるダリルくんがね……あれ以来ずっと心ここにあらずで、仕事では使い物にならないし、ここ1か月に至っては行方知れずなのだよ」
「ええ!?」
「町を出た記録が無いのは幸いなんだがね。無断欠勤は非常に苦しい」
噂によれば物凄い冒険者みたいだけど、実際に目撃した戦いはジムの圧勝だったから、正直強さが良く分からないあのダリルさんが。
……それ、本人にとっては凄い問題みたいだけど、ギルドにも影響あるの?
思わず怪訝そうな表情をしてしまったのだろうか。ロバートさんが頷いた。
「うんうん。エカテリーナ嬢からすれば、それって問題なの? という感想を抱いてしまうのは仕方のない状況だね」
「え? あ、も、申し訳ございません。失礼なことを……」
「お嬢様。それ、認めていますよ?」
一応外部ということで、取り繕った様子で私に注意するグレイ。
私だって気を付けてるけど、難しいんだもの。
なんて、言い訳が許されてる内に直さないといけないか。
「しかしながら、これは大変由々しき事態だ。彼は我がギルドでも屈指の冒険者でね。正直、依頼の達成が滞っている。彼が精力的に活動していた期間と比べれば、全体で2~3割の減退だ」
「に、2~3割……!?」
たった1人が欠けただけで、ギルド全体の仕事の達成率が2~3割減退、停滞するって、元々どれだけギルドの仕事に寄与してたって言うの!?
私は思わず、声が裏返ってしまうのを感じた。
「し、失礼ですが、このギルドって、結構人数いらっしゃいましたよね?」
「うん。自慢になるが、この町で一番多いね。質も良いと自負しているよ」
「それで、2~3割の減退……」
「仕事は、基本的にチームを組んで行う。つまり、数人がかりで1か月かけて一つの仕事を達成することさえある。しかしダリルくんは、基本的に仕事が迅速、かつ丁寧な上にソロ活動を好んでいたから、仕事効率がとても良かったのだよ。本当は、ソロでの活動は推奨していないのだがね。危険だから」
……何ということだ。仕事内容までは聞いてないけど、これはかなりまずい事態なのではないだろうか。
「まぁ、緊急性のある依頼に関しては、リズくんのフォローがあるし、何なら、別のギルドに回したりしているけれど、いつまでも続くようでは困るのだよ」
普通のファンタジーのイメージだと、所属する冒険者、ギルド構成員が、自らの意思で仕事を受注していて、仮に一定期間仕事を受けなければ、評価が下がるくらいの悪影響しかない、みたいな感じだったけど、ここでは違うみたいだ。
思わずグレイを見ると、グレイは軽く頷いて説明してくれた。
「冒険者ギルドの構成員には、二通り存在する。文字通り世界中を駆け巡る短期契約の冒険者。それと、一つの町に居着いて長期雇用契約を結ぶ冒険者だ」
短期契約が、イメージしてるような冒険者ってことかな。
「前者は、ギルドからの縛りが少ない。後者は、安定してるのがメリットだな」
バイトと会社員、みたいな違いだろうか。
「デメリットは、前者が補償が少ないこと。後者が自由が少ないこと、になる」
グレイは、かなり小声で説明してくれてたけど、ロバートさんの耳には届いていたようで、うんうんと頷いているのが見えた。そして、ジムは寝ているように見えた。いや、当事者でしょ。
「ダリルくんは長期契約の冒険者でね。契約が終了していれば良いのだが、彼はとにかく仕事を引き受けてくれていたから、まだまだ残っているのだ。困ったものだと思わないかい?」
肩を竦めるロバートさん。
明らかに私たちの責任を追及しているのだ。
えええ、水に流すって言ってくれてたのに。
「ど、どうしようジム……」
「え、俺? 関係あったっけ?」
「大有りでしょ!? ジムが倒しちゃったのがいけないんじゃないの?」
半分寝落ちしそうに、ゆらゆらし始めていたジムの服の袖を引っ張る。ジムは、ハッと目を覚ましたみたいだったけど、興味なさそうに首を傾げていた。まだ、話は聞いていたみたいで良かったと受け取るべきなんだろうか。
「いやいや、確かにジムくんに敗北を喫したことは、ダリルくんの汚点にはなっているだろうがね。残念ながら、それは見当違いというものだよ、エカテリーナ嬢」
「……え? そ、そうなのですか?」
何故か、ロバートさんの暗めの赤い瞳が、愉快そうに私を映す。
……私について何かを言いたいのは分かるけど、何だろう?
ジムも分からないようで不思議そうにしている。助けを求めてグレイを見たら、何だか納得したような表情を浮かべていた。え、何ですかその顔……。
「……ロバートさんは、お嬢様が彼を追い詰めてしまったとお考えなんですね」
「ええっ!?」
「有体に言えばそうだね」
「そんな!?」
グレイが、仕方なさそうに溜息をつきながらロバートさんに問いかけると、ロバートさんは深く頷いた。
その内容は、私にとっては信じがたい言葉だった。何で? 思い返してみても、まったく心当たりがない。
「私、そんなに酷いこと言ったかしら? 半年以上も引きずるような?」
「俺に聞かれても、分かりませんよ。本人に聞くしかないのでは?」
グレイが冷たい! でも、正論だ。グレイだって、何ならロバートさんだって、ダリルさん本人じゃないんだから、どうして仕事に来ないのか、その理由の正確なところは分からないだろう。
う、うんそうだ。私のせいだと決まった訳じゃないんだから、確認しないと。
「それって、俺とあの人のイザコザはもう良いけど、お嬢様の余計なひと言は水に流してないから、ダリルを連れ戻さないと許さない……ってこと?」
「え? そ、それって……」
「嫌だねぇ、ジムくん。私は、そんな鬼のような男じゃないよ。ただ、エカテリーナ嬢のように愛らしいお嬢さんに慰められれば、ダリルくんも正気に戻るんじゃないかと、期待しているだけさ」
ハハハ、と軽く笑ってるけど、そういうことだった!
ジムの考えがすべて当たっているとすれば、ロバートさんが今回の私たちの謝罪を受けて水に流したのは、あくまでもジムとダリルさんの諍いだけ。その後のダリルさんに起きた悪影響については、エカテリーナによる別件の結果だから、そちらへの対価として、元の通りにダリルさんを立ち直らせることを要求してるって……そういうことですかね!? 難しいよ!
「面倒くさいなぁ、それ」
「他人事みたいなこと言わないでよ、ジム」
「無関係じゃないのは分かったけど、本当のことだしさ」
「そこは嘘でも良いから、俺も協力するぜ! とか言っとけって」
「嘘はよろしくないと思うよ!?」
こんな能天気な言い争いをしている場合じゃない。
私の責任にされるのは問題だし、確かに心外ではあるけど、そんなことで言い争いを激化させる意味はないはずだ。寧ろ、ここはダリルさんを連れ戻しさえすれば、水に流してもらえるのだと前向きにとらえるべき場面だ……と、思う。
ここは、単純にダリルさんが心配、というのもあるし、素直に受け入れることにしよう。……ううー……揚げ足取られないよね?
「わ、分かりました。私どもで、ダリルさんを説得致します」
「え、本当に良いのかね? いやぁ、助かるなぁ。そんなことを言い出してくれるなんて、望外なことだよ」
し、白々しい……。
ちょっと呆れるけど、これも大人の処世術というものだろう。それこそ、流せるようにならなければならない。
私は、改めて頭を下げると、許可を得てロバートさんの執務室を辞した。
……ただ、謝罪して終わり、な腹積もりだったというのに、大変なことになってしまった。
「……ごめんね、何だか上手く話が進められなくて」
「と言うよりも、あれは向こうの方が老獪だったってところだろ。仕方ない仕方ない。あれで許してくれるって……言ってないけど、多分大丈夫だろうから、とりあえずダリル探そうぜー」
「……確かに、別にそれで許してくれるって言ってないね」
グレイも、今思い至った、というような顔をしていたけど、私も言われて初めて気が付いた。私、本当に貴族社会を生きていけるのだろうか。不安しかない。
……っと、それよりも今はダリルさんのことか。
「ふぁ……。俺、帰っても良い? 昨日、夜更かししたから早く寝たいんだ」
「どうせ書庫に入り浸ってたんでしょう? 発端はジムなんだから、協力してよ」
「えぇー? 横暴だと思うぞ、お嬢様」
不満そうに眉を寄せるジムだけど、ここは強制参加だ。
一人だけ家に帰ってお昼寝だなんて、許さない。
あと、ロバートさんの予想が外れていて、普通にジムに対して怒ってるんだったら、本人も居た方が良いだろうしね。……ん? 居ない方が良いのかな?
「ジムと顔合わせることの影響が読み切れないけど、今はルカも居ないし、大魔法使い様には居てもらった方が良いと思う」
「それもそうね。……という訳だから、よろしくねジム?」
「うわー、面倒くさいなぁ」
私が何も言わなくても、大体何を考えてるのか分かるのだろうか。グレイがドンピシャリなことを言ってくれたので、賛成する。
やっぱりジムは言葉通り面倒くさそうだけど、ここは我慢してもらおう。
ストーリーから言えば、あと10……2、3年くらいで終わるだろうから。
「つーか、ジム。お前の魔法なら、ちゃちゃっと見つけられるんじゃないのか?」
「わっ、それナイスアイディア!」
「対象者の魔力のこびりついた物でもあれば、すぐにでも」
良い考えだと思ったけど、ジムはすぐさま否定する。
ダリルさんの持ち物が無い以上、無理ということだ。
このギルドは、彼のホームみたいなものだけど、人通りが多いから、仮に魔力がこびりついたものがあっても、ダリルさんの物かどうか特定出来ないだろうしね。
「お前、魔力の波みたいなものとか覚えてないのかよ?」
「興味もなかったから、全然覚えてないよ。これがもし、お嬢様を探すって言うんならすぐ分かるけど」
「私は探さなくても良いよ……」
私の魔力は、参考になるものがなくても探せる程度には覚えてくれた、ということだろうか。それはちょっと嬉しいけど、今はそれで喜んでいる場合でもない。
私はいつもの喧騒にあるギルド内を見渡す。
「リズさんは居ないのね。あの人が居たら、ダリルさんの居場所の心当たりとか聞けると思ったんだけど」
「それなら、ここに居るメンツに聞いても良いんじゃないか? 多分、別にリズさんが一番詳しいって訳じゃないと思うし」
「……それよりも、グレイは知らないの? この中だと、一番ギルドに縁深いみたいだけどさ」
「そう言えばそうよね。どう?」
リズさんとは知り合いだったみたいだし、ダリルさんとも仲が良かった可能性もあったね。期待して見つめていると、グレイは申し訳なさそうに視線を泳がせた。
「いやー。一方的に、腕の良い剣士ってことでリズさんから噂は聞いてたけど、本人と話をしたこともないくらいなんだ。俺じゃ全然分からないな」
「そう……。じゃあ、やっぱりこの辺りの人たちに聞いて回るしかないのね」
「普通に家に居るとかじゃないの?」
「それなら、行方知れずなんて表現しないと思うわ」
とりあえず、聞いて回ろうということになると、私たちは手分け……は、諸事情で出来ないから、皆で固まって情報を収集した。
有力な情報は殆どなかったけど、辛うじて、町はずれの林で姿を見かけた、という話を少しだけ聞くことが出来た。
「こんな微妙な情報で行くのか?」
「仕方ないだろ。それしか話が聞けなかったんだから」
「これを機に、相手の感情を逆撫でするような言動は控えてね、ジム」
「お嬢様こそ、無意識に他人を傷付けないようにしてくれよな」
「……善処致します」
偉そうに言ったけど、完全にブーメランだった。
ま、まだ本人に確認してないもん! と、強がってはみたけど、私はただでさえ悪役令嬢という立ち位置なのだから、気を付けないと。
不用意な発言によって断罪される、なんて悲しいオチだけは避けたい。
「町はずれって、結構町はずれなのね。人がまばら……」
「気をつけろよ、エカテリーナ。ここの町は、はずれでも治安はそう悪くないけど、偶に勘違いした馬鹿な盗賊が出ることもあるんだからな」
「……それ、フラグじゃない?」
「俺も気になったけど、注意はしておかないとだろー」
私のジトッとした視線に、グレイは苦笑を漏らす。
まぁ、普通はそうだよね。注意喚起は重要だ。
ただ、どうしてもこの現状、出来る限りジンクスは避けていきたいんだよね。
「フラグ?」
「危険性が高まるって意味よ」
「グレイの発言だけで? 不思議な原理だな。どうなってるんだ?」
「あんま気にしないで、無視してくれ……」
何故か、私の発言に食いついたジムに、グレイが溜息をついた。
私の適当な答えでは満足出来なかったみたいだけど、出来ればそのまま忘れてもらいたい。
そんなことを思いつつ、キョロキョロと辺りを見回して進む。
本当に、歩けば歩く程、人の気配が少なくなっていく。
一人で歩いていたら、不安で進めなくなってしまいそうな雰囲気だ。
「あ。露天商」
ふと、ジムが声を上げる。
その視線の先を見ると、確かにひっそりと怪しげなおばあさんが店を広げていた。陳列、と呼べないくらいごちゃごちゃと並んだ、訳の分からない物たち。
……ええー、これに興味惹かれます?
「うわーうわー! 良いなー、欲しいなー!」
「おい、ジム。後にしろってー」
「嫌だ。見て行く!」
その物言いは、最早年齢相応だ。
もうこの感じからすると、梃子でも動かないだろう。
私は、軽く溜息をつくと、グレイに尋ねる。
「人の気配は少なそうだし、グレイだけで何とかならないかな? 私だって、逃げるくらいは出来ると思うんだけど」
「それもフラグだと思うぞ。……でも、自由時間だって限られてるしなぁ」
5歳だろうが何だろうが、貴族令嬢としてのアレコレがある。
魔法の修行だって、こっそり自由時間を使って行っているのだ。
ダリルさん探しなんて途方もない目的があるのに、ジムの露天商見学に付き合っている時間はない。
「……仕方ない。護衛が俺だけって不安だけど、行くか」
「うん。何かあったら、すぐさま戦線離脱&ジムと合流、ね!」
「よーし、忘れるなよ」
頷き合った私たちは、ジムに終わったら追いかけて来るように言って、先に進むことにした。
「……ちゃんと伝わったのかな?」
「んんー……微妙だな。けど、流石にジムだって、エカテリーナに何かあれば気付くんじゃないか?」
「……気付いても、別に私を助ける義務はないのよね」
「邪神の欠片が解放されるかもしれないんだぞ? あんなに戦いたがってるんだから、飛んでくるだろ」
「それって、その時には私、死んでない……?」
「……あははー」
「わ、笑いごとじゃないよ!?」
それは、世界的ピンチではないだろうか。
不安から、何度もジムの方を振り返ったけど、彼の姿はどんどん小さくなるばかりで、こちらを向く様子すら見えなかった。ふ、不安だ。
「! ……エカテリーナ。止まれ」
「えっ」
しばらく進んだ先、ジムの姿がまったく見えなくなった頃、ようやく話に聞いた林が見えて来た、と思った時。急にグレイが表情を険しくした。
そして、唇を動かさない程度の小声で私に静止を呼びかける。
流石にその様子を見て、何が起きているのかと問う程、私は能天気ではなかったらしい。まさか、とすぐに思い至った。
「まさか、ふ、フラグ回収? 早すぎない?」
「そのまさかだ。……悪い。しばらく平和に暮らしてたら、勘が鈍ったみたいだ」
言い訳乙、と苦笑するグレイだけど、表情は真剣だ。
私は、グレイを責める気にはなれない。私だって、気付けなかったのだから。
「仕方ない、逃げるか。気付かない振りして、全力ダッシュ……」
グレイが、すべてを言い切る前に、野太い声が響いた。
「おーっと、ここから先は行き止まりだぜぇ!」
「随分と身なりが良い。身ぐるみ剥がしゃ、結構な儲けになりそうだなぁ!」
(て、テンプレ盗賊だー!!)
そんないかにもなセリフと共に、数人の男たちが私たちの行く手を遮った。
その姿は、盗賊と聞いてイメージするのと寸分たがわないようなもので気が抜けかけるけど、その手に輝く刃物を見て、グッと息を止めた。
何であんな人たちが、こんな時に限って出るのだろうか。
アスルヴェリアは、全体的に治安は良く、しかも我がサンチェスター公爵領は、その中でも特に治安が良い。
盗賊に遭うなんて、相当珍しいことなのだ。なのに……。
「ごめんなさい! 俺たち、家に帰らないと……」
私の手を取って、早口でそう告げると、急いで踵を返そうとするグレイ。
けれど、その先にも盗賊たちが居た。どうやら、囲まれていたようだ。
グレイは、それを把握はしていたみたいで、やっぱり、みたいな顔をしていた。
「残念だが、逃げ道はねぇぞ」
「諦めるんだな」
下卑た笑みを浮かべながら、盗賊たちがジリジリと私たちを追い詰める。
グレイは、私を背に庇って距離を測る。
そして、私の手をそっと離すと、腰の辺りにその手を入れた。
「エカテリーナ。俺が道を作る。全力で駆け抜けるんだ」
「……わ、分かった」
心配だし、一人で残して行きたくなんてない。
でも、グレイは元々暗殺者だった。私が居る方が、足手まといで苦戦する筈だろう。なら、却って迷いなく逃げた方が、グレイの為になる。
「そんな楽しそうに笑ってる暇は……ないと思うけどな!」
瞬間。グレイが動く。
何をしたのか分からないけど、腰にあった手が反対方向に振り抜かれていて、盗賊の一人の肩にナイフが突き刺さっているのが見えた。
鈍い悲鳴が響く。混乱、喧騒に包まれる。
「おい、コイツ武器持ってるぞ!」
「女のガキを狙え!!」
「は? させねーよ!!」
私を狙うように言った盗賊の元に、一瞬でグレイが距離を詰めると別のナイフを突き立てる。舞い散る鮮血。私は、悲鳴を上げそうになる衝動を我慢して、慌てて道を探した。
そして、すぐにグレイが作ってくれた隙間を見つけると、一目散に駆け出した。
「が、ガキが逃げるぞ!」
「囲め! 騎士に連絡されたら厄介だ!!」
熱気が、怒号が、私に向かう。
私は、必死で足を動かす。魔法の修行の際に、体力も強化した方が良いと言われて、その訓練もしていた。だから、体力は、自信がある。足は、早くないけど。
「振り向くな、逃げろエカテリーナ!!」
グレイっ……グレイグレイっ。
涙がこぼれそうになる。でも、泣かない。大丈夫だ。大丈夫。私も死なないし、グレイも死なない。
急いでジムを呼びに行けば。ジムなら、強いから。二人が居れば、大丈夫。怖くない。死なない。死なせない。
「待ちやがれ!!」
時折、背にぶつかる空気の圧迫感は、盗賊の手だろうか。怖い。
私は、思考の渦に飲み込まれそうになりながらも、全力で走り続けた。
走って、走って走って走って、何とか、ジムの居た筈の場所まで戻って来た。
「ジム!!」
……だけど、返事がない。姿がない。気配がない。
「うそ……」
露天商が居た場所に、間違いない。でも、ジムはそこに居なかった。
もしかすると、もう見終えて、合流する為に動き出したのだろうか。
すれ違わなかったけど、きっと、そうなんだろう。
私は、思わず青ざめる。だって、人通りの多いところまでは、かなり距離があるのだ。どうしたって、間に合わない。
「ぐ、グレイ……っ」
ポロリと、涙がこぼれてしまった。
だって、あんなに人数が居た。グレイ一人で、私を逃がす為に時間を稼ごうとしているのだから、もしかしたら、やられて、しまうかもしれないのだ。
逃げに徹すれば、逃げられる。だってグレイの足は速いから。
でも、グレイは、私の、私の、為に。
「ようやく追いついたぞ、さぁ、オレたちと来るんだ!!」
「っ、嫌ぁ! 離して!!」
突然、乱暴に腕を掴まれ、引っ張り上げられる。
無力で幼い我が身が恨めしい。武術の訓練もしておくんだった。
5歳の身体じゃ、何の抵抗も出来ないかもしれないけど、後悔はなかったかもしれないのに。魔法の修行はしたけれど、ちょっと浮いたり、ちょっと光ったりする程度じゃ、何の役にも立たない。私は……どうして。
「誰か……助けて!!」
――閃光。浮遊感。そして、誰かに抱き留められる、感覚。
「……弱者の剣でも、良ければ」
透明感のある、掠れた声が間近から聞こえて来る。
驚きから周囲に視線をさ迷わせると、愕然とした様子でその場に崩れ落ちる盗賊の姿が見えた。それをやったのは、私を救い、抱き留めてくれた人だ。
そうと理解した以上に、聞き覚えのあるその声に強い興味を引かれ、私は恐る恐る視線を上げた。
「私の剣は、弱き者を救う為にある。……振るう私が、弱者であろうとも、その志は変わらない」
サラサラとなびく、長い黒髪。意志の強さを表すように、吊り上がった水色の目。細身の体を覆う軽鎧。
「だ、ダリル……さん?」
私を救ってくれたその人は、探していた人……ダリルさん、その人であった。