001.転生先は、地雷原
「貴様が、エカテリーナ・サンチェスターで、間違いないな?」
冷たい声と、首に押し当てられる、硬質な感触。
私は、頬を滴る汗に、ゾッと背筋を震わせながら、慎重に言葉を探る。
ここで選択を間違えれば、私の命は無いだろう。
(ああ、もうっ! どうして私がこんな目に……!!)
内心で悲鳴を上げながら、私はそっと、過去に思いを馳せた。
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私こと、[エカテリーナ・サンチェスター]には、前世の記憶がある。
そんなことを言えば、頭のおかしいヤツと思われるから、誰にも言っていないけど、それは確かに、私の中に根付いていることだった。
前世の私の記憶は、[一之瀬エリカ]という女子高生の物で、最後はトラックにひかれて、弾き飛ばされたところで終わっている。
その直前に、何か大きな事件が起きてた気がするけど、それは覚えていない。
ウソでしょー、とか、あり得ないー、とか、そんなことを考えていたのは覚えてるけど。
とにかく、前世を覚えている、というだけであれば、まぁ墓場まで持っていけば良い話だ。それだけで、私の二度目の人生は穏やかに過ごせる筈である。
でも、それだけ、では済まなかったのが悲しいところだ。
何故ならば、私は[エカテリーナ・サンチェスター]という少女を、知っていたからだ。前世の時点で、既に。
転生の仕方も、異世界トラックと言うあるあるだった私だけど、更なるあるある要素が、この転生した少女が、とある乙女ゲームにおける、悪役令嬢だった、と言う点である。
……まぁ、それも別に構わない。ライトノベルなどであれば、頑張ったら死亡フラグはへし折れる、というのが通説だからだ。
もしここが『エリュシオン・サーガ~命儚し、恋せよ乙女~』の世界で無いか、私が[エカテリーナ・サンチェスター]で無いのなら、という条件付きだけど。
――さて、因みに『エリュシオン・サーガ~命儚し、恋せよ乙女~』とは。
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20××年に発売された、女性向け恋愛シミュレーションRPG。
RPG、と銘打っているだけあって、バトルも気合いが入っているが、メインは恋愛シミュレーション要素の方なので、乙女ゲームの枠にくくられている。
ただし、コンフィグ画面には、恋愛シーンをカットする、という項目があり、それを選ぶと、ただのRPGになるので、男性ユーザーも多い。
プレイヤーは、主人公の少女を操作して、世界中で発生している問題の解決に挑み、世界崩壊を食い止めることになる。
一日に出来る行動は、早朝、朝、昼、夜、深夜の5回。何らかの行動を選択するか、時間を進めるコマンドを選択すると、時間が次に進む。イベントの発生状況によっては、複数の行動回数を消費する場合もある。
行動に対する制限は殆ど無いが、恋愛に気を取られ過ぎると世界が崩壊したり、恋愛をし無さ過ぎても世界が崩壊したりする為、慎重な行動選択が求められる。
ストーリーは、典型的な異世界召喚物である。
高校1年生の主人公は、ある日、自分だけに聞こえる不思議な声に導かれ、異世界[エリュシオン]へと辿り着く。
そこは、1000年に渡り天使、悪魔、地上人の3種族が睨み合いを続ける、一見平和に見えるが、その実、危うい均衡の元に成り立つ、不安定な世界だった。
主人公を召喚した女神は、主人公を[救世の神子]と呼び、今、世界中の人々を苦しめる、異形の怪物[虚無の深淵]を倒すのに協力して欲しい、と言った。
主人公は困惑するが、世界を平和に導けば、元の世界に戻す、という女神の言葉を信じ、[救世の杖]を手に、戦い始める。
しかし、そんな彼女に降りかかる、数多の試練。果たして彼女は、元の世界に帰ることは出来るのだろうか……?
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……と、まぁそういうゲームだ。
私は、ライトなユーザーだったので、ゲームに搭載されていた、[お気楽モード]という、とてもお手軽にプレイ出来るモードで遊んでいた。
お気楽モードでは、戦闘難易度がとても低くなり、ステータスを上げる必要がなくなり、恋愛イベント発生条件は緩和され、初見殺し選択が無くなる、などなど、本当に気軽にプレイ出来た。
それでも尚、攻略対象者の数が32人と、かなり多かったので、コンプリートは出来なかった。
主人公のデフォルトネーム呼び、主人公の立ち絵表示オンオフ、主人公のボイスオンオフ、イベントスキップ可能、バトルのオンオフ、オートプレイ、などなど、機能面も充実していて、環境はとても良かったと思う。
絵師さんは有名な人じゃなかったけど、とても綺麗で、丁寧なお仕事だったし、声優さんも無名な人で固めてたけど、それが却ってそのキャラクターの印象を強めてくれていて良かった。
タイトルで、「命儚し」と謳ってるだけあって、シリアスな世界観に合い過ぎるくらい、人が死にまくるシナリオだったけど、その悲哀が、よりこの世界を救おう!という気持ちを湧き立たせてくれていて、総じて、良かったのだ。
……良かったと思う、良かった、良かったのだ。
繰り返して言うくらい、私は、このゲームが好きだし、気に入っている。
でも! 問題は、そこじゃない。
このゲームは、人が死にまくる。それは、主人公だろうが、攻略対象者だろうが、王様だろうが、何だろうが、お構いなしだ。
プレイヤーが、少しでも選択を間違えると、必ずと言って良い程、人が死ぬ。
それこそ、「どっちに行こう?」という選択肢で、「右」を選べば門番さんが死んで、「左」を選べば罠にかかった主人公が死ぬ、などなど。
主人公が生き残る選択をすれば、大体、誰か他の人が死ぬ。
冷静に考えてみれば、なんて血塗られた運命にあるんだろうか、主人公。
そんなヘビーなゲームだけど、猛者になって来ると、主人公のレベルや、技能の調整によって、敵以外に死者を出さずにクリア出来るようになるらしい。
引き継ぎをしなくても、一個一個丁寧に選択していけば、問題ない、らしい。
一番難易度の高い[鬼畜モード]でも、だ。
因みに難易度は、[お気楽][普通][難しい][ドS][鬼畜]の5種類だ。
ただし。そんな、ありとあらゆる修羅場を潜り抜けて来た、歴戦の猛者たちでも、救えないキャラクターが居ると言う。
それこそが、[エカテリーナ・サンチェスター]……私である。
一応、味方の陣営に当たるキャラクターたちは、モブであっても死の運命から救い出す手段があるらしい。どのキャラクターのルートに入ったとしても、だ。
モブまで含めれば、100人単位で居るキャラクターたち全てにおいて、その検証を行っていた猛者たちは、ある日を境にコントローラーを投げた。
99%のキャラクターを、どのルートでも、救うことが出来るのに、彼女だけは、救えない。
主人公が恋愛しているのがいけないのかと、通常ルートにいっても、死ぬ。敵対しない選択をしても、死ぬ。とにかく、死ぬ。
死亡フラグのバーゲンセールみたいな少女、エカテリーナ。
彼女は、主人公が最初に世話になる国[アスルヴェリア]の、公爵令嬢である。
神から遣わされし神子の世話が出来るのは尊き存在だけだ、という王様の考えによって、王族の血を引くエカテリーナが神子の世話役に任命される。
でも、プライドがもの凄く高いエカテリーナにとって、他人の世話をする、ということは、とにかく腹にすえかねることだったらしい。
しかも主人公は、平凡な顔立ちで、腰が低くて、物覚えが悪くて、どう見てもエカテリーナに劣っていた。それがまた、エカテリーナのプライドを刺激していた。
でも、妙なところで真面目なエカテリーナは、それでも責任を果たすべく、主人公に対して、きっちりと教育を行った。
厳しすぎるくらい厳しく。……それが災いして、と言えば良いのか。
思わず泣いてしまう主人公を、エカテリーナの婚約者である王子が見染めたり、神子に対して失礼ではないかと陰口を叩かれたり、色々悪い方向に進んでしまう。
基本的には、その影響で、断罪されて死亡、何者かに命を狙われても、庇って貰えず死亡、系に繋がっていく。
ルートによっては、嫉妬に駆られて、実際に手をあげちゃう話もあるけど、それにしても流刑はともかくとして、厳しすぎただけで死亡エンドは辛すぎるよ……。
だけど、それに関しては、世話係になった時に、神子様に優しくしてあげれば済む話だ。自慢じゃないが、私は人に嫌われたことがないし、心配は少ないと思う。
問題は……そもそも、エカテリーナは、物語開始時点で、既に故人になってる場合があるところである。声高に言いたい。何故!?
私は、コンプリートした訳じゃないから、詳しくは知らない。
ただ、主人公は最初に世話になる国を、アスルヴェリア以外にも選択出来る。
そこで、他国を選ぶと、エカテリーナが必要無くなるせいなのか、彼女は死んでいることになるのである。……ねぇ、何故!?
スタッフは、そんなにエカテリーナのことが嫌いなのだろうか。こんなに気合いの入ったキャラクターデザインなのに。
腰まで垂れた、少しウェーブがかったツヤツヤの金髪。少し吊ってるけど、意志の強そうな澄んだエメラルドの瞳。ふっくらとした桜色の唇。薔薇色の頬。スラッとした背丈。抜群のスタイル。愛らしい声。……完璧だよね?
さて、ここまで語れば、嫌でも分かるだろう。私を悩ませる問題が。
そう。未来の神子様の行動を、過去の私にどうこう出来る訳がない!
……それに尽きる。
……私は、赤ちゃんになった段階で、前世の記憶は取り戻していた。
けれど、ここがゲームの世界だと気付いたのは、今さっきのことだ。
何しろ小説では良く読んでいても、まさか、本当にそんなことがあるなんて思わない。私は、ずーっと、転生した、という事実だけで手いっぱいだった。
しかも、転生先が、貴族の令嬢。大変なことである。
正直、5歳になる今の今まで、作法の練習とか、勉強でてんてこ舞いで、将来のことについてなんて、考えもしなかった。
でも、ふと私に婚約者を付ける、という話が持ち上がって、まぁ、酒の席での軽い打診程度だと思うけど、家柄の問題か、王子様になるかも、と言いながら、お父様が王子様の絵姿を手に、お名前を聞かせてくれた時、私の思考は停止した。
急速に、勉強していた歴史とか、国の名前と合体して、襲いかかって来た。
私は良く、声を抑えたと思う。叫んでてもおかしくなかったよね。これ。
心ここにあらずになってしまった私を心配してなのか、子どもは早く寝なさい、と言われた私は、素直に部屋に戻って来て……今に至るのである。
え? 今まさに、襲われてるのはどうしたことかって?
それは……私にも分かりませんよ!!
だけど、そう言えば最近、貴族の令息、令嬢が殺される事件が起きていると、お母様が話していた記憶がある。
多分、あそこは、悲鳴を上げるのが正解だったんだろう。
そうしたら、お母様か……メイドの誰かが付いて来てくれて、こんな目には遭っていなかっただろう。ああっ、私のお馬鹿ー!
「おい。言葉は聞こえているだろう? 何とか言ったらどうだ」
「は、はい。私が、エカテリーナ……ですわ」
声が震える。前世は、トラックに轢かれて、享年17歳。……享年って、計算方法違うんだっけ? まぁ、何でも良いか。
そして今世は、暗殺者に背中からブスッと刺されて、享年5歳か。ヒドくない?
「お、お願いします。何でもしますから……殺さないで」
「貴様……」
暗殺者は、少し戸惑ったような声を出す。
え? 何で? 今、戸惑うようなシーンだった?
困惑する私に、暗殺者は小さく呟いた。
「ゆっくりと俺の方を向け。良いか、ゆっくりだぞ」
「わ、分かりましたわ」
言われた通りに、ゆっくりと振り返る。
寝るつもりだったから、魔法の照明は消えている。
でも、時間帯が時間帯だから、ほんのりと差し込む月の光が、暗殺者の姿を照らしだしていた。
「わぁ、綺麗な濃紺色の髪……」
思わず、そう口走る。
そのくらい、暗殺者のサラリと揺れる短い髪は、綺麗な色をしていた。
年は、今の私より、少し上くらいだろうか。
真っ黒い、泥棒を思わせるスーツを着ていて、胸部分で交差するように、ビッシリと小ぶりのナイフが装着されている。
目は、ゴーグルみたいなもので覆われて見えないから、髪の毛だけが、真っ黒で覆われた中で、目立っていた。
「はっ! も、もしかして、姿を見たから殺す、とか……」
ビクビクしながら、そう尋ねる。
振り返れと言われたから振り返ったけど、そんな理不尽な理由で殺される場合だってある。何しろ、ここはエリュシオン・サーガの世界だ。
だけど、暗殺者はその質問には答えないで、別の質問を口にした。
「聞きたいことがある。貴様もしや……“エカテリーナではないのか”?」
「!?」
息をのむ。それは、想定外の質問だった。
何と言うか、もっとこう、貴族令嬢的に云々な質問が来るとばかり思っていた。
それが、言うに事欠いて、エカテリーナではないのか?
影武者か、という問いにも聞こえるけど、違う。と、私の勘が告げている。
「……『エリュシオン・サーガ』」
「貴様、それは……!!」
賭けに出た私は、その言葉を口にする。
すると、暗殺者が目に見えて動揺した。
これは……つまり、彼はゲームの存在を知っている、ということ。
でもまだ、どちらに転ぶか分からない。
彼自身が転生者か、知り合いが転生者か。
転移者という可能性もあるし、夢のお告げ的な可能性すらある。
そのいずれであっても、私が殺される可能性は消えていない。
どうしたら、逃げられるだろう。
どうしたら……。
「貴様……いや、キミも、プレイヤーだったのか!」
「えっ?」
「そっかー、良かったー! ようやく会えたー!!」
困惑する私を包みこむ温もり。
私は内心、思わず、こう叫んでいた。
(一体全体、何が起きてるのよー!!)
乙女ゲームの世界の、一寸先は闇。
かくも恐ろしき世の中のようです……。