チェリーブロッサム編 3章
......扉の向こうから、様々な音が聞こえてくる。どうやら、もう朝になってしまったらしい。
「......むがぁ......また徹夜しちゃったよ......」
私はそうは言っているものの、実際の所、「研究が有意義にできて大満足」というのが本音だ。
その「研究」の成果こそ......祖父から譲ってもらった古びた机の上にでかでかと広がる紙に描かれた、複雑な図形。言わば、「魔法陣」だ。
後は、この陣に適切な魔力さえ送れば......
「......えーと......」
私は伸ばした片手で横に置かれた物入れの中を探り、愛用の杖を取り出す。一見古びて弱そうだが、かつて魔法学園で主席に立った時に学長から贈呈された、最高級の素材を使って作られた特別なものだ。
「......衛兵!」
私がそう言って、軽く杖に力を籠める。小さい光が杖から放たれ、魔法陣をなぞるように回り始める。その光が魔法陣に刻まれた文字を吸い取っていき、光が回りながら段々と中心へ集まり......
ポン!
軽やかな音を立てて一瞬だけ光が強まり、それが収まると......
「......?」
魔法陣の中心に、小っちゃな槍を持った兵士が、ちょこんと立っていた。
「よっし、ひとまず成功!」
一人で軽くガッツポーズをする私をよそに、その兵士は私のぐちゃぐちゃになっている部屋を見回す。その仕草は、まるで赤子のようだ。
折角なので、私はその兵士を手の上に乗っけてみる。体に対して少し大きめな瞳をくりくり動かす様子は、これまでの疲れを吹き飛ばす程かわいい。
「ああ、かわいいなぁ......出来ることならずっと一緒に居たいんだけどねぇ......でもかわいいなぁ!例えばその目!そしてその槍を持つ手!細いのに槍をしっかりと持てるとは!あとはそのちっこい鎧!あんまり重そうなのはちょっと可哀そうだから金属の面積を減らしてみたけど、でもやっぱりその丸い兜は外せない!ああ、かわいいなぁ!」
その時。
「痛って!」
手の上に乗せたことによるものか、それとも私の徹夜明けテンションがムカついたのか、その兵士が手に持っていた槍で私の手の平を突っついた。別に痛いわけではなかったが、驚いた私はつい手の上に乗っていた兵士を高く飛ばしてしまう。
私は咄嗟に杖を持ち、杖をその兵士に向ける。そして、
「消去!」
私のその一言で、宙を舞っていた兵士の姿が、音も無く消える。
「......ああもう、悪い子なんだから!......まぁ、上手くいったと言えば上手くいったし、ああ、ようやく完成!」
喜びの声をあげながら私はぐいっと背伸びする。久し振りに動いたからか、体に結構な痛みが走る。
そんなことを私がしていると......
「カルファード様、入ります。」
扉の向こうから、知っている声が聞こえてくる。私は反射的に「あ、はい。」と応じると、扉がゆっくりと開く。
「失礼します......。」
「あら、桜花さん。どうかしたの?」
私がそう言うのをよそに、桜花さんは私を荒れた部屋を見回す。そして一旦部屋の外に出たかと思うと、今度は顔に布を覆わせて現れた。
「......それ、どうしたの?」
桜花さんは手に持っていた布と箒を私に押し付ける。
「掃除ですから。カルファード様も、この布を。」
私は言われるがまま、その布を顔に巻き付ける。
「......むぐぐ、ほへ、ふほひひふひは。」
「......きつく縛りすぎですよ。」
気を取り直して、私は桜花さんの持つ箒を手に取り、改めて部屋を見回す。
「一週間ぐらいだっけ?その期間掃除しないだけで汚れるものだね。」
桜花さんは、少し頭を下げる。
「申し訳ございません。カルファード様の魔術の研究が随分とお忙しそうでしたので、掃除を行えませんでした......。」
「いやいや、構わないさ。どうせ人が来ても追い返していたしさ。」
「では、カルファード様はまず窓を開けていただけますか?」
「ほいほい、動作!」
手に持っていたのはただの箒だったが......窓を開ける程度のものなら、こんな箒でも魔法はきちんと動く。ガラガラ、と音を立てて、カーテンと窓が同時に開く。
「......そのくらいの事でしたら、手で行った方が早いのではないでしょうか?」
「魔法使いってのは、あなたが手を動かすように、魔法を利用するものなのよ。」
私が自慢気にそう言うと、桜花さんはそれを軽く無視しつつ、部屋に散らかった魔導書を拾い上げる。
「......以前掃除を行った時よりも本が増えていますね。」
「そりゃまあ、定期的に仕入れてますし。ま、最近買った本はどれもこれもハズレでしたけどねぇ。」
桜花さんはそれを聞くと、私に食いつくように聞いてくる。
「では、処分してもよろしいと?」
「......ん、いやまあ、その本は大切なものだし、処分するのはやめてほしいけどさ。」
「では、これ以外の全ては処分しても?」
「......ええ?」
何故か桜花さんは私の魔導書を見て目を輝かせる。十中八九、ここにある魔導書を全部処分したさげだ。
「......なんでさ?」
私が聞くと、桜花さんは最もらしい口調で答える。
「第一に言わせていただきます。ここは二階なのですよ。余りにも大量の物を置かれると、いつ床が抜けるかわかりません。......つまり、そう言う事です。」
「......むぐ、そんなに物は多いかなあ......。」
「いずれ、そうなる前に対策しておきたいのです。」
言い返せない。私の性格からして、恐らくどんどんと物は増えるだろう。
「......分かりましたよ。でも、私が捨てても良いって物だけでお願い。」
私が観念したように言うと、桜花さんの顔が見たこともない程ぱっと明るくなる。
......そこまで私の本が邪魔だったのか、そこからは殆ど桜花さんだけで掃除が終わってしまった。正直、私がこの布と箒を持った理由は一体......とか思いつつ、まあやってくれるならいいかと私は飽くまで魔導書の整理に徹した。そうしないといつの間にか本が減っていそうだったからだ。
「......ありがとね。私の部屋がこんなに広々とするとは、掃除も捨てたもんじゃないなぁ。」
私はてっきり「殆ど私が行いましたけどね。」とか言ってくるかと思っていたのだが、それ以上に魔導書の処分が出来たことが喜ばしいらしく、桜花さんは特に何か言うこともなく、紙袋三つ程にギッシリと詰まった魔導書達を持って部屋から出て行った。
......私はベッドに座り、きれいになった部屋を見回す。不思議な事に、よく知っているはずの私の部屋が、まるでどっかの高級宿のような雰囲気を醸し出していた。
私はちょっと足をバタバタさせてみたり、処分を免れた魔導書を手に取ってみたり、窓から望む山の景色を覗いてみたり......
「......うーん、落ち着かないなあ......。」
そんなことを言っていると。
「カルファード様!」
結構な勢いをつけて扉が開く。どうやら沙羅さんが私の部屋を掃除しに来たらしい。手には箒を持っている。しかし御覧の通り、部屋は既にきれいになっている。
「......あれ、掃除しちゃったんですか?」
沙羅さんががっくりと肩を落とす。
「一足遅かったわね。桜花さんが掃除しちゃったわよ。」
「はーっ!?桜花さんが!?私にここの掃除任せたとか言ってたのに!?」
「そりゃまあ、あの桜花さんの事だし、貴方に期待はしてなかったんじゃないかしら?」
私が笑いながら言うと、沙羅さんは、
「か、カルファード様!?流石に私でも傷付きますよ!?」
と、ちょっと怒り顔。
「ああ、ごめんごめん。まあ、次があるから。どうせ数日も経てばまたああなるわよ。」
「......はい!次こそは、掃除してやりますよ!」
何というか、この子は感情の起伏が激しいなあとか思いつつ、話はどんどんと弾む。
最近できたとかいうネックレス店に行ってきた話とか、町の外れにお化けが出る古びた館があるとかいう話をして、色々と満足した時には既に時計は十時を回っていた。
「......じゃあ、私はそろそろ仕事に戻りますので、......くれぐれも、サボってたなんて桜花さんに言わないでくださいね?」
「はいはい、約束するさ。」
「では!」
そう言って沙羅はタタッと部屋を出て行った。
「......」
私は特に意味もなく、窓から景色を望む。遠くの山々も、随分と青くなったものだ。
「......ありゃ。」
私がその反対方向、西の方にドス黒い雲が浮かんでいた。どうやら、今日はずっと穏やかな陽気......とは言えないようだ。