チェリーブロッサム編 2章
メイドという仕事以上に、ここまで多方面にキツイ仕事は無いのではないか、と私は考えている。
最も、今のこの仕事を選んだのは、他ならぬ自分自身なのだが、その志望理由は、面接の時に言ったキレイなものではなく、単に「給料が良さげだったから」だ。
まあ幸いというべきか、その嘘まみれの発言を見破られたりはせず(バレていたが言われなかっただけかもしれない)、めでたく私、海風沙羅は、この町一番のお金持ち、「ルートン家」に仕えるメイドとなった。
......だが、勤務三日目にして、高給料である理由を嫌でも理解することになった。
まず、とにかく重労働なのだ。朝早くから朝食の準備、ベッドメイキング、そのすぐ後に気の遠くなる程広い屋敷全体の掃除、ご子息様の身の周りの世話、洗濯、その他も挙げればキリがない。
当然ながら、これがほぼ休み無く繰り返される。住み込み三食おやつ付き(重要)ではあるものの、一通り終わればすぐ就寝の時間。そしてまた一日が始まる。これでは折角の高給料の使い道が無いのも同然......。
勿論、重労働なだけではない。メイドとはいえ、名家に仕える者として様々なマナーをキッチリと教え込まれ、私自身別人かと思える程に、口調とか雰囲気が変わった。これ自体は悪いことでは無いのだが......久し振りに会った友人に真顔で「誰ですか?」と言われた時は結構傷付いた。
そして何よりも厄介と言えるのが......
「ほら、手が止まっていますよ。沙羅さん。」
突然、後ろから頭を軽く叩かれる。驚いて振り向くと、そこに居たのは私の上司......であり、一番厄介な人物とも言える女性。
「お、桜花さん......すみません......。」
私がそう返すと、桜花さんはため息をつく。
「考え事をしながら掃除をすることは良いのです。しかし、手を止めてしまう程に考えるのは止めておいた方が良いですよ。」
桜花さんを苦手とする理由は、幾つかある。
一つ目として、桜花さんの背中にある桜色の刀だ。
何故かは私も知らないが、桜花さんはその刀をいつ何時も手放すことは無い。てかそもそも刀を堂々と持っている事自体何かがおかしい。まあ世の中物騒なので、護身用に小さ目の武器を持つ人は結構いる。かく言う私も、使ったことは無いが、「我が海風家に代々伝わる宝刀」だとか何とか言われて父親から受け継いだ(押し付けられた)短めの刀を自室の一番深い所に置いている。......とは言えあそこまで堂々と背負っている人は、あまり見かけることは無い。
ただまあ、こっちの方は時間が経つと慣れてしまうというべきか、最近は町中で洒落た武器をファッション目的で持っている人を見ても、「まあ関わらなければいいか」と容認してしまうようになってしまった。
そして二つ目、こちらの理由の方が大きい。
それは、「とにかく丁寧な口調である」ことだ。
......分かりづらいかもしれないが、この人はご主人の前では当然として、私のような部下に対しても、挙句休日の時に桜花さんを飲みに誘った時ですら、その丁寧な口調を崩さない。試しに桜花さんに酒を飲ませたが、むしろこっちが先に酔いつぶれる始末。......まず、私は桜花さんが砕けた口調になったのを聞いたことが無い。......これがまあ、非常に付き合いづらいのだ。
「......あと、ですね。」
「何でしょうか?」
少し間を置いて、桜花さんはさっきよりも大きなため息をつく。
「......階段を自主的に気付いて掃除するまでは良いのですが......気付きませんでしたか?その辺りは私が早朝に掃除を済ませていますよ。」
「え......気付かなかったです。」
私がそう答えると、桜花さんは私から目を逸らす。
「......ゴミが全く無いあたりから察してくださいね。」
そう言われてみれば、いくら箒で掃いてもゴミが集まらないなぁ......とは思っていた。
「では、どの辺りを掃除すれば?」
桜花さんは少し考えてから、
「二階の廊下がまだ終わっていません。確かエルフィーさんとサフランさんが今その辺りの掃除を行っています。一階の大広間、及び廊下は......」
桜花さんが手でパッパッと服を払う。
「......早朝に私が終わらせています。二階の廊下が終わったら各部屋の掃除を、特にカルファード様の部屋は重点的にお願いします。こちらも終わり次第、二階の掃除に移りますよ。」
「わ、分かりました!」
私はささっと箒とバケツを持って二階へ上がっていく。桜花さんが呆れ顔でこちらを見ていた気がするが、まあいいだろう。
「......いやあ、結構言われてましたねぇ。」
二階に上がると、エルフィーさんがこちらを見てニヤリと笑っていた。
「全くですよ......」
私が持ってきたバケツをガタンと置くと、エルフィーさんが話しかけてくる。
「そういえば、沙羅さん。出来ることなら私のところを手伝ってくれませんか?ちょーど人手不足で困ってたんですよ。......全くもう、桜花さんは私一人で二階の廊下を全部させようっていってるんですよ、私はみんなに比べて力が弱いってのに。」
「そうね、妖精は人間とかと比べると体も小さいですしね。」
「小さいは余計な言葉ですよ!」
そう言って、エルフィーさんは背中から伸びている半透明の羽を細かく震わせた。
「働くメイドの中に妖精が居る」ということを最初聞いた時は、流石に驚いた記憶がある。しかし、エルフィーさんと実際に話していると、その見た目も相まって、まるで「妹」のように親しみを持てたのだ。
そもそも妖精という種族は、人里から遠く離れたところ(たとえば森とか)に住み、人間をはじめとした他種族とは永年中立、言ってしまえばある程度の距離を置くものらしく、私自身、エルフィーさん以外の妖精を見かけたことは、人生で一度たりとも無い。
他種族っていっても、仲良くなれるのだなぁ、とか思いつつ、一つ例外が居たりする。誰あろう、桜花さんである。
誤解無きように言っておくが、別に桜花さんが人間じゃない、ということでは無い(にしては運動神経がずば抜けているが)。どちらかと言えば、私の方が人間ではないのだ。
実際、私の耳は人間よりもとんがってたり、鼻も人以上に良かったり、ついでにささやかながら尻尾も生えてたり、あんまり言いたくないが、人よりちょっとだけ毛深い。
簡単にまとめれば、「犬っぽい人間」である。世間では、私のような動物っぽい特徴を持った種族を「半人族」とか言うそうだが、私の場合、生まれてからずっと人里で暮らしてきたので、イマイチその実感は湧かない。
......実際、私を初見で半人と見抜ける人はほぼ居ないし。
「......仕事はどうされましたか?」
「え?」
私が振り向くと、そこにはさっきよりも冷ややかな視線を私に向ける桜花さんがいた。......私の手元は、完全に止まっていた。
「......あ、え、...えーと......。」
「いい加減になさってください。」
声こそ小さかったが、その言葉は、私の本能的恐怖を呼び起こした。
「......ご、ごめんなさいぃぃっ!!」
本能が、無意識に私をその場から猛ダッシュで逃げさせた。幸いにも、それを見て怒る気は失せたらしく、桜花さんは追いかけてこなかった。
やれやれ、何度言われれば分かるのかしら。
桜花さんが、そう呟いた気がした。