トオイヤクソク
「ミナ――ミナ、起きて!」
「……ん」
耳から入った音を認識して意識が収束し、再び聞こえた音が声だと、自分の名を呼ぶ声だとはっきりわかって少女は目を開けた。目の前には、自分を覗き込む傷だらけの少年がいて、煤だらけの手を差し出してくる。
「なにが――いっ」
手を取ろうと、身体を動かした。
途端にあちこちから焼けるような痛みが走る。
見れば炭化して黒くなった皮膚、骨まで抉られた深い傷、背中は……感触からして皮膚がずたずたになっているのだろうか。
「……痛いのは、まだ、大丈夫……な、証拠」
「なんで僕を庇ったのさ。そんな怪我するくらいなら一人で――」
「それ、は……」
視界がぼやける、音が遠くなる、感覚が消えていく。
「やだよ、死なないでよ!」
ずっと一人だった、ずっと忘れられるように、覚えられないように生きて、生きた。誰にも覚えてもらわなくていい、誰の思い出にも残らなくていい、残りたくない。自分がいなくなって、誰も過去形で話すことのない未来でよかった。
でも、あの少年、仙崎霧夜はしつこかった。
でも、それが楽しかったのかも知れない。
だから、忘れられないように、覚えていてもらえるように生きた。
だから、庇った。
死ぬのは、価値の無い自分でいい。
死ぬのは、怖くない――怖い?
自分は独りぼっちが好きだ。
仙崎は独りぼっちが嫌いだ。
身体が揺れる、死ぬなと聞こえたような気がした。
どうだってよかった。初めて〝今〟の自分というモノを認識したのはどこかの路地裏で、そこから記憶が始まっている。今までもいいことばかりではなかった、ようやく奴隷から一般人に抜け出せたと思った矢先にこれだ。
――もう、どうにでもなれ。
いくら死んでも気付けばどこかでまた新しい〝自分〟が始まる。輪廻から解放されることなんて無い。
意識を完全に手放して、二度と浮かび上がって来るなと心の中で呟く。
―――
風が頬を撫でて、目が覚めた。
「――――」
声は出ない。起き上がって身体を見れば、誰もが顔をしかめるかそむけるかするほどの傷跡がある。
――人って、脆いようで意外に丈夫……。
夜明け寸前の薄暗い空の下、身支度をして隠れ場所の路地から出る。
砂だらけの市街地、いや、廃墟。半袖Tシャツに裾を折り上げたカーゴパンツと運動靴。とてもこのエリアで活動できるような格好では無い。日が昇れば肌が焼け、水は無いに等しい貴重品。逆に夜は寒い砂漠気候。
仕方が無い、戦争で何もかもが無くなったのだ。
今必要な飲み水、今日の食べ物、そんな基本的な物から服なども廃墟を探して手に入れる必要がある。現状、ほとんど破れた半袖Tシャツに裾がボロボロになってそれ以上破れないように折り上げたカーゴパンツ、そろそろ履けなくなりそうな運動靴。下着なんてない、水も無いからまともに洗えてもいない。そろそろ着替えも欲しいところなのだ。
――日が昇る前に。
ミナはそっと動き始めた。低い姿勢で足音を殺して砂の上を移動し、瓦礫の影に隠れ警戒しながら進む。
目的は水と食料。水分とタンパク質となれば手っ取り早い摂取方法があるが……常人ならやらないことを平気でやる。生きるためならやる。
見つけた昆虫は片っ端から捕まえて口に入れる。吐き出したくなるが、無理矢理に噛み砕いて飲み込む。砂のザラザラに土の味、口の中に刺さりそうな虫の骨格……何匹か食べて、吐いた。
その後は自分の尿を飲んで貴重な水分を補給する。
極限状態になれば何だってやる。屍肉を貪り樹皮を囓り泥水を啜っていた頃はまだよかった。今では砂を掘り返してぼろ切れを埋めて水分を吸わせ、そうして水を得て枯れ草や虫を食べ、時折骨を見つけたら割砕いて髄を食う。
――そろそろ。
日が差し始めるとすぐに隠れ場所に逃げ帰る。日が出ている間は極力影に籠もる。
そうして夜になるとまた動いて朝を待ち、繰り返す……暇すぎる日課だ。やることが何もなく、かといって眠るには明るすぎ暑すぎる。長すぎる時間は、あいつどうしてるかなーなんて考えもなくなるほどで、無意味に砂に落書きしたりするのも飽きて、自慰に耽るなんてこともあったが何もする気がなくなるほどで。
――暇すぎると、人っておかしくなるんだっけかな?
どうなるかも分かってはいるが、どうしようもない。