占領下日本
敗戦後の日本がどうなるかについて行雄は的確な予想をしていました。
「戦勝国は、今回の大戦争は軍国主義者の専横によって起こったものと思惟するに相違ない。したがって、その責任者を徹底的に懲罰すると同時に将来のため軍国主義の撲滅を図ることを、あたかもドイツにおいてナチ党を、伊国においてファシスト党を掃滅すべく尽力しているのと、ほぼ同様の方針を以って我が軍国主義者に対するだろう。なおその上に明治以後、武力を背景として我国が獲得したところの台湾、朝鮮、樺太、満洲等の復旧を主張するだろう。かくては王政維新後、明治大帝四十五年の御治世中に拡張し得た新領土はすべてこれを喪失し、鎖国時代の旧日本に復帰する」
明治天皇の御偉業がことごとく水泡に帰したことは、行雄にとって慚愧の至りでした。憲法は蹂躙され、議会は機能を失い、万余の血をもってあがなった領土を失う。そのうえ敗戦国としていかなる占領政策を課されるのかも分からない。
降伏文書への調印が戦艦ミズーリ艦上で行なわれた二日後、第八十八議会が始まりました。行雄は老体を推して逗子の自宅から登院しました。議事堂に着いた行雄をあたかも凱旋将軍のように迎えたのは、戦時中に行雄を敬遠し続けていた新聞記者や、行雄の質問演説に賛成しなかった議員たちでした。それらが喜色を満面に浮かべて近づいてきます。彼等の軽佻浮薄な態度には嫌悪感を抑えられません。
「今日の敗戦を招いた罪の大半は、君たちの負うべきものではないか」
行雄は言ってやりました。それでも新聞記者の群れは行雄の周囲にまとわりつき、その発する一言一句を記録しようとしました。行雄の発言は戦時中には金になりませんでした。しかし、今は違います。尾崎行雄の発言を掲載すれば新聞の部数が伸び、金を生むのです。「憲政の神」の再来です。
GHQ最高司令官マッカーサーは民主化政策という名の日本弱体化政策を推進しました。迂闊にも日本人は、それを待っていたかのごとく唯々諾々と受容れました。その節操のない変わり様が行雄には嘆かわしく、あの勇ましかった軍国主義者はどこへ行ったかと叫びたくなりました。皮肉にも、そのGHQは尾崎行雄を「真の民主主義者」と称揚しました。いわゆる民主化政策推進のために行雄を「憲政の神」として持ち上げたのです。絵に描いたようなプロパガンダです。世論はGHQに迎合して行雄を賞讃し、政治家たちは行雄を御輿に担ごうとします。しかし、当の行雄にとっては何もかもが疎ましいだけでした。毀誉褒貶に一喜一憂するには既に年をとりすぎています。世が変わっても行雄は変わりません。
「日本が今後どのような進路をとるにせよ、敗戦直後のこの時期において朝野文武の責任者が反省し、贖罪の態度を明らかにせねばならない。衆議院議員とて無責任ではあるまい。軍閥の非立憲的行為を防止できなかったばかりでなく、戦時中にはすっかり軍閥政権の協賛機関に成り下がっていた。が、議員の間からは責任論も欠片も聞こえてこない」
行雄は、昭和二十年十一月に第八十九議会が始まると意見書を提出し、全衆議院議員の辞任と今後四年間の立候補自粛を提案しました。しかし、この提案に対する賛同の声は皆無です。人々は行雄をもてはやしこそすれ、その意見には耳を貸さないのです。戦中も戦後も行雄は独りぼっちです。やがてGHQによる公職追放が実施され、大政翼賛会幹部や推薦議員が政界を追い出されていきました。行雄の提案が外力によって実現されたようなものです。
わが願い叶いはすれど外つ国の 力によるぞ憾みなりける
敗戦後初の衆議院議員総選挙は昭和二十一年四月十日です。すでに前年に選挙法が改正されており、日本初の男女普通選挙となりました。行雄は立候補しないつもりでした。全議員の辞職と四年間の立候補自粛を提案した手前、自分が立候補するわけにはいきません。それに行雄の身体はさすがに衰えており、活動が思うにまかせなくなっています。
(そろそろ潮時ではないか)
ところが選挙区では咢堂会がすでに尾崎行雄を立候補させていました。投票の結果はトップ当選です。結局、行雄は支持者に説得され、議員を続けることになりました。
選挙の結果、自由党、社会党、共産党、進歩党などの新政党が生まれ、議員の顔ぶれも替わりました。第九十議会に行雄は期待とともに登院しました。しかしながら、新しい議会に対する期待は見事に裏切られました。旧態依然として道理は通らず、数の力ですべてが決まる世界です。話し合いどころか、そもそも議長、副議長の選出で大いに紛糾しました。行雄は黙っていられません。議長選挙の方法についての動議を提出し、本会議の演壇に登りました。ほぼ十年ぶりです。
「実は日本も建国以来未曾有の境遇に陥りましたから、是非ともここから立直らなければならぬ。立直るのにはどうしても立憲政体の常道を踏んで、上下挙って正しく働くより外に途はないかと思ひます。然るに私共申し訳ないことは、初期議会以来ここに列席して居りますけれども、立憲政体の運用はほとんど跡形のないまでに壊してしまいました。その極点が遂に政府指名の候補者に全国大多数の選挙人が投票を致して、しかして遂に無条件降参と云ふ所まで漕付けたのであります。誰が考へてもこれ程悲惨なことはございませぬが、ここに陥った原因の重大なるものは、立憲政治の根本に背いて全国人民が間違つた働きをしたと云ふことに帰着するのであります。今日は軍部官僚のみを咎めて居ります。無論悪い。非常に悪い。しかしながらここに列席した我々の同僚代議士はほとんど全会一致でこの後押しを致したのであります。然らば軍部官僚が悪いだけよりか、代議士は尚ほ悪かったと言はなければならぬ。しかし其の代議士は全国人民が選んだのでありまするから、全国人民もまた亡国の手伝いを致したといふ事実は弁解の余地はない。ここに於て上下挙って懺悔致して、これまでの間違ったる働きをば漸次直さなければなりませぬ」
行雄の演説はそのまま日本議会史でした。藩閥政府の選挙干渉、それに影響された選挙民、上下ともに立憲政治を理解しなかったために議会は単なる形骸と化していったのです。
「私共の懺悔旁旁、最も心配になるのは、これまで議席に列して居つた所の古い議員は、ことごとく己れの無力と藩閥官僚、続いては藩閥の後継者となつた軍閥の圧伏を受けて、それに服従して、古い議員はことごとく非常な悪い習慣がほとんど骨髓に徹して居ります。直せと言つても一朝一夕には、悪かったといふことすらも分らぬ程に悪習慣が滲み込んで居ります。かく申すは、実に古い友達に対して遺憾の至りでありまするけれども、私などが最もその罪人の頭である。一番古く居りますから。したがって罪も一番古い訳であります。とにかく旧議員は、ずいぶん勝れた人間もありまするけれども、立憲政体の下の議員としては、もう悪習慣が骨髓に徹して居るから、この方々と共に立返るといふことはよほど骨が折れます」
行雄は新議員への期待を述べると同時に、旧議員に染み着いている悪習慣が新議員に伝搬するのではないかと心配します。不慣れな新議員は、ともすれば経験のある旧議員に頼り勝ちになるからです。
「動もすれば古い議員に引廻されて、その悪い真似を第一著に覚えるということになりはしないか」
何事もはじめが肝腎です。行雄はこの機に持論を披露しました。議会における発言は議員、大臣、政務官に限り、事務官には発言させるべきでないこと。議長、副議長は多数党からではなく、むしろ少数党から人格者を選任すべきこと。
「議長として一番大切なのは人格であります、極く正しい、極く公平な人、敵をも憎みもせぬ、味方にも贔屓をせぬと云ふのが議長の役目であります、それにはどうしても人格第一に選挙をしなければならぬ、ところが同じやうな人格者が多数党にもあり、少数党にもあり得るのである、その時にはイギリス辺りでは必ず少数党の人を議長に推します、昔からさうである」
行雄は議長選挙についての持論をひととおり述べた上で、諸外国の事例を詳細に調べるべきだと要望しました。このほかにも行雄には言いたいことが山ほどありました。藩閥政府や軍閥政府によって議会の諸規則がいかに歪められてきたか。今日の議会が当然としている慣例の多くには根拠がないこと。六十年を超える苦渋の議員生活が行雄の脳裏に去来しています。できることならばすべてをやり直したい。行雄の議会改革論は膨大すぎて話しきれないほどでした。
「この類のことを挙げますれば際限なくあります、悪習、悪例は幾らでもあります、これをことごとく改めて正しき道に立たなければ、日本の立憲政治はとても発達はできませぬ、したがって選挙人を直すなどといふことも出來ませぬ、今回の選挙などに付ても、私から見れば実に残念なことが数限りなくあるのでありますけれども、議員が既にそういう数限りなく不都合なことをして居る議員でありますから、これを捨てて置いて選挙人を改めようなどといふことは、如何に言つた所が、とても行われるものではありませぬから、先づ議員が議員自らその職分を全うし、憲法上に与えられたる権利を奪い去られない工夫をして、然る後、選挙人に及ぶといふことにしたいのである。今日いわゆる政治家、政党等のする仕事は、どうも総て間違つて居るやうであります」
第九十議会の最重要懸案は憲法改正でした。新憲法案がほぼ固まった昭和二十一年八月二十四日、行雄は求められて登壇しました。その冒頭、行雄は新憲法案に全面的な賛意を表わしました。行雄は区々たる条文の是非善悪には一切触れず、新憲法運用の問題を論じました。大日本帝国憲法は決して悪い憲法ではありませんでした。しかし、憲法は封建思想によって運用されました。藩閥や軍閥は憲法が認めている人権や自由を法律によって奪い、議会もその先棒を担いだ。つまり、どれほど立派な憲法を戴こうとも、その運用が悪ければ意味がないのです。
「これまでの憲法すら、我が国民は十分に実行し得ない結果が、千古未曾有の国辱となつて、今日、現はれて居ります、あの憲法が正当に行われて居るならば、決して今日の如き大屈辱には遭遇せぬはずであります、しかして今回制定せられんとするところの憲法は、彼に比すれば非常に優れたものである、優れれば優れる程、知識、道徳の尚ほ低い我が国人民におては、実行は困難であるといふことを覚悟しておかなければなりませぬ。良い憲法さへ作れば国が良くなるなどといふ軽率な考えを以てこれに御贊成になりますると、非常な間違いである、憲法で国が救はれるならば、世界に滅亡する国はありませぬ。良い憲法を作ることはまことに容易なことである。併しこれを行ふことは非常に難かしい。この点を諸君に尋ねると同時に、私は顧みて己れにも尋ねなければならぬ程に心配を致して居ります」
行雄は意外なことに議場の構造にケチをつけだしました。大臣や政府委員等は議員よりも一段高い雛段に列席しています。民主主義の主体は立法府であり、行政府はその補助機関たるべきに、国会本会議場の構造自体が行政府の優位を証明しています。
「元来、民主主義となる以上は、国家の政治の主体が議会になければならぬ。行政府はその補助機関とも言うべき位置に立つのであります。今度の憲法によっても、総理大臣は国会の指名によってその人を定める、即ち総理大臣の選定までも立法府に移るのであります故に、これまでは主客顛倒、従来は行政府が国の政治の主体であった。立法府はその補助機関、極めて柔弱微力なる補助機関の如く扱われて、また全国人民も大体それに満足して居ったやうでありまするが、今日この憲法が制定せらるる以上は、それではいけませぬ。立法府が国家政治の主体であって、行政府はその補助機関とならなければならぬ。之を実行するに当たっては先づ議場から改造しなければならぬ。この議場の造り方は何でありますか。大臣席及び政府委員席の如きは一般高い所に設けて居る。これは議院を全く無視した、補助機関として造つた構造である。かくの如き不都合なる議場において、本当の議事が運べるはずはないのであります。故に第一に、真に民主主義を行なおうとい御考えがあるならば、先づ第一にこの議場を改造をせねばならぬ。大臣席あるいは政府委員席などは直ちに廃止して、そこは議員席としなければならぬはずのものである、議場では、議員外には何人も発言権を与うべきはずのものではないのでありまするが、我が国において議員の発言権は極度に制限せられて居る。これに反して大臣及び政府委員の如き、補助機関となるべきものは、何時でも発言することを許して居る。かくの如く主客転倒、己れの位置すらも知らない議会の構造において、真の民主主義を行おうなどということは、非常な心得違いでありまする」
憲法を改正するなら、議場も改造せよと訴えました。次いで行雄は往事を回顧して日本の議会政治や政党政治の問題を列挙し、国民の心根に染み着いている官尊民卑の弊習を正すべきことを述べましたが、それだけのことでした。どんな名論卓説も議会を動かすことはできません。議会は数の力でしか動かない。道理では議会は動かない。かつて帝国議会に失望した行雄は、敗戦後の議会にもやはり失望しました。
新憲法が昭和二十一年十一月三日に発布されたことにより、その後の政治日程は、昭和二十二年四月総選挙、五月新憲法施行、同月第一回国会開催と決められました。総選挙を前にした三月十三日、行雄は選挙革正決議案を提出し、その説明演説に立ちました。憲法が変わったとはいえ、肝腎の日本人はもとのままの日本人です。旧来どおりの弊習のままに選挙を行ない、新憲法を運用すれば、再び亡国の悪夢に襲われないとも限りません。
「わが国現在の議会制度及びその運用は、非常に過ちが多いことを認めなければなりません。諸君の日常なすところのものを拝見いたしますると、現在やっておるこの憲法の運用が正しきものであると考えておいでるかのごとく見えますけれども、現在の運用は、根本的に間違っておるのであります。これを第一に御承知を願いたい。間違っておらなければ、明治、大正の世の中を経て、大分よい国になったところの日本帝国を、今日の窮境に陥れる気づかいはないのであります。これを陥れたということが、わが国民の知恵も道徳も、まだ旧憲法すら満足に行うことができないという程度であったということがわかる。それがわかるならば、さらに進んだところの新憲法は、なおさら容易に正しく行うことができないということだけは、お認めにならなければならない。これを虚偽と迷信とに基いて、勝手なわけもわからぬ理屈をつけて、立派に運用できるがごとくお考えになると、これは亡国の上にさらに過ちを重ねる途であつて、日本を復活せしめることは絶対にできません」
行雄は選挙のやり方を変えよと主張します。旧来の選挙方法で議員を選べば、旧来どおりの議員が当選する。これでは新憲法の運用も旧来どおりのことでしかない。要するに行雄は金権選挙をやめろと訴えたのです。
「第一に、金をよけい使う候補者には、もうそれきりで投票を入れるなということを私は言うのであります。おのれの金すらもむだ使いする人間を、生命財産の監督者に選びますれば、人の金をもなおむだ使いすることは請合いであります。ゆえに選挙費を多少でも使う者は、議員たるの資格なきものと鑑定せよと、私は全国選挙民に告げるのであります。第二には、縁故情実、ことに職権等を濫用して、縁故情実をたどつて投票を集むるような者には、絶対に投票を入れるな。かくのごとき者は、やはり縁故情実によって、自分のためにはいかなる国家の損害でも顧みずやるという資格を具えている者でありますから、さような者には入れるな」
行雄はおのれの六十年にわたる経験から導き出した選挙のあるべき姿、議会のあるべき姿、政治家、官僚、立法府、行政府、政党などの理想像を熱弁しましたが、手応えは全くありませんでした。誰もが来たるべき総選挙のことで頭がいっぱいです。金策に懸命な議員たちに向かって、「金を使うな」と訴える行雄の姿はやや滑稽ですらありました。行雄は驚天動地の提案をします。
「選挙粛正のために必要なる詔を、天皇陛下から下し賜わらんことを希望するのであります。どうしても陛下が幾ばくかの責任、国家を滅亡に導いた責任をお感じになって、これを生き返らせるためには、選挙から改めなければならぬぞ、という懇切な詔を賜わりたく考えておるのであります。既にこれを陛下にお願いする以上は、前非を悔悟して、魂を改めて、次の選挙に臨むという事実を示さなければならぬ。それはどうしたらよろしいかといえば、今日は滅亡状態に陥って、外国の軍隊の支配の下に住んでおる世の中でありまするから、この時にあたって、政党政派などを立てて互いに軋轢するということは、実に国家有害のことであるから、当分日本が立ち直るまでは政党をば解散するということを、断然各党派が御賛成にならんことを熱望いたします。これだけのことをせなければ、陛下だけに詔勅をお願いするということは、私は無理だと思います。上下一体として、陛下は責任上改めよという詔勅を発し、議会の方は、これまでの国を誤った政党政派、亡国の手伝いをやはり政党政派は大いにしたのでありますがゆえに、これを解散する」
天皇の詔勅を得て、政党を解散せよと行雄は訴えました。この驚くべき提案を含む行雄の決議案は賛成多数で可決されました。なんと可決です。驚くべき議決です。ですが、さらに驚かねばならぬのは、可決されたこの決議案が全く実行されなかったことです。行雄は完全に失望しました。
安全保障論では玄人はだしの利害打算をする行雄でしたが、こと選挙論や議会論になると高尚な理想論に終始してしまうというのは、どういうことでしょう。行雄は政界の現実を充分に見据えていましたが、それに近づくことを理想が拒否しました。行雄が現実に近づき、これを呑み込み、打算し、利用したならば、あるいは政界を牛耳ったかも知れません。しかし、それはかつて星亨が目指したものであり、原敬が達成したものです。行雄はそれを潔しとしませんでした。これは、是非を問うべきことではないかもしれません。これも人生、それも人生です。
「顧みれば、私という人間は、初期議会以来終始衆議院の議席を持ちながら、真の政党をつくることにも失敗し、国民の政治教育にも失敗し、軍閥の政治横領を抑えることにも失敗し、ヒトラーなぞと組んで米英と戦えば、必敗亡国の外なきことを予言もし、警告もしながら遂に過般の戦争を阻止することもできなかった一個敗残の政治浪人に過ぎない」
後に行雄は自嘲気味に書いています。憲政擁護のために働き続けた行雄は、結局、何事も達成できませんでした。しかし、それは歴史文化の慣性力に屈したのであって、封建時代からわずか二十数年間の専政時代を経て、立憲主義と議会政治を導入しようとした日本という国家の大いなる挑戦の挫折でした。その失敗の過程の中にも数片の結晶があったとすれば、尾崎行雄が示した言行一致の生涯こそ、そのひとつです。
帝国議会は国会と名を改めました。第一回国会は昭和二十二年五月二十日に始まります。この国会に行雄は平和決議案を提出しました。講和会議の開催に先んじて、世界平和の理念と講和条約に応ずる日本の姿勢を世界に宣明しようとしたのです。
「今回の平和会議においては従来の慣例を根本的に革新し、強弱勝敗を基礎とせず、人類相当の理性を基礎として、終始せしめんことを切望し、ここに之を決議す」
前文に続いて決議案は台湾、朝鮮、琉球、満洲等を国際連合の管理下に置くこと、賠償金は彼我の損害を公正に計算した差額分とすることを挙げています。第三項はある意味で敗戦国らしからぬ内容です。
「戦勝国もし理数を無視して賠償を要求せば、我は道理と計数を以ってこれに反対し、その取り立てに協力せざること」
戦勝国が公正にやらないなら、賠償に応じないというのです。いかにも行雄らしい条項です。が、衆議院はこの決議案を上程しませんでした。書類にも手続きにも問題はないはずでしたが、上程されません。行雄は衆議院議長松岡駒吉に抗議しました。これに対する松岡議長の回答は明快でした。
「総司令部からの忠告だ」
松岡議長によれば、総司令部の意向を確認したところ上程しないよう忠告されたと言います。
「忠告ならば、それにに従うか、従わざるかは当方の自由である」
あくまでも行雄は議長の判断根拠を聞き出そうとしました。するとついに松岡議長は本当のことを言いました。
「総司令部から上程するなと命令されている」
命令であるという。日本には主権がなかったのです。占領下日本の総てはGHQ総司令部の管理下にありました。国会の議案、決議案、建議案さえ検閲の対象であり、自由にはならなかったのです。行雄は沈黙しました。占領されるとは、こういうことです。主権を失うことの意味を思い知らされました。それにしても行雄が不満に感じるのは、政府や議会の態度です。かつて軍閥の意向に迎合したのと同様、今ではすっかりGHQの意向を忖度し、卑屈な態度を取り続けています。行雄は嘆きました。
「さし当たりアメリカの援助がなければ、日本の立ち直りはできないというのは事実であろう。しかし、平和国家として立ち直った上で、充分恩に報いる覚悟があれば、乞食根性を出したり、全く自尊心を失って、あたかも喪家の狗の如き卑屈な醜態をさらさないでもよさそうなものだ」
人類共通の道理と理性と法とを以てすれば、いかようにも権利を主張し得るものを、はじめから敗者に成り下がっています。敗れて屈せざる大国民の性格を養成することが、行雄の新しい目標となりました。




