表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
36/39

辞世幾度

 第七十議会を前に新しい議事堂が完成しました。大正九年から実に十七年もの歳月をかけて建造された新議事堂は、立法の府にふさわしい威容を誇っています。しかしながら、憲政の内実はすでに失われていました。

(皮肉なものだ)

 行雄は、新議事堂の完成を素直に祝う気持になれませんでした。加えて旧議事堂への愛着もあります。四十年以上の長きにわたり行雄の戦いの舞台だったのは木造の旧議事堂です。つい感傷的になったのは年令のせいかもしれません。

 第七十議会は紛糾しました。衆議院議員浜田国松と陸相寺内寿一との間にいわゆる「腹切り問答」が交わされたのは、昭和十二年一月二十一日です。ヘソを曲げた寺内陸相は衆院の解散を要求しました。しかし、議場の問答が気に入らないからといって衆議院を解散するなどという馬鹿なことは出来ません。広田弘毅総理は説得に努めましたが、寺内陸相は聞きません。閣内不一致があきらかとなり、広田内閣は総辞職しました。組閣の大命は宇垣一成に降下しました。宇垣は、かつて陸軍の軍縮を断行した実績ある陸軍出身の政治家です。ところが陸軍は、この大命降下を不服とし、あくまでも陸軍大臣を出さず、復活したばかりの軍部大臣現役武官制を悪用して宇垣内閣を流産させました。陸軍は憲政の手続きを破壊したのです。壊した後に優れた新秩序をつくりあげたかといえば、そうではありません。秩序が失われただけで回復されず、大日本帝国という国家そのものが軍閥と財閥の草刈場と化しました。すったもんだのあげく林銑十郎内閣が成立したのは二月二日です。林銑十郎は、朝鮮軍司令官時代に独断で朝鮮軍を満洲事変に投入した人物です。

 この時期の行雄は、暗殺、という陰惨な行為についてしきりと考えていました。日本史上の暗殺事件、特に幕末以来やむことなく続発する暗殺、そして何より暗殺によって失われていった先人たちの命。思い浮かぶだけでも佐久間象山、横井小楠、坂本龍馬、大村益次郎、広沢貞臣、大久保利通、森有礼、星亨、伊藤博文、原敬、浜口雄幸、井上準之助、団琢磨、犬養毅、等々。

(日本ほど暗殺事件の頻発する国は無いのではないか)

 有為の人材を失うことによって損なわれた国益を強いて見積ったなら、いったいどれほどの巨額にのぼるでしょう。

(暗殺を以って愛国的所業とする熱狂者がたくさんある)

 それもこれも日本人が未だに封建時代の価値観を抜けきれていない証拠です。政治教育家を以って自認している行雄としては、敵わぬまでも発言し、国民の迷妄を払わねばなりません。すでに遺書代わりの意見書である「墓標に代えて」も出版しました。思い残すことは無いはずでしたが、事は決して容易ではありません。行雄は、自身が暗殺される場景を幾度も生々しく想像し、そのたびに恐怖と闘っています。

(臆病者は本当に死ぬまでに幾度も死ぬが、勇者は一度しか死を経験しないという。俺はいったい何度死ねばよいのか)

 行雄はシェイクスピアの名言を思い出しては自嘲しました。旧友犬養毅は勇気の人でした。おそらく一度の死だけを経験したのでしょう。行雄は物心ついた頃から臆病でした。しかし、克服したと思っていました。かつて帝国議会が開設された頃、世情は騒然としていました。行雄は家の門をくぐるたびに死を覚悟したものですが、それでも恐ろしくはありませんでした。壮年時代、行雄の気力は充実していました。臆病はすっかり影を潜めていました。ですが、行雄は老いました。老いとともに気力は衰えてきています。生来の臆病が甦ってきたようです。このまま権力と距離をおき、沈黙を守っていれば、命をながらえることができます。しかし、このまま黙っていてよかろうはずがないのです。幼い頃、父に命ぜられて屍体検分に行かされた時の記憶が甦ります。嫌で嫌で堪らぬが、それでも我慢せねばならない時の心の葛藤、草津温泉の「熱の湯」に入ってこいと命ぜられたときの絶望的な気分、幼年時の奮闘を思いだし、老年の行雄は勇を鼓舞しました。行雄は帝国議会で軍部の横暴を糺弾するつもりです。

「危ないからよせ」

 周囲の人々は誰もが止めました。その声に甘えたくもなります。行雄は心中の怯懦を振り払うため辞世の句をしたためました。


  大君も聞こし召すらん命にも かえて今日なす我が言挙げを


  正成が陣に臨める心もて 我は立つなり演壇の上


 その日の朝、行雄はいつもどおり午前六時半に起床し、西式の健康体操を二十分間行ないました。朝食をとると、朝刊を手に書斎に入りました。新聞に目を通すと、その日の質問項目を紙片に書き出し、しばし黙考しました。午前十時十九分逗子発の列車に乗ります。昭和十二年二月十七日は晴天でした。冬の陽光が行雄の革靴を温めていました。その温かさが快い。

「死んで帰ってくるかもしれない。覚悟をしてください」

 行雄の言葉に、尾崎家の誰もが大真面目に肯きました。行雄を送り出した家政婦の服部は、いつでも飛び出せるようにと帯を締め直しました。

 行雄は辞世の句を懐にして本会議場の演壇に立ちました。行雄の演説ぶりは普段どおりです。常日頃の持論を以って政府の方針を問い質しました。過重な軍備費が国家財政を圧迫し、国民生活を逼迫させていること。国力において劣る日本がいかに軍事費を増額しても英米を凌駕することは出来ない。しかも同時に二ヶ国、三ヶ国、四ヶ国を敵に回すようなやり方で国防が成り立つのか。国防の方針は陸主海従なのか、海主陸従なのか。海陸同等という政府方針は、如何なる想定に基づいているのか。さらに行雄は日独防共協定には何らの効能も認められないとし、あるというならそれを示すよう求めました。ひととおりの懸案事項を質問し終えた行雄は、根本的な質問へと矛先を転じます。

「一番大きい問題、帝国の方針は何であるか。日本帝国は何処に行くつもりで今の政府は舵をとっておるのか、それが分かりませぬ。いずれにしても帝国は大きく発展せなければならぬが、その発展は武力を主として発展するか、あるいは経済的発展を主とするかくらいの方針は定まって居らなければならぬ。武力と経済と両方ともに発展するにしても国家の方針、即ち国是としては何れに重きを置くかというくらいの大方針は定めておかなければなりませぬが、その方針はどれであるか。これを他の言葉で言えば、国是を発展せしむるには北の方に発展せしむるつもりか、南の方に発展するつもりであるか、大陸を相手にするのか、海洋を相手にするのか、そのくらいのことを決めなければ、ほとんど夢遊病者がうろついて歩くような状態で、全く国の方針無く、あるいは北に向かい、あるいは南に向かい、大陸に手を付けるかと思うと、海洋にも伸びんとする。それではとうてい目的を達することはできませぬから、国是に関する大方針をぜひ承りたい」

 次いで行雄は、日本の相手国たる英米露支四ヶ国と日本との関係を詳細に検討して見せました。その分析は軍事、外交、経済、思想感情にまで及びました。行雄は長年の経綸のすべてを惜しげもなく披露します。この日、昭和十二年一月の段階では、英米露三国と日本との間に決定的な衝突はなく、日本にその気さえあれば友好関係の構築は可能でした。行雄がもっとも憂えたのは日支関係です。この時点で日支関係を何よりも重視し、その改善を訴えたことは行雄の現実検討能力の高さを物語っています。日支の関係が好転しさえいれば、この後の歴史はよほど変わっていたでしょう。行雄は支那をして安心せしめよと訴えます。

「支那がもっとも心配するところは、何をするか分からぬということが一番心配である。日本は何処までは来るが、ここから先は来ないということさえ分かれば、大抵の人には安心を与えることが出来るのでありまするが、現在は何が目的であり、何処にどうするのであるか、支那人には決して分かろう気遣いはない。吾々にすら分からぬのであります」

 満洲の現状について、行雄は追認する立場であることを明言しました。

「元来、満洲にあれだけの手を伸ばしたことについては、事前であれば本員は意見があります。また今後においてもよほどの困難を伴うことを予想しております。しかしながら既にあれまで伸ばした手は帝国の面目としても、どの点から見ても、一歩も退くことは出来ないと確信致して居るのであります。不本意ながら本員はそう確信して居るのである。これは事実に即した鑑定であります」

 行雄は国家的見地から打算します。すでに日本は満洲に莫大な投資を行ない、多くの企業や入植者が渡満しています。今さらそれを放棄できるものではありません。ですが、問題はその次です。支那を安心させよ、安心させるためには日本の方針を明示することだと行雄は言います。かつて日本は日清戦争に勝利して朝鮮半島、遼東半島、台湾を得ました。それでも当時の支那人は必ずしも日本を敵視せず、それどころか日本に多くの留学生を送り込んで学ばせました。それ以上の野心がないことを日本政府が明らかにしていたからです。

「あれだけ傲慢な支那を二十七八年の役に見苦しきまでに叩きつけた時すらも、こちらに悪意がない、好意を持って居るということが分かったから、直ちにあれだけの支那留学生が来た。この事実がある以上、今後といえども必ず同じ事が出来ると信じます」

 支那を安心させればよい。支那が安心すれば英米も安心するであろう。安心させるためには日本の意図を明らかにし、何処まで進み何処で止まるかを宣言すればよい。それが何故できないか。事実上、今の日本には政府がないからだと行雄は喝破します。

「外務省のすること、陸軍省のすること、何か分からぬ、支那人に会って聞いてご覧なさい。困ることは誰を相手にして宜しいか、どうしても分からない。日本という相手を見つけることが出来ないということを誰でも申しております。支那人が言うばかりではない。欧米の外交官でも支那に居る人に聞いてご覧なさい。日本には政府が有るのか無いのかということを、ごく内輪話には多くの人が言っております」

 暗に軍部の専横を難じたのです。日本政府に方針がないのは、実権が内閣にないからです。軍部が好き勝手をするからです。外務省の約束を陸軍がひっくり返す。陸軍省の約束を現地軍が反古にする。これでは無政府と言われても仕方がないのです。

「林総理大臣は外交一元化という。まあおかしい言葉であります。外交に二元三元などという馬鹿げたことがあろうはずはないのでありますが、実際はあるものと見えて、一元化と政府の人も言うらしい。まことに恥ずかしいことであるが、恥を忍んでも、どうしても支那に対する方針は行く所と止まる所の境を確定しなければなりませぬ。それさえあれば私は日支の関係は真に親善が出来ると思います」

 周辺諸国と親善関係を結びさえすれば、総予算の五割に近づくような軍事費は必要なくなります。外交も内政も好転に向かうのです。だからそれを為せと行雄は訴えます。誰もが冷静な判断力を失いつつあるなか、行雄は冷静に国際情勢を分析し、しかも具体的な策まで示します。簡単なことです。日本の対支政策を明示して、その境界を決めるだけです。出来ないはずはなかったのです。日本に政府が存在していれば・・・。行雄は話題を転じ、やみくもに危機を煽る世論の嘘を暴きます。危機などはないのです。正確に言えば、ヨーロッパには危機があるものの、東洋にはない。さらに言えば日本次第で東洋の平和は守られる。

「世間の人の言うこと及び新聞などに現われて居る所を見れば、アメリカは盛んに軍備を拡張する、イギリスもやる、ドイツもやる、ロシア、イタリアもやる。故に日本もやらなければならぬ。これを危機とか、非常時とか、準戦時代とか言うのでありましょうが、これらの言葉が私には一切わからないのである。何故日本が危機であるか。ヨーロッパはいかにも危機である。再び大戦争がいつ起こるかも知れないという状態にある。スペインの内乱の如きはすでに小さき程度において国際戦争にまで発展しております。故にヨーロッパにいつ大戦争が起こるかも知れぬというのは、皆心配して居る点であります。故にヨーロッパにおいては非常に危機がある」

 ここで一呼吸おいた行雄は、ある意味で悪魔的な現状認識を述べます。

「ヨーロッパの危機は東洋の安機であります。ヨーロッパが危機であるから、東洋が危機であるというのはよほど事態を解せぬ者であるにちがいない。前にも申したとおり、いざという場合においてわが相手となるべき陸海の国は四つより外はないが、このうち三つはヨーロッパにあるのであります。ヨーロッパはいつ大戦争が起こるかも知れぬという危機がある。その危機が彼等にあるときには、その三国は東洋に向かって手出しをしたくとも出来ないと言うことは明らかであります。現に出さない」

 行雄の腹中には機略縦横が収まっています。この冷厳な現実検討能力こそが、この時代を生き抜く知恵というべきものです。その知恵を最も豊富に有すべき軍事官僚がそれを持たず、立憲主義の政党政治家たる行雄にその能力があったというのはいかにも皮肉です。

「相手となるべき国等の危機は、こちらの安全になるこということ位はわかりそうなものである。即ちヨーロッパの危機は東洋の安機である」

 要するに日本の外に危機はない。ところが日本の内に危機がある。行雄は日本国内に存在する危機をずばりと言ってのけました。

「一言に言えば、軍部の勢力を抑え得る力は、現在の日本には欠けて居るように見えます。軍部は国家の必要な機関でありますけれども、軍部というものは大元帥陛下の命令に依るに非ずんば手も足も動かすことはならぬ。ところが近来は、その軍部が自由意思によって時々動くかの如き形が世間に現われております。軍部が自由意思によって動くことは、刀剣に魂を入れて刀が勝手に出ていって人を斬ると同じようなものであります」

 大元帥陛下の命令もなく、内閣や参謀本部や軍令部を経ずして軍隊が動いている。その実例として行雄は五・一五事件と二・二六事件をあげ、宇垣内閣の流産をあげました。さすがの行雄も満洲事変の真相はまだ知る由もありません。それでも軍部がよほどの危機的状況にあることはわかります。

「陸軍大臣の上に立って監督する者がある。それが何者であるかを知りたいのであります。若い将校であろうと思います。ただしこの若い将校の中にはよほど優れた人があるように私は感じます。何故ならば、ただ大臣を勝手に動かすのみならず、世論をもよほど指導しております。例えば、危機とか、非常時とか、準戦時代とかいうようなことは、みな軍部の若手が工夫したことでありましょう。そうすると全国皆それに雷同して、危機、非常時と騒ぐ。何が危機であり、何が非常時であるかは知らないで、日本中騒いでいる。これだけ日本全体を指導し得ることは、私ども六十年努めたけれどもできなかった」

 行雄は、陸軍を実質的に動かしている青年将校を反語的に誉めあげ、彼等を表に出せと要求します。

「どうぞ軍部においてはこれらの人を紹介して戴きたい。大臣を監督するだけの力のある人をば、願わくば官制を改めて軍部の大臣にしていただきたい」

 軍部あるいは青年将校に対する痛烈な皮肉です。この発言をするためにこそ、行雄は辞世の句を詠んだのです。尾崎の軍部批判は続きます。

「軍人が政治に興味をもつことは宜しいから、持ったら直ぐ軍服を脱いで民間に出て来て政治をやるべきである。軍服を着て居る間は政治に関与してはならぬ」

 演説の最後、行雄は再び国是国策を論じ、英米露支四国を敵に回すような国策の無謀を諫め、英米との協調を説きました。それは決して危機などではなく、むしろ平和のうちに経済の諸問題を解決しうる道です。英米が支那大陸における門戸開放と機会均等を要求するなら、日本からも英米植民地の門戸開放と機会均等とを要求すればよい。軍事に頼らずとも外交的にやれることは多いのです。

「すでに英米が東洋に向かって門戸開放、機会均等を唱えて、これを主張した以上、全世界の植民地に対しても同じことを唱えよと、帝国が指導者となって世界を導けば必ず幾年かの後に全世界を率いることができる。先ず植民地に向かってこれを為し、続いては本国に向かっても門戸開放、機会均等、関税障壁の撤廃、すべての物資及び人類の出入りを自由に致すということになれば、これで世界の争いの原因は無くなります」

 驚くべきことに行雄の長い演説の間、野次らしい野次がなく、拍手ばかりが湧きました。行雄の命がけの演説は三時間に及び、衆議院議事録の十頁が行雄の演説で埋まりました。

 午後九時、行雄は無事に逗子の自宅に帰りました。尾崎邸は四人の警官によって護衛されていました。行雄はその四人としばらく談笑した後、夕食をとりました。行雄は普段どおりに冗談を言います。

「せっかく辞世を詠んだが、まるで掛け捨ての傷害保険みたいだったな」

 夕食後、行雄は習字をし、入浴し、午後十一時に就寝しました。行雄の就寝を見届けた服部は、緊張が一気に溶け、涙があふれてきました。

 翌日の新聞各紙は行雄の演説を絶賛しました。全国各地から行雄を激励する手紙が数多く届きました。行雄は政府追及の手を緩めず、質問主意書を次々に提出しました。三月二日「衆議院解散に関する質問主意書」、三月九日「広田内閣の辞職と林内閣の成立に関する質問」、三月二十三日「財政経済軍備及び外交に関する質問」という具合です。行雄は文書を以って訴えます。

「憲政を維持しかつ国家を救わんと欲せば、請う、先ず言論の自由を確保せよ。また武門政治を予防して帝室の尊貴を保たんと欲せば、請う、先ず軍人の政治に関与することを禁遏せよ」

 これに対する政府答弁書は通り一遍の官僚的作文に過ぎませんでしたが、それでも答弁が無いよりはマシでした。演説にも危険が伴いますが、文書による質問主意書にも危険がないとはいえません。行雄は質問主意書を出すときにも辞世を詠みました。


  長らへし甲斐ぞありける大君の 御楯となりて命捨つれば


  我が濺ぐ清き血汐は千万の 御霊となりて御国護らん


 幾度も死を覚悟した行雄ですが、誰も殺しには来ませんでした。ただ、様々な噂は耳に入ってきました。二十以上の右翼団体が行雄の命を狙っているといいます。ですが、殺しには来ず、そのかわり不敬罪で行雄を訴えてきました。やや拍子抜けのした行雄は、辞世ではなく戯れ句を作りました。


  都度都度に辞世は詠めど猶死せず 恵まれし身か呪われし身か


 弱い者でも死を覚悟すれば強くなれます。その場合、弱いということが重要です。中途半端に強ければ、死を覚悟できません。極端に弱ければ、死を覚悟せざるを得ず、その覚悟が人を強くします。弱さが極まって強くなる。古代中国の陰陽論にいう陰陽転化の法則を行雄は体感しました。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ