2話 その行為 ~神狼にとっての意味~
アルカディア王国の高くそびえ立つ城壁の一角。
入国審査を待つ人ごみの中に、薄紫色に鮮やかな黄金の刺繍がほどこされたローブを目深に被った、小柄なものがいた。
なるべく目立たないように彼はただ黙って、歩みを進めていただけであったが、いささか彼の風貌は目立っている。
入国門を待つ人々に庶民は、皆汚れがついた麻や絹で作られた地味な衣服を着ている。
その中で、小柄でありながら神聖ともとれる装束を纏い、只ならぬ雰囲気を醸し出しているこの少年(?)に注目が集まるのはある意味では自然なことであろう。
先日、この国を守り続けてきた神霊樹の加護が失われた。
その大事件が、この国ともに生きてきた者、この国を求めてやって来た者に尋常ではない衝撃と不安を与えている。
そのことを、彼はフードに隠れた犬耳をピクピクと動かすことで、まわりのすべての声から判断していた。
魔物がはびこる国外から来た人々の中には、食料や武器を売る商人、魔物を倒すことを生業としている冒険者、多くの奴隷の入れられた檻を引く奴隷商人など様々な職種の人々が見られた。
魔物が徘徊する外から来た彼らは一様に、多少なりとも神経質になっていた。彼の聴く大抵の声が、不安をつぶやくもの、早く入国させろと叫ぶもの、他者へ汚い言葉を浴びせているものであった。
まわりの人々から見れば、俯いた彼の顔は口元しか見ることができない。
しかし、フードに隠れた彼の顔は哀しみに溢れていた・・・。
十中八九この場のにおいのせいであろう。
そんな時、ほんのわずかだが彼の鼻がピクンと揺れた後に背後から近づき声をかける存在があった。
「そこのローブの君、ひとりで来たの?」
後ろを振り向くと、頭にバンダナを巻き赤毛を三つ編みにした活発そうな少女が見下ろしていた。
彼女の背後には、農作物を運びに来たとみられる彼女の家族らしき集団も佇んでおり、彼のことを心配そうに見守っていた。
少女の問いに、彼は只こくんと頷いてみせた。
「もしよかった、わたしたち家族と一緒に来ないかな?
なにか訳ありなんだろうけど、君みたいな小さい子がひとりでいるのを見かけて、私も皆も見過ごせなくって声をかけちゃったんだけど・・・。」
(・・・・・・)
彼は数瞬なにかを考えたようであったが、今度は首を横に振って彼女に返事を返した。
「ありがとう、お嬢さん。でも、大丈夫です。
この国にはやるべきことしに来ただけですので。」
彼の声を聞いた少女は、かなり驚いた様子であった。
その原因が、断られたことなのか、年下の少年に「お嬢さん」と呼ばれたことなのか、透き通った美しい声を聞いたことなのかはわからないが、しばらく呆けた少女が意識を戻し、
「そっか!ごめんね、いきなり見ず知らずの人に着いていくのも不安なことだよね!」
少女がはにかみながらあわてて返事したあと、家族の元へ走りなにかを持って戻ってきた。
「もしよかったら、入国できるまで時間が掛かるだろうからこれどうぞ。
うちの家族で作ったリンゴだよ。小さくて形は悪いかもしれないけど、美味しいから食べてみてね!」
そう言うと、少女は彼の手に赤くごつごつとしたリンゴを置いて自分の持つもう一つのリンゴをかじって満面の笑みを浮かべた。
まるで、彼の不安をほんのわずかでも払うかのように。
「それじゃあ、気をつけてねー!!」
その言葉を残し、少女は家族の元へと走って行った。
向こうからは「振られた~」などと冗談まじりの家族の会話や笑い声がわずかに彼の耳へと届いていた。
彼はフードの下でくすりと可愛らしい笑みを浮かべ、空いてしまった列を埋めるため先ほどよりも少し軽快となった歩を進めた。
(嫌なにおいに当てられすぎていたみたいだ・・・)
本来、世界を守護し生命を愛する神狼にとって、良いにおいのする生命とは心地のよいものである。
彼に近づくのを許されること、彼に笑顔を向けられること、彼に触れるのを許されること・・・これらの行為が意味することを知る生命は、現世にはまだ存在しない。
また、その逆の意味するところはあまり想像したくないものであるが、それが間もなく起こってしまうことは、神狼である彼もまだ知らぬことである。
揚々とした様子で、リンゴをかじりながら歩く美しい風貌の少年が、ついに入国門へと辿りついた。