12話 マリナのにおい ~神狼の休息~
謁見の間にて宴を行っている中で、レイには王城の中でも特別な来賓をもてなす部屋で休んでもらっていた。
何ひとつ不便なことがないよう、そして神狼たるレイの機嫌を損なわぬよう優秀なメイドを数名を配置するなどアルフレッドは最大限の配慮を行っていた。
そんな中で、突然メイド達に気付かれることもなく部屋からレイがいなくなった知らせを受け、王城の中では宴をやっている場合ではなくなり、総出でレイを捜索していた。
慌ただしく騎士やメイド、執事たちが駆け回ってレイを探す中、動きやすい薄着に着替えたマリナは両手を胸の前で固く結び、不安げな表情をしながら廊下をゆっくりと歩いていた。
(レイ様・・・。精霊姫の願いを聞いてくれるとおっしゃっていたのに・・・。もしかして、もう・・・どこかへ行ってしまわれたのでしょうか・・・。)
レイに会えなくなってしまうかもしれない。そう思うだけで、どうしようもなく胸が張り裂けそうな気持ちになってしまう。
今日初めて会ったばかりの神狼。
それなのに、自分の心の大部分を占めているレイの存在にマリナは気付きつつあった。
そんな絶望の淵にでも立たされているようなマリナの前を、一抹の望みを与えてくれるようにヒカリがてくてくと歩いていた。
時々マリナを見返しては、励ますかのように彼女をどこかへ導こうとしている。
まるで、自分の主が何を一番求めているのかをわかっているように・・・。
そして、歩き続けること10分弱ほどで、王城の端の方に配置されていた使用人にあてがわれている部屋が集まる塔の一室の前でヒカリが立ち止り、部屋を空けて欲しいと訴えるようにドアをカリカリと前足でひっかき始めた。
(この部屋って・・・。)
マリナは僅かな驚きを感じながらもその部屋のドアを静かに押しあけた。
そこは使用人たちが不自由しないほどの大きさの部屋であり、今現在は誰も使っていないことをマリナは知っていた。
部屋の中には洋服などを収納するタンスが一つ置かれ、窓も一つのみ取り付けられている。
あとは簡素なベッドが一つ置かれているのみであったが、使われているはずのないそのベッドの上には、誰かがいた。そして、ゆっくりであるが上下に動いていた。
マリナは足音を極力立てないようにベッドへと近付き、枕の上までかけられた毛布を静かにずらした。
「・・・・。レイ様・・・。」
そこには、ベッドで横向きになり滑らかで柔らかそうな毛並みをした尻尾を自分の胸で抱きかかえ、幸せそうな顔で眠っているレイがいた。
今は昼間に来ていたローブを脱ぎ、マリナが初めて見るその内部が露わになっていた。
側面からの細部までは見てとれぬが、肩から先の袖がないローブよりも少し濃いめの鮮やかな紫色の上着を着ており、どこまでも白くて細い腕が尻尾を大事そうに抱えていた。
ズボンはローブと同じような薄紫色をしており、よくよく見れば足先に近づくにつれて少し膨らんでいる形状のようになっていた。
太陽の光に照らされ一つにまとめられていた美しい白銀の長髪は、今はすっかり解かれベッドへと投げ出されていた。その体型と髪を見れば、やはり美少女が寝ていると勘違いする者もいるだろう。
自分が渇望していたレイの姿を窺い心の底から安堵したマリナは、レイの寝姿にしばらくの間見とれてしまっていた。
(・・・はっ!そんな場合ではありませんでしたっ!!)
頭をぶんぶんと横へ振るい、廊下へ顔を出すとちょうど近くを通ったメイドへと話しかける。
「あのっ、レイ様が無事に見つかりましたので、もう心配はいりませんとお父様たちや皆に伝えてもらえますか?」
「まっ、マリナ様っ!!かしこまりました、急ぎ伝えてまりますっっ!!」
駆けだしたメイドを見送り、マリナは廊下の光が部屋を照らさぬようドアをそっと閉めた。
そして再びレイの元へ近付き、その寝顔や全身をじっくりと観察した。
顔が熱くなるのを感じながらも心の衝動に駆られ、眠るレイの犬耳の生えた頭へとゆっくりと手を伸ばした。
そのやんわりと滑らかな感触に驚きながらも静かにレイの頭をあやす様に撫でながら、マリナは素直な気持ちを紡いだ。
「レイ様・・・。
貴方様が来て、この国を・・・そして私をお救いしてくださいました・・・。
ありがとうございます・・・。」
「僕はやるべきことをしただけだよ、マリナ。」
幸せの中で顔を緩めきっていたマリナであったが、彼女が部屋の前に立った時から起きていたレイとばっちり目が合い、その表情が固まった。
「れっ、れっ、レイ様っっっ!!起きてらしたのですかっっ!!?」
慌てふためくマリナの問いに、レイは寝ころんだ姿勢のままいたずらが成功した子どものような笑顔を向けていた。
驚きと恥ずかしさから顔をうつむけていたマリナであったが、少し落ち着きを取り戻し、おずおずとレイへ顔を向けた。
「そっ、それよりもレイ様っ!
用意したお部屋から急にいなくなってしまって、城中の皆が心配したのですよっ!!」
「そう・・・。
それは申し訳ないことをしたね・・・明日、ちゃんとみんなに謝るよ。」
少しだけしゅんと耳をたれさせてしまったレイを見て、慌ててマリナが言葉を続ける。
「いえっ、私たちにレイ様の行動を縛ることなどできるはずもないのですが、 一声掛けて戴けるだけでも結構ですのでお願いいたします。
・・・・・それと、レイ様・・・。
どうしてこのお部屋でお眠りになっていたのですか・・・?」
不安でありながら、どこか期待するかのような表情のマリナがレイへおずおずと質問した。
「んっ、だってあの部屋で寝るよりこっちの部屋の方が良いにおいがしたから・・・。
マリナのにおいでいっぱいだったから・・・ね。」
そう、ここはアルバスが王座に就き両親が幽閉されている時にメイドとしてこき使われていたマリナにあてがわれていた部屋。
今日の出来事で、王族が住まう部屋へ急遽移動したマリナであったが数週間を過ごした自分の部屋にレイがいたことに色々な感情が渦巻いていたのである。
自分がまさかと思っていた答えが、当然とばかりに表情を変えないレイの口から発せられ、頭から湯気が出るのではないかと思われるように顔を赤く染め上げたマリナは、火照った顔を両手で抑えた。
しかし、さらに続けれたレイの言葉にマリナは再度驚きの声を上げる。
「そうだ、マリナも一緒に寝てくれないかな?」
「えっっ!??」
「もちろん、嫌でなければだよ。」
「いっ、嫌であるはずがありませんっっ!!!」
「じゃあ、こっちへ。」
そう言うとレイは自分の横のスペースを手でぽふぽふと触り、マリナを誘った。
あまりの恥ずかしさに悶えるマリナであったが、ゆっくりとレイの横へと体を寝かせた。
マリナとレイの間には幾分かの隙間があったが、少しの沈黙の後にレイがマリナへと抱きつくようなかたちでその距離を零にした。
「えっ、えっっ、レイ様っっ!!?」
突然の出来事に固まるマリナであったが、一方でレイはマリナの膨らんだ胸元へ遠慮することなく顔を埋め、目を閉じながら忌憚のない感想を発する。
「マリナは、本当に良いにおいだ・・・。」
もはや冷静とは程遠いマリナであったが、反射的にレイを包むように背中へと手を添えていた。
「それに、僕はずっと一人で眠っていたから・・・なんだかうれしい・・ん・・・だ。」
そう言うと、レイはマリナの胸の中で静かに寝息を立て始めた。
そんなレイの言葉を聞きながらゆっくりと冷静さを取り戻したマリナは、彼の清流のような長髪に沿うように背中を優しく撫でながら想いにふけっていく。
(レイ様も・・・お一人で寂しかったのですね・・・。)
自分と似た気持ちでいたというレイの寂しさを共に分かつように、マリナは彼をキュっと抱きしめた。
「おやすみなさい、レイ様。
これからは、わたくしも一緒です・・・。」
眠るレイに心からの言葉を送り、彼の寝顔に誘われるようにマリナもまた静かに夢の世界に旅立っていった。
そんな彼らの足元では二人の邪魔をせぬよう、ヒカリもまた主たちのにおいのするベッドで小さく蹲り、幸せそうにしているのであった。