今まさに外交上の緊張が最高潮まで高まってる仮想敵国に赴任することになった大使館職員君(20代後半)の活動録
その男は、不退転の決意と共に朝日に照らされる異国の町を歩く。
男の祖国は、今まさに存亡の危機にあるのだ。
海を隔てた隣国と、進出先の利権を巡って緊張が高まっていた。
ここまでならば、よくあること。ただし、男の祖国と隣国との国力は控えめに言って百倍は差があり、戦争をすれば祖国が滅び、かと言って数十万の兵士の命と引き換えに手に入れた利権をホイホイ手放せば自国民に祖国を滅ぼされかねないのだが。
この状況下、隣国に設置してある大使館職員が心労で倒れて欠員が生じ、その補充要員として男は送られた。
まだ若い自分に何が出来るかは分からない。それでも、自分に出来る最善を尽くそう。
「失礼します!」
「ん? お~う、あいてるよ~」
決意を胸に自らの職場の扉を叩いた男の目にまず飛び込んできたのは、信じられない光景だった。
「な……なんじゃこりゃぁっ!?」
「ふぇ? 何って、君の歓迎会だよ、歓迎会。あ、先に始めちゃった。ぎゃはははは!」
立ち込める酒の臭い。完全に『出来上がってる』職員らしき人々。中には、朝っぱらから完全に潰れてその辺で寝っ転がる人々までいる始末。
「ふざけるな! あんたらは、状況が分かってないのか!? 話にならん、とにかく大使閣下に着任の挨拶を――」
「は~い、大使さんで~す!」
「……へ?」
「だから、ワシワシ。ワシ大使」
星でも飛ばしながら「てへぺろ」とか言い出しそうなノリで自分が大使だとか言い出すおっさん。
部屋に入っていきなり大使が話しかけてくるって客人への応対どうなってんだとか、朝っぱらから職場で飲みまくるってなんだとか、言いたいことは色々あった。
色々あったのだが、男の胸からはそれ以上に言いようのない何かがあふれ出し、ただ考えるのを止めることしかできなかった。
「ほれほれ、遅刻者はとりあえず駆け付け一杯。ぐぐっといこうか!」
「大使閣下! それではアルハラですぞアルハラ!」
「おお、少佐殿。そう言えば、最近はその辺がうるさいんでしたな」
「「がはははは!」」
あらたに現れた軍人を前に、男は自らを取り戻す。
ここの連中は頼りにならない。今、祖国の危機を救うために最前線で動けるのは自分しか居ない。
その自分まで飲まれてしまえば、誰が祖国を救うのか!
「うぉっほん! えー、大使閣下。こちらは?」
「ん? ああ、海軍から来ている駐在武官の少佐殿だ!」
「どもども!」
「ちなみに、さっきから酒瓶を抱えて無駄に床を転がりまわっているのは、陸軍から来てる駐在武官の大尉殿。陸軍士官学校を卒業後、最短年数で陸軍大学に入学し、首席で卒業した超エリートだ!」
「コッペパン」
――落ち着け、落ち着くのだ。
拳を振り上げたくなる自らに、男は必死に言い聞かせる。
ここにいる男どもはどいつもこいつも、その辺に転がってる有象無象を含めて、立場上ただの新入りの若造がぶん殴って良いやつは誰も居ないのだ。
例え、祖国の危機など知ったことかと酒盛りするようなバカどもだろうと、自らを紹介されていきなり食べ物の名前をつぶやくほどにまで会話機能が吹っ飛ぶほど酒が回ってて手遅れくさくとも、暴力では何も生まれない。
そう、今は建設的に祖国の危機に立ち向かわなければならないのだ。
「と、とにかくみなさん! 今は飲み会なんてやってる場合じゃないです! 祖国が、存亡の危機なんですよ!?」
大使閣下を筆頭にブーイングが飛ぶが、使命感に駆られた男を止めることは出来ない。
結果、一時間近くに及ぶ攻防の末、酒盛りを中止し、職員・駐在武官の全員を集めてなんとか会議の体裁を整えることには成功する。
「では、これより会議を始めます。全員が一丸となって、何としても祖国を救うために我々ができることを探しましょう!」
「あー、探すのはいいんだけどさー。――ぶっちゃけ、どうすりゃいいの?」
「だから、それを考えるんです!」
「だーかーらー。考えて何とかなるなら、とっくにやってるんだよー」
大使閣下の言葉に、男は言葉を返せない。
考えれば当たり前だ。
今は朝っぱらから会議室を酒臭くしているただの酔っ払い集団にしか見えないが、誰もかれもがエリート揃い。外務省から送られる職員はもちろん、陸軍の主席さんだけでなく、海軍からの駐在武官だって成績優秀だからこその海外駐在なのだ。
その彼らが、何もせずにこんな状態になるだろうか。
「交渉はさー、一年前からずっとやってたわけさ。相手方は、ウチの利権にちょっかい出してきて紛争中の軍閥に物資の無償提供したり、『退職金として最新鋭戦闘機貰った』退役軍人さんが政府に無断で勝手に(って設定で)軍閥側義勇軍に部隊ごと参加したり、ウチの資産凍結の上で禁輸措置までやって、干上がる寸前なの。――ねえ、少佐殿?」
「そうだよー。一世代前の石炭式の機関なら軍艦も自前の物資で動かせるけどねー。今は最新型の重油を燃料にするタイプだから、輸入止まったら備蓄分なくなり次第、海軍は陸戦隊以外ただの固定砲台です! ありがとうございました! ――陸さんも、戦略物資色々止められてて機甲部隊とか大変っしょ?」
「メロンパン」
「と、陸軍も海軍も大変な中、我々大使館職員も全力で交渉したよ? しかも、交渉妥結寸前まで行ったよ? したらさ、先月、いきなり条件増やしますーだってさ! マジ受ける! 追加条件全部飲んで国外利権のほとんど失ったら、ウチの国土で養えない余剰人口の行き場なくなって皆で飢え死にです。貿易大赤字で外貨がどんどん流出して公共事業やる金すらない中で、よそはとっくに市場の囲い込みをやってて新規市場もなく、行き場をなくしたウチの国の失業者達による革命一直線! ほんと、ありがとうございました! ぎゃはははは!」
改めて大使閣下から突きつけられる現実を前に、さらに折れそうになる男の心。
だが、ここで自分まで向こう側に堕ちてしまえば、誰が祖国を救うのか!
ただ、その一念だけで立ち上がるのだ!
「そ、そこからなんとか話し合ってですね――」
「最初から出てきたならともかくねぇ? 交渉開始から一年近く経っての交渉妥結寸前で、陸さん海さん共にウチの軍隊が置物になるまでの期限を向こうが握った状態で、それまで全く話に出てこなかったこっちの存亡にかかわるような追加条件をいきなり出すって、交渉する気あると思う? 明らかに、こっちの軍が行動不能になってから国ごと平らげる気でしょ。ハハ、ワロスワロス」
まだだ、まだへこたれてはいけないのだ。
ここで折れれば、祖国は滅びる。それを忘れてはいけないのだ!
「あーっと、えーっと、その……心情に訴える、とか?」
男の、苦し紛れの言葉。
自分でも、何の具体性もなく抽象的な策とも言えない発言にまたも突っ込みが入るかと身構えるが、様子がおかしい。
「ふむ、心情か……」
そのとき、男の背筋を冷たいものが駆け抜ける。
具体的には、この酔っ払いどもが何かとんでもないことをやらかすような気がする。
「酒をくみかわして、みんなで仲良く?」
その発言は、今まで一言も発していない大使館職員たちの一人――仮に『Aさん』としよう――から発された。
その程度で一国を動かせるものか。すぐさま突っ込みの嵐に違いない――そんな男の判断を、誰が攻められようか。
しかし、現実の何と非情なことか。
Aさんを見る人々の目を見ろ。奴らのどこに、理性が残っているというのか。
「いや、弱いな。俺は、『裸の付き合い』作戦を押そう。古典的だが、効果は抜群だからこそ繰り返し使われているのだ」
「いやいや、ここは『伝統芸能腹踊り』の出番ではないか! 我が国の文化に親しんでもらい、友好関係をだな――」
「それならここは、『どじょうすくい』の出番――」
「全部だ」
やいのやいのと、それまで黙っていた職員たちがうるさくなる中、大使閣下の放ったその一言が、静けさをもたらす。
「全部だ、と言った」
「「「「「「「「そ、その手があったか!?」」」」」」」」
「……ねーよ!?」
男は冷静に突っ込みを入れるが、ああ、ここに集うは酔っ払いの群れ。
勢いを得た酔っ払いどもに、正論だとか常識だとかいうものはまったくもって無意味なのだ。
「大使閣下! この救国の名案、海軍を代表しまして、私にやらせてください!」
「ああ、ワシと共に来てくれるか!」
「クロワッサン」
「おお、陸さんも協力してくれるか! ありがたい! 政府、陸海軍、それぞれを代表する三名。我々で、この国の国家元首の下へと向かおう! そして、祖国に平和を!」
「「「「「「「「「「祖国に平和を!」」」」」」」」」」
「もうだめだぁ……おしまいだぁ……」
その後、ザルと酒瓶を持って腹に前衛芸術を施し、真っ昼間の中央官庁街をふんどし一丁で駆け抜け国家元首の公邸へと侵入を試みたおっさん三名と首謀者とみられる大使館職員の男性(二十代後半)の四名は、現地警察に順当に逮捕された。
「『どじょうすくい』のアレがなかったから普通のザルを代わりに使うしかなかったことだけが心残りだ」「チョココロネ」などと供述しており、外交官の不逮捕特権なども絡んでややこしい事態になったもよう。
なお、このニュースは即日全世界を駆け巡り、「相手国の大使をこんな奇行に走らせるほど苛烈な条件を突きつけるとか、ひどくね?」との世論が形成され、男の祖国がなんとか飲めるところでの交渉妥結と相成った。
こうして、世界はまた一つ平和になったのだ。
※なお、どこかで見聞きしたような話や、見聞きしないような話などがあったかもしれませんが、全編フィクションです。
フィクションです。(大事なことなので二度(ry