004
「くしゅん」
我ながらかわいいくしゃみが出たと思う。いま私は千羽を超えるうさぎに取り囲まれている。あたり一面、白いもふもふ。すこし鼻がむずむずする。
「くしゅん」
もしかして、アレルギーかな?
「ラパンカタル、開催だ!」の大合唱を続けていたうさぎたちは、あるうさぎの「静粛に!」の一声で一気に静まり返った。まるで人形のおもちゃのスイッチが切れたかのようだ。うちのクラスもこんな風にピタッと静かになったら先生も楽なのにね。
「それでは、ラパンカタルを開催します。議題は一万五千七百十一番目のアリスについてです」
口のいいうさぎだ。さっきまで口の悪いうさぎと話していたうさぎかしら? 何しろ、集まったうさぎは全員見事に姿形が一緒でまったく見分けがつかない。私をここに連れて来た口の悪いうさぎもいまはどこにいるのやら。
「ちょっと待ってくれ。二万三千五百七番目のアリスだろう?」
「違うよ。一万九百一番目のアリスだよ!」
「あれ。二番目じゃなかったっけ?」
「それはさすがにない。俺の担当の時点で四千はいってた」
「五億はいっているはずだぜ?」
「それじゃあ一年にひとりだとしても五億年じゃん」
「ホモサピエンスの誕生から十万年じゃなかったっけ?」
「恐竜の国のアリスかよ!」
「恐竜だっていないだろ、たぶん」
「じゃあ、何番目なんだよ」
「何番目だっていいじゃねーか」
私の隣に立っているうさぎが言った。もしかしてあの口の悪いうさぎ? うさぎはみんなにむけて続けた。
「そんなこといまは重要じゃない。もう何番目かなんて分かりやしねえんだから、N番目のアリスとでもしておけ。それよりも重要なのは、このお嬢さんがアリスじゃないってことだぜ!」
「アリスじゃない? どういうことだい? アリス以外の人間がこの世界に来たとでも言うのかい?」
「その通り。このお嬢さんの名前は、アリサだ!」
そう言ってうさぎは私の学生証をみんなに見えるように天に掲げた。ああ、やっぱりこの子が私を連れてきた口の悪いうさぎだ。それにしても、学生証を天に掲げたって、せいぜい彼の周囲一メートルくらいしか見られないだろうに。それでも千羽のうさぎは一斉にざわざわとにわかに騒ぎだした。私がアリサだという噂は私を中心にして、円の隅まで渦巻いて行く。
「それでた」
口の悪いうさぎが一言言うと、うさぎは一斉に静かになった。以心伝心だ。
「誰か、これまでにアリス以外のヤツを担当したことはあるか?」
「確か、ラビ・ラヴィがしたことあるって言ってたぞ」
「へ? 違うよ。ラビ・ラヴィだよ。俺じゃない」
「そういや。ラビ・ラヴィもしたことがあるって」
「いや、ラビ・ラヴィは世界の声を無視して自分好みの女を連れて来たんだよ。それでずいぶんな目に会っていたじゃないか」
驚いた。このうさぎたち、姿形が一緒なら名前まで一緒なのだろうか。みんなお互いのことをラビ・ラヴィと言い合っている。でも発音というか、アクセントというか、呼び方がちょっとずつ違う。
大げさに言うと、ラビ・ラーヴィだったり、ラビ・ルァヴィだったり、ラビ・ラウブイだったり、そんな感じ。これだけでこの子たちは数千羽の名前を聞き分けることができるんだろうか。長い耳は伊達じゃない。
「ところで、お前はちゃんと世界の声に従って連れて来たんだろうな?」
「ったりめえだろ。ちゃんと予告通りにそこにいた女を連れて来たぜ」
「だったら問題ないんじゃないか。世界の声はいつも正しい」
「そんなことはない。間違いだってある。だからその都度僕たちがこうしてラパンカタルを開催して修正しているんじゃないか」
「じゃあ彼女はどうするんだ? ライオンのエサにでもするのか?」
え? うそでしょ?
「それならドラゴンの生贄にしたほうがいい。怒りを溜め込んでいらっしゃるお方がいる。それを鎮めるのに使おう」
私は怖くなってその場にペタっと座り込みました。そのとき、一羽のうさぎをおしりに敷いちゃった。でも、それを気にする余裕がなかった。
「待ちなさい」
とずっと後ろのほうにいたうさぎがいった。姿は他のうさぎと一緒で若々しいのに、声だけはおじいちゃんみたい。
「確かにお嬢さんはアリスじゃないようじゃ。しかし世界の声の定めた通りにこの世界にやって来た。これは確かなことじゃ。見たところこれまでのアリスとは違うところも多そうじゃし不安要素が多いのも分かる。じゃが、そういう者こそいまのこの世界には必要なはずじゃ。わしはこのお嬢さんがこの世界を冒険するのにふさわしいと思うがのう」
不思議と響く声は、私のところにまで充分に伝わってきた。きっとここにいるうさぎの全員が彼の声を受け止めたに違いない。私はこれで生贄にならずに済む! と喜んだ。それからこうも思った。
「この世界を冒険する……?」
一難去ってまた一難みたいな、不安去ってまた不安。
「ふむ。それではひとまず、彼女は世界の声に従ってもらいこの世界を冒険していただくことにいたしましょう。反対意見もおありだと思いますが、それはおいおい話し合っていく事にいたしまして、今日のところは解散!」
「ラパンカタル、解散だ!」
口のいいうさぎによって謎の会議が突然締めくくられると、うさぎたちは「ラパンカタル、解散だ!」と合唱しながら一斉に散り始めた。やって来るのも突然なら、去って行くのも突然だ。
「はっくっしょん!」
我ながらおじさんみたいなくしゃみが出た。そのくしゃみで吹き飛ばされる綿ように、うさぎたちはぴょんぴょんと飛んで行く。
「ラパンカタル、解散だ!」
「ラパンカタル、解散だ!」
「ラパンカタル、解散だ!」
「ラパンカタル、解散だ!」
「ラパンカタル、解散だ!」
私はそっとつぶやいてみた。
「ラパンカタル、解散だ」
ちょっと言い辛いな。それをよくもこんなに連呼できるものね。言い慣れているのかしら。
「では、私も行きますね」
最後のほうまで残っていた口のいいうさぎ(たぶん)が言った。
「おう」
と、口の悪いうさぎ。
「何かお役に立てることがあったらまたケータイにご連絡ください。近くにいたら駆けつけますので」
「分かった。何かあったら頼むぜ」
「では。アリス……おっと失礼、アリサさんもお元気で。ごきげんよう」
うさぎはぺこりとお辞儀をすると、「ラパンカタル、解散だ!」と一言言ってからぴょんぴょんと去って行った。
そういえば、うさぎの口と耳はあんなに離れているのに、どうやって電話していたのだろう……。
「さてとアリサ」
最後に残った口の悪いうさぎが言った。
「俺がお前の担当のラビ・ラヴィだ。よろしく頼むぜ」
「はあ……」
私は彼が差し出した右手を困惑したまま見つめた。握手のつもりらしいけど、握り返していいものだろうか。それって、この世界の定めとかなんとかに同意したことにならないかしら。
私はためらっていた。
しかし、少し首を傾けながら上目遣いで、「なんで握手してくれないの?」と訴えかけて来るような彼の瞳を見て、私は思わず握手を交わしてしまった。
うさぎだ。もふもふのうさぎだ。握手どころか抱きしめたくなってしまうほどかわいらしいのだ。私は彼の手をにぎりながら抱きしめたい衝動を我慢していた。
「おい。いつまで握ってやがる。離せっつうの気持ち悪い」
うさぎが言った。
うん。やっぱり口が悪いねこの子。
私はそっと手を離した。
でも、隙あらばもふもふ抱きしめてやろうという野望も、このとき私は持ったのだった。