七
「ここは……?」
「みんなの憩いの店『龍球』通称『ドラゴンボール』じゃ」
(ドラ……センスな!)
放課後、僕が管理人さんに連れてこられたのは、酔っぱらいたちが溢れる演歌の似合う(というか実際流れている)店だった。
「あら? 洋ちゃん。その子が例の海ちゃん?」
割烹着を着た三十代前半程の女性が、おしぼりで手を拭きながらこちらに向かってきた。
カランコロンと音がする。どうやらゲタを履いているようだ。
「そうじゃ、アルバイトの海じゃ。ママ、今日からよろしゅう頼むわ」
「えっ!?」
初耳なんですけど。
「よろしくねぇ。海ちゃん。私は『タツエ』」
「どうも……」
タツエさんはタレ目で真っ赤なルージュを引いた唇の右下にはホクロがあり、とっても色っぽくて……じゃないよ。
「管理人さん……『アルバイト』って……?」
「ここで働いて生活費と学費を自分で稼ぐんじゃ。晩めしも食わしてもらえるぞ」
「そんな……嫌ですよ」
(ん? ちょっと待てよ?)
「あの…この村にはお金が存在しないと聞きましたが……?」
「そうじゃ、この村に金はない。あるのは信頼と好感度のみ、信頼できるものには物をやる。好きなやつには手を貸してやる。分かりやすくていいじゃろ?」
「……」
僕は『この店も国立なんだろうなぁ……』と思っていた。
「みんなこの店に集まるからな。頑張って働けばお前もきっとみんなに認めてもらえるぞ。信頼と信用を稼ぐんじゃ」
「でも未成年が居酒屋はまずいんじゃ……」
「大丈夫じゃ、この店は国立じゃ」
「そうですか……」
やっぱり国立だった。
「居酒屋なのは夕方五時から、その他の時間は食堂じゃから好きな時に働きに来ればいい。まぁのんべなやつは昼から飲むが……の!」
「これ、洋ちゃん! そりゃだーれのこと言っとんじゃ!!」
「お前らのことじゃき!!」
「しっちょるわい!!」
爆笑……管理人さんは店の常連たちと仲がいいようだ。
(なにが面白いんだか……おじさんたちは……)
「じゃあねぇ……海ちゃんにはお運びさんやってもらおうか? 奥でよーーく手ぇ洗ってエプロン締めてきてな?」
「はい……」
逆らう気にはなれない。管理人さんの言うことが本当ならば、ここでもめるのは得策ではない。
こんな飲み屋の仕事。単語カードで英単語を覚えながら、片手間でこなしてしまおう。
せいぜい馬鹿な酔っぱらいたちのご機嫌をとるとしよう。
流しながら……ね。
ところでエプロンってどうやって身に付けるのだろう?
◇
「モヤシ。焼酎」
「……はい」
アルバイト開始10分で僕のアダ名は『モヤシ』に決定したようだ。
(未来有望な若者の僕を……どうせ限りなく底辺に近い労働者のくせに……くそ……)
「あっ!」
焼酎の瓶とコップを落として割ってしまった。
「す……すいません!!」
「いいのよ? ゆっくりなれてこうね?」
タツエさんがホウキとチリトリで素早くガラスを片付けた。
「やっぱりモヤシじゃ。期待しちょらんけぇ。慌てんなや」
「はい……」
こんな居酒屋の仕事なんて出来なくてもなんの問題もない。 僕の人生でなんの役に立つわけではない……だけど……
(期待されないのも怒られないのも……なんだか逆に悲しいというか……)
「ママ、芋もらう」
「はぁい」
「あっ。僕がとりますよ……さつまいもですか? じゃがいもですか?」
皆がクスクスと笑った。
「アホぉ。芋焼酎じゃ。お前、落っことすけぇ余計なことすんな」
「芋焼酎? 焼酎はこれでしょ?」
「甲焼酎……焼酎じゃが……焼酎にも色々あってだな……面倒じゃ。黙っとけ」
結局自分で瓶とコップを運び、自分で飲みだした。
僕は一升瓶を抱えながら、片手でコップと瓶を運び、もう片方で料理を運ぶタツエさんを見ていた。
……多分馬鹿みたいな顔をしていたと思う。
その日僕はなんの役にもたっていないのにタツエさんに夕御飯を食べさせてもらい、食器を数枚割り、皿洗いに徹っした。
……そこでも数枚割ったけど。
単語カードなんて当然ん見ている暇はなく、僕はなぜか少し泣きそうになった。
◇
「あっ……」
ボトリと濡れタオルがお盆から落ちた。
バイト後、僕は自分の部屋でお盆の上に濡れタオルを乗せ、ウェイター(?)の特訓をしていた。
「なんで僕がこんなこと……ブツブツ……」
片手で持つのは諦めた。悔しいが明らかに筋力が足りない。両手を使うとしよう。
……しかしどうにも見た目が格好つかない。
(海ちゃん声だそう?)
(お前のつまらなそ〜〜な顔見ると酒が不味くなる)
(笑顔は大事だぞ? 声だして笑顔! まずはコレだ仕事を覚えるのなんてあとあと!)
「みんな好き放題言ってくれるよ。笑顔と声が仕事となんの関係があるんだよ?」
僕は最低限の声量でしかしゃべらないし、笑顔なんて人を見下す時にしか出ない。
「ら……しゃませ……」
ダメだ。顔がひきつっていて気持ちが悪い。
「あざっすたぁ……」
「やってるなぁ? 若人よ!」
「ひゃあ!」
知らぬ間にこれ以上ないくらいニヤニヤ顔をした。かぐやさんが隣にいた。
「かぐ……かぐやさん!?なんでここに!?」
(まったく気づかなかった……)
「いやぁ……お風呂に入ろうとしたら君の部屋から不気味な声が聴こえるじゃない? そりゃ覗くでしょ?覗かなきゃウソだよ」
「だからと言って部屋まで入ってきますかぁ?」
「いいじゃない。さて……笑わしてもらったし、私はお風呂に入るとしますか……頑張れよ。勤労少年」
「お風呂で漫画を読むんですか?」
かぐやさんは電話帳の様に分厚い漫画雑誌とコミックスを持っていた。
「うん。半身浴するから。それに勉強になるしね」
(かぐやさんの半身浴? ……いけないいけない……何を想像しているんだ僕は……それより……)
「漫画を読むことが勉強というのは聞き捨てならないですね。漫画を読むなんて人生においてまったく必要の無いことです。そんな暇があったら本物の勉強をしてください」
「アンタねぇ……本物の勉強って何よ?」
顔をしかめたかぐやさんは結構怖かったが僕は怯まなかった。
「受験のため、将来の為の……つまり学校の勉強ですよ。」
「机にかじりついてする勉強ばかりが勉強ってわけじゃないわよ」
ハイ! 出ました。勉強が出来ない馬鹿の言い訳! 論破させていただきまぁす。
「そういうのは勉強が出来てから言ってください。『協調性を身に付けること』、『奉仕活動をすること』、おしまいには『遊ぶことも勉強の内』勉強以外の勉強……これらはみんな学校の勉強が出来ない奴の言い訳です。僕には全く必要の無いことだ。だから僕はそんな奴らの言うことに一切耳を傾けなかった。
所詮はルサンチマンの戯言です。後々苦労してからでは遅いのに……全く馬鹿って奴は……」
「……勉強以外の勉強が出来なくて今、苦労してるのはアンタじゃん」
「うっ……」
今のは効いた。
「自分の手には入らないものを『悪』、『必要無いもの』として逃げる……ルサンチマンはア・ン・タ。今日一日でアンタは『協調性の無い楽しく遊びをすることもアルバイトも出来ない男』ってことはわかったからね」
「うぅ!」
ものすごく効いた。
「ひねくれるのも嫌われるのもアンタの勝手だけど嫉妬もほどほどに……もう少し頭を柔らかくしな……よっと!」
「誰が誰に嫉妬を……いた!」
かぐやさんの投げた漫画が僕の頭にヒットした。
……しかも角。
「なにを……」
「食わず嫌いは駄目よ? 世の中の勉強嫌いはちゃんと経験してから勉強嫌いになってるの。アンタも『漫画が嫌い』と言いたいのならまずは漫画を読みなさい。それじゃあね」
「……」
残された僕と漫画……
「なんだよ……漫画なんて……」
と言いつつも彼女の言い分はもっともなので僕は漫画を開いて……すぐに閉じた。
「駄目だ……絵を見ながら文字を読むなんて荒業僕には出来ない……みんなはどうしてるんだ?」
僕は参考書が積められたダンボールに漫画をしまった。
(いつか見てろよ……読みきってみせるからな……しかしなんだこの村の人間は……説教ばかりして……僕を洗脳でもしようというのか? そうはいくものか!)