六
◇
「おまたせ……あれ? かぐやさんは?」
そこにはチュウ太郎しかいなかった。
「待ちきれなくて先に行っちまいやしたよ? それじゃあアッシらもいきやしょう」
「なぁんだ……チュウ太郎だけか……残念」
(かぐやさんと並んで登校したかった……)
「そういうのは思っても口に出して言わねぇでくだせぇ……」
◇
「ふぅ……ふぅ……」
学校へ行くまでの山道……鞄パンパンに詰めた教科書類の重みがボディブローのように効いてきた。
肩が痛い。腰が痛い。足が痛い。
「チュウ太郎君……君はなんでそんな軽々のぼれるのかな?」
「アッシですかい? そりゃあ毎日通ってるのと……カバンには弁当しか入ってないからでしょう」
「は? 教科書は?」
「学校に置いてきてます」
「なんで家に持ち帰らないの?」
「兄さんはおかしなこといいますねぇ……教科書を使うのは学校でやんしょ? 家にもって帰ってどうするんです?」
「……もうわかった。喋らないで」
篭目学校のレベルが知れた。
どうやら生徒たちに自宅学習という概念はないらしい。
「なに見てるんだよ?」
「……」
タヌキとウサギが僕を視線で追いかける。
「って……動物ににらみをきかせてどうするんだ?」
気が立っている。
これから僕は毎日こんな山道を歩かなくてはいけないのか……。
「さぁ! つきやしたぜ」
「……」
寮から45分かけて、たどり着いたのは木造の(この村は木造ばかりだ。火事が起きたら大丈夫なのだろうか?)金色の大きな鐘のある巨大な馬小屋のような学校だった。
「これはまた……趣のある……」
……ボロいともいう
「いきやしょう兄さん。先生が待っていやすぜ」
「ずっと気になっていたんだけど……僕は君と同じ母親から生まれた年上の男じゃあないんだよ」
「……は? そりゃどういう意味……」
「もういい」
素直に『兄さんと呼ぶのはやめてくれ』と言えばよかった。
僕は靴を脱ぎ、上履きに履き替え、チュウ太郎の案内で教室に向かった。
……
……
◇
「え〜〜……彼が今日から皆さんと一緒に勉強する……広井海くんです」
「よろしく」
教室に入った瞬間に僕は全てを諦めた。
犬のようにうるさい小学生たち、はしゃぐ中学生、僕の方を見もしないかぐやさん……。
決めた。
僕は他のちゃんとした高校に転入する。
どんな手を使っても。なんとしてもだ。
「じゃあ広井くん……この生徒手帳。目を通しておいてね? 校歌も覚えてね? 毎朝歌うから。あとはぁ……えぇっと……」
このせわしなくハンカチで汗を拭う男が教師の『増子琢朗』である。この学校唯一の教師らしい。
小学生も中学生も高校生もこの男一人が面倒を見るわけだ。
いやはや……お疲れさまです。
「まっ、いいや。僕のことは気軽に『たくちゃん先生』って呼んでね? 間違っても『ブタロウ』なんて呼んじゃ駄目だよ? なぁんちゃって! よーしみんなぁ! 一時間目は広井くんがクラスに馴染むためにドッジボールをやるよぉ! ……広井くん?」
僕は席について問題集を開いた。
「あっ、おかまいなくどうぞ。僕は勝手にやりますんで……」
「あの……ドッジボール……楽しいよ?」
「やりません」
『そんなー!!』という子供たちの声が聴こえたような気がしたが知ったことではない。僕は用意していた耳栓をして問題集を解き始めた。
『つまんないやつだねぇ……さて』
……これははっきり聞こえた、かぐやさんだ。
「よーし! コゾーどもー! お姉ちゃんが相手してやるぅ! 外に出ろー!」
『きゃー!』とか『わー!』とか言いながら子供たちは教室の外に出た。
どうやらかぐやさんはこのクラスのお姉さん的存在らしい。
しかし、なんで子供の叫び声ってこうも周波数が高くて耳障りかな……
「はぁ……はぁ……はぁ……ど……ドッチボールでヤンスゥゥ!!」
「……」
チュウ太郎はドッチボールジャンキーのようだ。
チュウ太郎が一番はしゃいでいた。
……
◇
リンゴンとチャイムが鳴った。
……いや、普通キンコンカンコンだろうよ。
「帰ろ……」
教室の騒がしさに耐えきれなかった僕は一日図書室で勉強をしていた。
「あのぉ……広井くん? ちょっといいかなぁ?」
「はい?」
図書室の扉の前に先生が立っていた。
「学校にはなれた? なれてはいないか……」
「そうですね。僕はほぼ一日図書室にいたわけですし」
お弁当も図書室で食べた。便所飯よりはマシだろう。
「広井くん……実はこの学校には先生が僕しかいなくてねぇ……」
「そうらしいですね。聞きました」
「それでね、ぶしつけなお願いだけど……君が子供たちの何人かを担当してくれるとありがたいんだけど……」
「はぁ?」
(何を言っているのだ。このブタロウは……?)
「驚くのはわかるよ? ちょっとの間でいいんだよ。そうすれば生徒も増やせるし…… 村にはまだまだ勉強したくても通えない子もいるんだよ? 僕一人じゃこれ以上生徒を増やすのは無理だし……
タダとはいわない! そのかわり君の勉強は僕が教えるし……ワンツーパンチで!……なんちゃって! マンツーマンでね」
「あのねぇ……」
呆れと怒りで思わずタメ口になってしまった。
生徒に教師役をやれというのもそうだが、何よりこんなレベルの低い学校の教師ごときが僕に教えられることがあると思っているのが腹ただしい。ブタロウのくせに。
「僕に教える……ですか? 先生、これ……解けます? というか読めます?」
「えっ? ……うわ!」
先生は僕が渡したプリントを見て絶句した。
無理もない。このプリントは語学の勉強のために僕が作った『英語』、『中国語』、『フランス語』で問題が書かれた特別なプリントなのだ。
「こ・れ・はちょっと……難しいねぇ……」
「でしょう? 取り引きは不成立ですね。さようなら先生」
「ひ……広井くぅ〜〜ん……待ってよぉ〜〜」
うっとおしい先生を振りほどいて僕は下駄箱に向かった。