九
「ん?ユキも学校へ行くのかい?」
「うん」
玄関で靴を履いているとユキが僕の裾をつかんだ。
「ユキは色々な場所にいるんだな」
「うん」
「学校には毎日いかなきゃ駄目だぞ?」
「駄目。たくちゃん先生が大変だからユキは学校通えない」
「う……」
やぶ蛇だ。僕が先生をやればユキは学校に通えるのか? いや、やらないぞ僕は。
「そ……そうだ。ユキ、ツグミさんはさ、女なの?男なの?」
「ツグミにーにー?」
「にーにー? 男なの?」
「ねーねー?」
「……女? えっ? どっち?」
「うぅん……」
ユキは両腕を組んで悩み始めた。
「……」
「……」
「……あっ」
「うん?」
「……にーねー?」
「……もういいや。さあ行こう」
僕はユキの手を引っ張った。
◇
学校に戻った後、僕はユキにお弁当を半分分けてあげ、適当にユキの絵を褒め、勉強を再開した。
……
◇
(あれ?)
気がつくとユキがいなかった。
(また気まぐれにどこかにいったのか……)と思ったがなんとなく気になり、僕はユキを探した。
職員室、音楽室、理科室……一応かぐやさんたちが授業を受けている教室……
「いない……帰ったんだな……あっ」
いた。
「たくちゃん先生。その答えは猫だとおもいます。うん。ユキは頭がよい。お絵かきをしていいよ。ありがとうございます。手伝うよユキちゃん。ありがとうございます」
授業が行われている隣の空き教室で、ユキは一人で『学校ごっこ』をしていた。
ユキ、先生、友達の一人三役……ユキはオンボロの机と椅子を引きずってスケッチブックを開き、お絵かきを始めた。
「ユキ……」
ユキは学校に行きたいのを我慢し、ここで学校ごっこをしていたのだ。
(あれ? 僕のせい? 僕が教師役を引き受ければユキは学校に通えるのか? いやいやいや……僕には選択の自由がある……なにが悲しくて馬鹿に勉強を教えなくては……落ち着け……情に流されるのは馬鹿のすること……僕は……)
「はい先生。5+7は3だとおもいます。ユキはえらいねお絵かきをしなさい。はいありがとうございます。ユキちゃん遊ぼう。ユキはお勉強をしているのですごめんなさい」
誰もいない教室で続く学校ごっこ……足し算も出来ないユキ……
(しょうがないなぁ……わかりましたよ……わかりました……誰に言ってるんだ? 僕は?)
「ユキ!」
「う?」
声をかけるとユキはバツが悪そうに僕を見た。
「海?」
「ユキ……1+2はなーんだ?」
「1+2? ……猫?」
わかった。そこからな。
「ユキ……明日からは僕がユキに勉強を教えてあげる」
「海が?」
「うん。この教室で、みんなと一緒に勉強できるよ」
「ほんとー!」
「うん」
あまり喜怒哀楽を表情に出さないユキがとびきりの笑顔を見せてくれた。
僕らしくないがその時僕は……(あぁ、僕は正しい選択をしたのだな)と思った。
……確実に僕はこの村に毒されつつある。
……
……
◇
「腰いたい……」
「おつか……れ!」
「いた!」
かぐやさんが僕の腰に湿布を乱暴に貼り付けた。
「もっと優しく……」
「男がグダグダ言うな」
差別だ。
これを僕が言ったら絶対男尊女卑だと騒ぐくせに……。
あの後、僕はたくちゃん先生に教師役をすることを伝えた。
するとたくちゃん先生は大喜びし、クラス全員で教室を片付けようと言い出し、僕たちは夕方までノンストップで大掃除をした。
ちなみに僕は今、たくちゃん先生から借りた小豆色のジャージを着ている……ダサい。
「あぁ……これからアルバイトか……気が重い……そして鞄が重い……」
「あんたまーだ、鞄に教科書詰めてんの? 置いてきなって」
そうはいかない。自宅学習が出来ない。
そこまで僕は変わってしまうわけにはいかない。
教師役をやるのは気まぐれで、少しはこの村のスタイルに合わせてやろうとちょっとだけ思っただけだ。
「海……」
「ん?」
一番ハイテンションで掃除をし、ヘロヘロになったユキがこちらに両手を伸ばしている……嫌な予感。
「おんぶ」
やっぱり。
「してあげなよ海。男なんだから」
「また暴論を……」
ユキは今にも寝てしまいそうである。
(僕は疲れていてこれからアルバイトで、教科書は重くて……はぁ……)
諦めた。考えるのが面倒くさい。
まるで脳筋馬鹿だが仕方がない。
「教科書……教室に置いてきます……」
「それでよろしい。待ってるから早くしてよ? ダッシュ!」
「はい……」
(いつの間に僕とかぐやさんの間にこんな上下関係が出来上がったんだ?)
僕は教室に戻ることにした。
……
……
◇
(あれ……? でも……待ってるってことは……一緒に帰れるってこと?)
テンションが上がった。
「マジか!? 女子と一緒に下校かよ!僕はじめて! イヤッホオゥ! はっ!?」
いかんいかんいかん……
「はしゃぐな僕……みっともない……誰もいない教室で……馬鹿みたいだぞ……」
その日僕はユキをおんぶし、はじめて女の子と一緒に帰った。