オセロ
広々とした玄関を抜け,2階に上がり,コートを脱ぐ。コートが勝手に壁掛けに下がるのを確かめ,私は奥に進んだ。
明かりが漏れる部屋のドアをノックしようとしたら,その前に開かれ,中にいた男性2人と目が合った。
「いらっしゃい。」
掠夜が屈託の無い笑顔で迎え,その向かいに座る声楽家・醒は軽く微笑んで迎えてくれた。相変わらずいい男たちだ,と思いつつソファーに座る。
「調子はどうだい?」
掠夜の質問にため息をつき,ヴァイオリンのケースをそっと足元に置いた。
「うざいオヤジでやな感じよ。」
2人が軽く笑う。相当私の声は嫌な雰囲気を醸し出していたようだ。
「ま,飲みなよ。」
グラスが空中を滑るようにして私の前まで来て,赤ワインが注がれる。便利よね,掠夜って。
「じゃあ1杯目はワインを戴くわ。」
軽く乾杯する仕草をして喉に流す。年代物の,渋さが喉に沁みる。それがまた美味しい。
「今回はオヤジだったのか?」
醒の問い掛けに肩をすくめる。
「ここのところオヤジばっかりよ。たまには若い人がいいわね。」
「この御時勢だから仕方ないんだろうな。」
「でも,醒は相手を選べるからいいじゃない。私は来た奴しか出来ないんだから。いっそ落としちゃえば良かったわ。」
あっさりと毒々しいことを言う私を見て,2人は笑う。
「それでも助けてやったんだろ?」
「今回はね。」
「それだけでも優しいんじゃないか。」
私はしばし2人をねめつける。
「消そうとする私のどこが優しいわけ?」
「一応は生かしてあげるでしょ。それだけでも優しいよ。」
掠夜の微笑みとセリフに苦笑する。
「掠夜は食べないともたないからね。生かしてあげられないんでしょ。」
「まぁね。今回の人はあまりに素直に来るから生かそうかと思ったけど。でも,使っちゃったからね。」
悪びれる事もなく,当たり前のように言ってワインに口を付ける。血と似通った色が唇に触れるだけで,私はゾクッとした。
全てのものを黒にする人だ。
私はそこまでなっていない。
まだなりきれない。
ワインを飲みながら,醒のコンサートの話を聞いた。正確には,コンサート後に食事をともにした女性の話だ。
「見ていたのか?」
「あら。偶然よ,偶然。ホテルで対談の仕事があったからね。珍しいなーと思ったのよ。恋人?」
醒は鼻で笑った。
「誰が。」
「あっそ。で,いくら?」
彼が冷たく言う女性は必ず獲物と知っている私は,すかさずそれを聞いた。その素早さに呆れた様子ではあったが,アタッシュケースを開いて札束を見せてくれた。
いつ見ても,いい気持ち。
「いいとこの人だったみたいね。」
「社長夫人って感じだった。おれにとっちゃあいい獲物なんだがな。」
媚びる女性を跳ね除けず獲物として喰う。その流れに苦笑した。
「どうするの,これ?」
「別に。」
「じゃあ頂戴。エルメスのバッグが欲しいのよ。」
さばさばとねだる様子に苦笑しつつも,醒は私に札束を5つ投げて寄越した。
素敵な重み。
丁重に受け取り,そっとフェンディーのバッグに入れる。ニコニコしながら立ち上がり,醒の頬にそっとキスを落としてから座る。
「サンキュ,醒。」
「いや。元々おれのものじゃないし。」
「でも,醒の力のお陰だからな。」
そう言う掠夜にも札束を投げる。
「またワイン買っとけ。」
軍資金のように分け与え,醒はゆっくりとグラスを傾けた。
ワインを飲み終えた私は日本酒を掠夜にねだった。ワイン好きな掠夜のこの家には揃えてないだろうと思っていたが,運ばれてきたのは(例によって,空中を滑ってきた),八海山と美濃天狗と一の蔵。どれも私の好きなものだ。
意外な目を掠夜に向けると,にっこり笑い返され,それを見た醒はくすくすと笑む。
「お前の好みは熟知している,だってよ。」
それを聞いて思わず照れてしまった。
「可愛いな,お前は。」
「だってぇ。」
「いーから選べよ。」
醒のぶっきらぼうさにカチンとくるが,いつまでも待たせるのもなんだので,私は一の蔵を選んだ。
一の蔵をちびちび飲みながら,今度は掠夜の獲物を聞く。彼とお似合いなれそうな年頃の人だった。醒もお似合いになれそうな年頃だったわよね。いいわねー,2人とも。どうせオヤジ受けのいい女ですー。
心の呟きが聞こえたのかどうかは不明だが,2人は微笑んで私の手を取り,そっと口付けた。
「どうしたのよ?」
「綺麗だから拗ねるなよ。」
「大人びているから未熟な人は近寄れないんだよ。出来た人が似合うからね。」
思ってもみない展開に目を丸くするが,数秒後にクスリと笑んだ。
「まったく。扱いが長けているんだから。何がお望み?」
その微笑みと声は,底冷えするものであった。だが,2人はお構いなく口を開いた。
「あいつを入れたい。」
「きっと仲間になるだろうからな。」
翳のある声に笑いそうになる。
「狙いは一緒ね。」
3人の目が合い,ニヤリと笑んだ。