飛べない鳥
都が2階に上がっていくのを見て,玻紅璃は仕方なしにあとを追った。
グランドピアノのそばに掠夜は倒れていた。首を切られたようで,ワインレッドのワイシャツが赤黒く染まっている。
都はそばに座り,掠夜の頭を抱き上げる。
『あなたには渡さない。』
『さっきも言ったけど,ご自由にどうぞ。ただ,ひとつ聞くけれど,なぜこんなことを?』
ここで初めて都の顔が歪んだ。
『あの女性が言っていたわ。掠夜さんが振るったせいで植物状態になったと。それだけじゃない,今まで何人も殺されているって。だけど……!』
玻紅璃の眉が潜む。植物状態にされた女性と言えば,私たちを丸め込もうとした綾子しか思いつかない。となれば,自然と都の力が見えてきた。
『そう。あなたの力は,意識のない人と意思疎通が出来ることですね。』
都は顔を背ける。当たりだ。
『出来たからって,なんですの?』
玻紅璃は辺りを見回し,気付いた。棚に置かれたカスタネットを取り,都に差し出す。都はびくっとしておびえ,掠夜の頭に縋る。
『黒い力が目覚めて,あそこまで人を殺したのに,もう力を使うのは嫌なんですか?』
『もう嫌ですわ。掠夜さんさえいればいいんです。何をしてきても,やっぱり素敵な方ですもの。』
『その人を自分で殺したのに?』
都は首を振って嫌がる。
『あなたには渡したくなかった。こうすれば私だけのものに出来ますもの。』
殺害することで,独占した気でいたのだ。
『それに,あの女性があまりに可哀想で。力を持っているなら,受け入れてあげれば良かったのに。それすらしないで,廃人に追い込むなんてひどすぎますわ。』
『じゃあここで5人も殺したあなたはどうなるのかしら?』
玻紅璃は無理矢理,都にカスタネットを持たせる。
『聞いてみたらいかがですか?』
あまりに冷たい声に,都は頭を振って嫌がり,カスタネットを放った。だが,玻紅璃はまたカスタネットを無理矢理にでも持たせた。
『都さんが可哀想だと思った女性は,私たちに黒い力を使うよう,命令してきたんです。彼女をひどいと言うのなら,まずはあなたが力を使ってあげたらいかがですか?』
都は自分の手に持たされたカスタネットをじっと見つめた。
『もう力を使うのは嫌ですわ。』
『玲さんにも言われたでしょう?中途半端なのに使うのがいけないんですよ。覚悟がないのなら,手を引けばいいだけのこと。それでよく掠夜を好きになれましたね。』
都はカスタネットを投げつけた。
『この力で,あなたよりも私を選ばせることは出来ましたわ。』
『じゃあ今,掠夜に聞いてみたら?』
再びカスタネットを突きつけられた都は数秒玻紅璃を睨みつけたが,震える手で受け取るとわずかながらに鳴らし始めた。
しかし。すぐにカスタネットはカツーンと乾いた音を立てて,先ほどよりも遠くに投げ飛ばされた。
『掠夜はなんて?』
『……。』
『都さんのことなんて,なんとも言っていなかったでしょう。あの掠夜が例え黒い力に巻かれたとしても,本気で好きになるわけはないですよ。』
『あなたなんて地獄に落ちればいいのに。』
玻紅璃の言う通りだった。
都は震えながらも黙って立ち上がり,玻紅璃に向かって歩き出した。
『私も殺して,それでおしまいにするんですか?』
そうではなかった。都はナイフの持ち手を向けて差し出してきた。
『掠夜さんと同じ所には行かせたくないですわ。私を殺して頂戴。そうすればこの殺人だってあなたに擦り付けられますもの。』
玻紅璃は無視してピアノに向かって座る。
『甘いわね。私の力までは聞かなかったんですか?私にはそんなもの必要ないですよ。』
そう言い,ベートーヴェン作曲『悲愴』の第1楽章を弾き始めた。
強い悲しみがこもったような音色が館内に広がる。その震えるような,それでいて激しい感情が渦巻いたような音色は涙を誘う。
曲の半分にも満たない頃,ゆっくりと掠夜が起き上がった。そして,階下で倒れていた4人も起き上がる。都は蘇生する5人を見て,震えて座り込んだ。
自分とは異質な人間を目の当たりにし,立っていることが出来なかった。
黒い力を操れるようになっても,中までは黒になれなかった。
『籠の鳥は出るべきじゃなかったんですよ。』
そう言い,平吉毅州作曲『踊り』を弾き始めた。
せっかく鳥籠から逃げてきたというのに,別の籠に捕われてしまった都。そこで温まることなく,出ることも考えられず,自分の欲望に走ってしまったのだ。どれだけ自分で理解出来たかは分からないが,おそらく掠夜に魅了されただけで何も考えられなかったのかもしれない。
哀れにも,音からほとばしる力に,都は事切らされた。




