Voice
とあるコンサート会場を出て,俺はある人に声を掛けられた。その人はすらりと背の高い,綺麗な女性であった。
「今日のコンサート,とっても良かったです。独唱の時なんか涙が思わず出てしまったくらい。」
そう言う女性のアイメイクはまったく崩れていなかった。だが,それに気付いていない振りをして微笑んだ。
「それはありがとうございます。」
「あの,よろしかったらご一緒に食事でもいかがですか?」
思わぬ誘いに驚きつつ,チラリと相手の薬指を見る。その視線に気付いたのか,彼女はサッと隠した。
「あの……。」
「失礼。あらぬ疑いをかけられたら,と心配しただけですよ。構わないのですか?」
「ええ。」
あまりにもきっぱりと言うので苦笑しそうになったが,俺は決めた。
ある事を。
思いついた自分に思わずニヤリと笑んでしまいそうになるが,軽く柔らかな笑みを作って見せる。
「じゃあご一緒いたしましょう。」
エスコートするように彼女を促し,近くのホテルへ入った。
有名なホテルだけあって,味は格別であった。彼女との話もよく,ワインも結構進んでいた。
会計はあっさり彼女がして,俺はホテルを出るときに頭を下げた。
「ごちそうさまでした。」
「いいえ。あの,お時間は?」
「まだ平気ですが。」
「じゃあ,家にいらして下さいな。」
プライベートなら困った表情を浮かべるのだろう。だが,このときの俺は女性には分からないようにクスリと笑み,女性にはやわらかく微笑んで見せた。
タクシーで20分ほどで着いた彼女の家はやはり大きかった。警備も万全な様子を窺える家である。いわゆる,裕福な家庭というものを容易に想像出来る家だ。
普段は家政婦でもいそうだが,今この家には俺たち2人だけだ。彼女自らコーヒーを運んでくれた。
「美味しいです。」
「まぁ,ありがとうございます。」
「いえ,こちらこそ。お礼に短めの曲でも。」
俺はそう言うなり立ち上がり,少し離れてから歌いだした。ただし,声は出ていない。しかし,彼女の耳だけには聞こえている。その彼女は段々とうつろな瞳になり,ゆっくりと歩んでどこかへ消えた。
しばらくするとお盆のようなものに札束を山積みにして現れた。彼女はそれをいったんテーブルに置き,俺の皮製のアタッシュケースを開けて中にあった偽札を全部取り出し,持って来た札束を綺麗に入れた。そして偽札を山積みにしたお盆のようなものを持って,先ほどと同じようにゆっくりと歩んでどこかへ消えた。
戻ってきた彼女は何事も無かったかのようにソファーにゆっくりと座り,歌を聴きこんだ。
そう,コレが俺の能力。歌うことでその人の意思をなくし,自由に操れるのだ。
俺が歌い続けると彼女はまぶたを閉じ,眠り始めた。それを見取ってから歌うのを止め,彼女の横に座ってコーヒーを飲んだ。
30分ほどしてから彼女は目を覚ました。
「やだ,お客様がいらっしゃるのに。すいませんでした。」
真っ赤に照れながら謝る彼女に手を振る。
「いえいえ。こんな時間ですし,失礼します。ゆっくりお休み下さい。」
「本当にすいません。ありがとうございましたわ。また機会があったら来て下さいね。」
旦那のいる身で大胆な誘いだが,俺は臆する事も無く頭を下げて家を出た。もちろん,偽札ではなく本物の札束をアタッシュケースに詰めたままだ。
「いい獲物だったな。」
ニヤリと笑み,薄暗い街灯の少ない住宅街を去って行った。
数日たってからニュースで流れるようになった。現金がそっくり偽札に摩り替わっていたというニュースである。
当然,犯人はこの俺。だが,捕まる事は決して無い。
理由は簡単。記憶も操作したからである。俺に関する記憶を一切消したのだ。
方法はもちろん,俺の声で。
「次は誰にしようかな?」