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Takt  作者: 快流緋水
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迷い込んだ鳥

 若葉の季節は終わり,今は梅雨の終わり頃。終わりといっても雨は降ることは降る。毎日じめじめした日で,なんとなく憂鬱。だけど,今日は久々に太陽が力を発揮してカラッとした気持ちの良い日であった。

 それなのに憂鬱な人がいた。

 着ているのは振袖。鮮やかな朱が全体に広がり,花を縁取っている金糸が煌びやかだ。着ている服が華やかなのに,表情は一転して暗い。目は伏目がちで,口はきゅっと閉じられている。

 明らかに,楽しくない表情。頭の中でウジウジと悩んでいる表情だ。

 ふと顔を上げる彼女。

『ピアノの音かしら?』

耳に入ってきたのは,確かにピアノの音色であった。誘われるように歩いて行くと,大きな洋館にたどり着いた。

 掠夜の館だ。

 普段何気なく通る道なのに洋館があることに気付かなかった彼女は,吸い寄せられるように門に近付いた。自分の家が和風なだけに,この洋風な家はとても魅力的に目に映っていた。

『誰の家かしら?』

門扉に手を掛け,じっと中を覗く。

『この曲…?』

『モーツァルト作曲,キラキラ星変奏曲。』

彼女はハッとして振り返る。そこにはジーンズに白のシャツを羽織った醒が立っていた。

『キラキラ星変奏曲。知ってるのか?』

『ええ,綺麗な曲ですもの。』

醒が重そうな門を手軽に押して開き,女性を手招く。

『え?』

『来なよ。』

女性はちょっと考え込んだが,軽く頷いて醒のあとについて行った。

 古めかしい玄関のドアノッカーを叩き,音もせずに開いたところでさっと女性の手を引いて入った。手を引かれた方はドキリとしてしまうが,醒は至って冷静。そのまま2階にあるグランドピアノまで連れて行った。

 グランドピアノの前に座っているのは,ワインレッドのバラがプリントされたワンピースを着ている玻紅璃。その横には暑いというのに黒のワイシャツにワインレッドのネクタイを締めている掠夜が立っていた。

『いらっしゃい。』

何食わぬ顔で掠夜は言い,玻紅璃にひと言囁いてこの場を離れさせた。

 掠夜は醒に目配せし,それから彼女を上から下までじっくりと見た。強い視線に身じろぎし,醒にすがろうとする彼女。それを見て,掠夜はクスリと笑みをもらした。

『失礼。醒が女性を連れてくるのは珍しいので。』

『あ,いえ。』

『どうぞ。』

掠夜は醒から引継ぎ,彼女を応接間までエスコートした。

 コロンの香りが彼女の鼻をくすぐり,ドキドキさせた。それだけでなく,後姿だけで彼女は惹かれていた。


 応接間では玻紅璃がお茶の用意をしていた。

『こちらにお座り下さい。』

『ありがとうございます。』

掠夜に指定されたソファーに座ると,玻紅璃がマイセンのティーカップに紅茶を注ぎ,全員に差し出した。

 アールグレイの香りが部屋に広がり,部屋の装飾と相まって,ここが外国のように感じられた。

 この中で唯一の部外者はドキドキしながら3人を見た。年齢がバラバラで,外見も似ていない3人だから,どんな関係なのか気になったようだ。

それに気付いて,醒が咳払いをして口を開いた。

『音楽仲間だよ。』

『そうなんですか。えっと……。』

自己紹介すべきか,お邪魔させてもらった事にお礼をすべきか,迷って口を濁す。それを見て,振袖を着た楚々としたお嬢様風の彼女に玻紅璃はニコリと笑みを向けた。

『私は玻紅璃です。こちらが掠夜,あちらが醒さんです。』

『はい。わたくしは都と申します。』

手を揃え,しっとりと頭を下げる。その動作だけで,作法を習っている事が窺えた。そして,着ているのが振袖となると,お見合いをしてきたのでは,と3人は思った。

『ピアノの音が気になって門の前に立っていたそうですね。』

いつもの掠夜と180度違って,爽やかな青年振りを醸し出している。

 いつもと違うことを知らない都は,彼の様子に安心してかすかに笑みを作る。

『はい。綺麗な音だったので。』

『ありがとうございます。弾いていたのは,私なんです。』

『そうでしたか。ピアニストの方なんですか?』

あまりに真面目に問われ,玻紅璃は一瞬ぽかんとしてしまう。その様子を見て笑う男性2人。

『あ…。』

恥ずかしくなり,顔を下に向ける都。だが,掠夜が横に座って肩を撫でてやるとおどおどしながらも顔をゆっくりと上げた。

『悪いね。玻紅璃はプロのピアニストではないよ。まぁ,ピアノを弾くからピアニストには変わらないけれどね。』

『都さんは何か音楽をなさっているんですか?』

急な話題転換に意表をつかれて目を丸くするが,すぐに悲しそうに下を向いた。

『あ,ごめんなさい。変なことを聞いちゃって。』

玻紅璃が慌てて謝るが,都は涙目になりながらも首を振った。

『いいえ。変なことじゃないです。ただ……。』

視線をそらすと,掠夜が落ち着かせるように頭を撫でた。都は掠夜の行為に励まされたのか,ハンカチで涙を拭き取って顔を上げた。依然として悲しい顔のままだが,胸の内に燻っているものを吐き出したい表情が強かった。

『わたくしの家は代々琴の師範でございます。わたくしも小さい頃から習っております。』

『由緒あるお宅なんですね。』

『ええ。ですが,わたくしには重荷でしかありません。師範としてのお墨付きも父から賜りましたが,継ぐ気持ちは全くないのです。』

表情が暗かったのは,このことがあるからであった。

自分の意思とは関係なく,継ぐ者として,次代として成長させられた自分が嫌でたまらなかったのだ。

 それから。

『私には兄弟・姉妹はおりません。ひとり娘でございます。選択の余儀なく,わたくしの家に相応しいと両親の言う方とお見合いもさせられました。』

自分の気持ちを察してくれない両親。ただ単に血を残し,家を守って行くことしか念頭にない両親。

 そんな両親は,都を押しつぶすだけであった。

『もしかして,お見合いから抜け出してきたんですか?』

コクリと強く頷く彼女を見て,掠夜は思わず笑いをもらしそうになったが,そこはいつものごとく上手く隠した。そして,都に微笑を向ける。

『だったら,しばらく俺の家にいないか?』

『え?』

目を見開いて掠夜を見る都に柔らかな笑みを浮かべながら3人は頷いた。

『行く当てもない。だが,家には帰りたくない。違うかい?』

首を縦に振る都に,玻紅璃は頷いて同意を示す。

『じゃあここにいたらいいと思いますよ。ここにいたら見つかる心配もないし,ここには掠夜しか住んでいませんし。』

ある意味でドキッとして掠夜を見つめ返すが,好ましい笑みを向けられて都は安心させられた。

『わたくしなんかがお世話になってもよろしいのですか?』

『構わないよ。日中は仕事でいないし,好きにして貰えばいいからね。』

目線で是非を問うと,都はここでようやく肩の荷を降ろしたように微笑んだ。

『それではここにいさせて下さい。出来ることは致しますから。』

それを聞いて掠夜は手を差し出した。都は一瞬戸惑ったようだが,素直に手を差し出して握手を交わした。

 それを見て2人は微笑んだ。

 黒い笑みで。

 だが,それは都には見られなかった。


 籠から逃げ出した鳥よ。

 この手は自由への道か?


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