Crash
残暑の厳しい日々も終わりを告げ,初秋の風が街中を駆け抜けた。青々とした空も,今はどこかぼんやりと薄くなり,綿飴のような雲も消えた。鬱憤を晴らすような鋭い日差しから,柔らかい日差しになっている。
毎日変化はする。
某地方交響楽団の事件,アートホールでの事。それらからも時間はたっている。
その間にも起きていた。
名が売れ始めた作曲家の死。有名音楽評論家の自殺。ジャズブームを起こしたヴォーカルの大怪我。美人カルテットと噂されていた人たちの事故死。 片手では収まらないほどの事件が起きていた。
それもすべて音楽家が関わっている。
怪しいこと,この上ない。
だが,誰の仕業なのかは全く分からない。
日中の暑さがかげると,朝夕の気温はぐっと身体に沁みた。ひんやりとした風が頬を撫でる。醒は腕をさすり,そのついでに時計を覗く。このまま行けば8時には掠夜の家に着きそうだ。ただ,その前に気になることがあった。
ふと立ち止まり,くるっと180度振り返り,目的の人を見据える。年は40近い。背は160cm以上あり,女性としては高い方であろう。高いヒールをコツコツと音立てて歩いていたが,見据えられて立ち止まる。
彼女も分かっているはずだ。だが,何も言わなかった。何かをする様子もなかった。
でも,密かに構えている。
醒は声にならない声を出して歌おうかと思った。だが,彼女の目的がなんなのかが気になった。
「何か御用ですか?」
「はい。」
意外にも彼女ははっきりとした声で返事をして来た。それも,恐れる様子もない。むしろ,待ち構えているハイエナの雰囲気だ。
「声楽家の方ですよね。いつもコンサートで拝見させて頂いております。」
「拝聴の間違えでは?」
皮肉を込めて言うと,彼女はクスクスと笑い出した。
「そうですわね。あなたの声をじっくりと聴かせて頂きましたわ。筋の通ったバリトンの声で,凄く好きなんです。」
「それはどうも。だが,それが御用とは思えませんが?」
「ふふ,分かっていらっしゃるのね。ずばり言わせて頂きますわ。あなたの声が欲しいんですの。」
言った内容は色気からかけ離れているが,艶容な笑みを浮かべながら言われると妙な感じであった。
だが,それに嵌る醒ではない。
「歌って聴かせる事は出来ても,そのものをあげる事は出来ませんね。出来たとしても,他人に譲る気など毛頭ない。」
「その声で稼いでいるから?」
「稼いでいる気はない。」
彼女は皮肉めいた表情を浮かべた。
「その声で幾人も騙しているくせに,よく言えたものね。」
「なんのことだか。そう言うあんたはずいぶんと派手にしているじゃないか。」
ピシリと音を立てるかのように表情が凍る。
「ま,関与する気はないけどね。失礼。」
醒は侮蔑の眼差しを彼女に投げつけ,掠夜の家に向かった。
いつも通りドアノッカーを叩きつけて入り,いつものように応接間のソファーに身を沈めた。
「なんだか疲れているな。」
ワインを注ぎながら掠夜が聞いた。醒は小さく息を吐き,それから一気に赤ワインを飲み干した。
「俺の力をどこからか知って,探りを入れられたんだよ。そう言う彼女も妖しい空気いっぱいだったがな。」
掠夜はニヤリと笑む。
「女性といられて嬉しかったんじゃないのか?」
茶々を入れる彼にむすっとした表情を向ける。
「玻紅璃みたいに可愛い子ならいいけどね。刺々しい高慢な雰囲気の女性はいらないね。」
「色々とありそうな女性だな。チェックしておきたいが…?」
チラリと醒を見ると,彼は肩をすくめた。
「また接触してきたら捕まえろってか?」
「いや,それは醒に任せる。」
掠夜は決して押し付けたりはしない。相手の出方次第で動き,相手の気持ちに合わせる。相手の領域には入ってこない。そういう点を知っているから,年長の醒も話していて苦にならないのだろう。
「まぁいいか。一応見ておくよ。」
そう言い,2杯目の赤ワインに口をつけた。
赤ワインからロゼに転向した頃,玻紅璃以外のメンバーが集まった。それぞれ好みのアルコールをのどに流し,掠夜お勧めのチーズなどを口にする。話題はやはり手柄だが,それよりも続いて起きている事件の事の方が割合を占めていた。
ロゼを飲みながら新聞を読んでいた醒が顰め面をした。不思議な記事に目が止まったのだ。見出しは,『コンサート後の集団自殺?』である。内容は,作曲家,またコンサートで披露するヴァイオリンの腕前も有名な河相ヤスユキのコンサートに行った40名が帰り道,あらゆる交通手段を使って自殺を図ったということ。
「妙だな。またか?」
醒が呟くと,隣に座っていた侑が記事を覗きこむ。
「何がですか?」
「これさ。」
トントンと示した所を読む。侑の眉間にしわが寄る。
「怪しいな。」
「どれでして?」
玲と葵も首を突っ込む。掠夜は口に付けていたグラスを置き,記事に群がるメンバーをチラリと見た。どの表情を見ても,解せないことが表れている。
「掠夜,読んでみろよ。」
醒に渡され,半ば仕方なく目を通す。彼は今,玻紅璃がなかなか来ないことに気を取られていた。だが,それは記事にすりかえられる。
「力か?」
「きっとね。でも,使ったのは河相ヤスユキとは限らないでしょ?」
5人の表情が引き締まる。
(一体誰が?)
誰の仕業なのか見当もつかないが,おそらくコンサートで演奏していた人だろう。
「怪しいな。」
侑のセリフを繰り返すと,音もなく応接間のドアが開かれた。玻紅璃かと思って視線を全員向けるが,そのまま硬直する。
彼女はそこにいなかった。
女性が立っていただけだ。30代後半に見える女性は,微笑みながら全員を見回した。