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Takt  作者: 快流緋水
18/42

Boad

 醒は冷めかけたコーヒーをすすった。主に紅茶を扱う喫茶店の割りにはコクがあって美味しいコーヒーをのどに通し,時計を見る。約束の時間まであと10分。

 ふと視線を上げて入り口を見ると,着飾った彼女が来たのが分かった。軽く手を上げると彼女も手を上げ,微笑みながらテーブルに駆け寄ってきた。

「遅くなってすいません。」

「いや。まだ時間前だよ。」

軽く首を振りながらメニューを渡す。さっと目を通し,近くを通ったウェイトレスに注文をしてからきちんと座り直した。

「綺麗だね。」

「そんな。」

彼女・玻紅璃は照れて首を振る。その表情が可愛らしい。

「いつもと雰囲気が違うから,驚いたよ。」

「醒さんって,口がお上手ですね。」

「ん?本当のことを言っただけだよ。」

「それは…ありがとうございます。」

注文して来たチャイティーを飲み,照れながらお礼を言う。

「黒のワンピースって大人な女性が着るって感じがするから,なんか恥ずかしいんですよ。」

「玻紅璃だって立派な大人だと思うけどね。」

「まだまだお子様ですよー。今日は醒さんがコンサートに連れて行ってくれるからこれを着たんです。」

醒は苦笑する。

「おじさんって言いたいのか?」

「やだ,そんなつもりじゃないですよ。醒さんの横に立つから背伸びしようと思ったんです。醒さんって紳士的なんですから。」

玻紅璃の偽りのないコメントに,醒は人を落ち着かせるような表情を浮かべる。

「十分淑女だよ。」

「中身が伴っていないですけれどね。」

大人な女性の外見と幼い感じの内面のギャップが面白く,醒は思わず笑みを漏らした。

 開場の時間となったので喫茶店を出て,アートホールに向かう。そのとき,玻紅璃は思いつきで醒の腕と組んだ。組まれた方は慌てて玻紅璃を見る。

「おい。」

「だめですか?」

背の低い玻紅璃による,無意識の上目遣いに醒は呆れてしまう。

「そういうわけじゃないが。まぁ,今夜はいいとするか。」

「傍から見れば,お似合いな2人に見えるかしら?」

「不倫と思われるかもよ?20歳以上離れているしね。」

「こんなに堂々とした不倫は出来ないでしょ。」

「それもそうだが。なんか掠夜に悪いな。」

玻紅璃は目を丸くする。

「なんでですか?」

「掠夜はお前を気に入っているからな。なんで付き合わないんだ?」

首をかしげる。

「なんででしょうね。この関係がいいみたいです。」

「面白い2人だ。」

玻紅璃はふふっと軽く笑う。

「私自身もよく分からない関係で戸惑うことはあるんですけれどね。それより,今日はありがとうございます。」

チェリストの葵が出るコンサートを醒から誘われたことに,玻紅璃は嬉しい笑みを浮かべながらお礼を言った。

「構わないよ。運良くチケットが手に入ったからね。」

傍から見れば親子とも恋人同士とも見れない状態だが,2人仲良く会場に入って席に着く。S席と言うこともあり,舞台がよく見える。舞台上ではすでに3,4人音ならしをしていた。

「始まる前の空気も好きなんですよ。チューニングしている時から,わくわくしちゃって。」

「そうだな。」

パンフレットを見ながらしばし話しているうちに,開演となった。

 今夜の曲目はドヴォルザーク作曲交響楽9番ホ短調作品95『新世界より』である。普段からクラシックに慣れている2人ではあるが,生の演奏は格別。夢中になって聴き入る。

 だが,しばらくたって,玻紅璃の様子がおかしくなった。かすかに震えている。不審に思った醒は彼女の手を握り,顔色を窺う。それに気づいて彼を見るが,すぐに舞台へ視線を向けた。

「休憩になったら言います。」

その声も,かすかに震えていた。

 休憩になり,玻紅璃は何も言わずに醒の手を引いて誰もいない廊下に出た。そこでようやくひと息をつく。

「どうした?」

「感じませんでしたか?音全体に力を。」

醒は眉をひそめる。

「いや。舞台がちょっと歪んで見える気はするが,ほかにはなにも。」

「これが終わったら,きっと何人かは自殺します。演奏者だって,殺されるかも……。」

不穏な空気。玻紅璃はそれから逃れたいように,深呼吸を繰り返した。

「誰かが操っているってことか?」

「そんな感じです。でも,楽器じゃないんですよ。音全体に感じるんです。」

「そうか。うん……おいで。」

今度は醒が玻紅璃の手を引き,舞台袖まで来た。そこに入るドアにはもちろん警備としてドアマンがいたが,醒の伝手でこっそり入れてもらったのだ。

「葵は…?」

舞台袖に集まっていた交響楽団員の合間を縫って彼に近づく。気づいた葵は,驚いた表情をした。

「どうしたんですか?」

「すまんな。ちょっと。」

2人は彼を隅に連れて行き,感じた力のことを伝えた。

「いったい誰が?」

「誰かは分からない。ただ,音全体に感じるそうだ。玻紅璃,なんか感じるか?」

玻紅璃はじーっと誰もいない舞台を見つめる。譜面台と椅子が並べられているだけで,特に変わった様子はない。

 だが,見える人には見える。

 見えない目で。

 黒い力の目で。

 玻紅璃は少し悩んだようだがうなずき,2人に向いた。

「椅子と譜面台の位置がおかしいです。」

「そんなはずは。僕たちが昨日並べて,今日確認しているんですよ。」

すかさず言い返す葵に,玻紅璃はゆっくりと首を振った。

「ほんのわずかですが,ずらされている感じがします。そこに座って譜面を見て演奏をすると,聴いた人の脳に刻まれて,きっと……。」

「それは玻紅璃の勘か?」

確信は持てないがうなずく。

「いったい誰がしたんだか…。」

「それはあとだ。なんとかしないと,おれたちも被害を受けるかもしれないからな。」

「でも,どうするんですか?」

「んー,そうだなぁ……。」

醒はあごに手を当て,考え込む。数十秒後,頭の中で考えたことに納得したのか2度うなずき,2人を見た。

「きっと1つでも力がほころびれば,効果は無くなるだろう。葵,席に着くまでにいくつかの椅子や譜面台を自然にずらしてくれ。」

この要望に,葵は目を丸くした。

「自然にって…難しいですよ!?幕はないし,入場するのにバタバタしていたら目立つし,怪しいです。」

「だから,自然にするんだよ。そこは葵の演技力次第だな。」

面倒なことを押し付けられ,呆れ返る葵。

「本当にするんですか?」

「おれたちは死にたくないしね。気づかない程度に俺も歌って気を紛らわしておくよ。」

「本当にしてくれるんですか?」

醒は安心させるように微笑み,強くうなずいた。

「分かりました。」

「葵さん,あの,弾いている時にちょっと出来たらこの力を吸い取ってみてください。少しは弱まると思いますし。」

玻紅璃のお願いに,これまた葵は呆れ返った。

「難題を吹っかけるんですね。分かりました,何とかしてみましょう。とりあえず,もう席に戻って下さい。時間だし,スタッフが困っているじゃないですか。」

2人が周囲に視線を向けると,早く出て行って欲しい眼差しを強く向けられてしまった。明らかに関係者以外の存在に,ほとほと困っていたようだ。彼らに頭を軽く下げ,葵の肩を応援の意味で叩いてその場から出た。

 席に戻るとちょうど休憩が終わったアナウンスが流れた。醒は声にならない,力の歌で周囲の意識を舞台からそらして葵のバックアップをする。

 玻紅璃だけが見守る中,葵はいくつかの椅子を少しずつずらし,席に着いてからも自分の椅子と周囲の譜面台を整える振りをしながらほんの少しずらしていた。

 これでよし。

 その後,お客の心を湧かせる音楽が奏でられた。しんと静まり返った会場に波紋する音色が心地よく,誰もが聴き惚れている。

 醒は玻紅璃の手を握って様子を確かめる。先ほどとは違ってドキッとした玻紅璃であったが,優しく握り返した。

 もう大丈夫,と意味を込めて。


 この演奏を舞台袖で聴いていた女性は,自分の手が白くなるほど強く握り締めていた。

 自分の仕掛けた罠がほころんだことに。

 力を消されたことに。

 見破られたことに。

 それらが悔しくて堪らなく,握り締めた手は怒りで震えていた。

「どうかしました?」

部下に声を掛けられ,ハッとして我に返る。それと同時に微笑を向けた。

「大丈夫よ。演奏があまりに素敵だったから。」

「本当にここの交響楽団はいいですよね。私,好きです。」

「そうね。私も好きだわ。」

獲物としてね。そう心で付け加えていた。

 次に心を占めていたのは,ただ1つ。

 見破った人を手に入れたい。

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