賽
玻紅璃が目を覚ますと,窓からは明るい朝日が差し込んでいた。その爽やかな空気とは裏腹に,身体はふらふらと,宙に浮いているような感じであった。
(二日酔いかな?)
今まで潰れるほど飲んだ事はないが,昨夜の記憶は微妙に途切れがちだ。
(昨日は何していたんだっけ?)
思い出そうとしても,浮遊感が邪魔をして上手く引っ張りだせない。
なんとか引き出したのは,昨日いた場所。昨日の記憶の終わりにいた場所は応接間。だが,ここは掠夜の寝室。正確に言えば,ベッドの上であった。その証拠に,掠夜も隣で眠っている。
(うわー。掠夜の寝顔,初めて見た。男のくせに可愛いなぁ。)
まだ酔いが続いているような頭で考えたことは,頬をつねる事。
(私より肌が綺麗じゃないか?)
なんだか悲しくなる思いをしながらも,頬をつねる。
3回して,ようやく掠夜が目を覚ました。ご機嫌斜めな視線を玻紅璃に向け,むっくりと起き上がる。
「なにをするんだ?」
ほや〜っと気の抜けた笑みを浮かべる玻紅璃。
「なんとなく♪」
掠夜はその答えを聞いてそっとため息をつく。
「酔っているんだな。」
「そんなことないですよー。」
「じゃあ昨日どれだけ飲んだか覚えているか?」
数秒沈黙。そして,テヘっと軽く笑う。
「覚えてないです。」
「まったく。玻紅璃,昨日は日本酒5合と赤ワイン1杯を飲んでいたんだぞ。」
「ワインも。あ……!!」
一気に記憶が戻ったようだ。そして,掠夜に視線をしっかりと向ける。だが,その視線は寂しさをたっぷりと含んでいた。
「水珂を食べちゃったんですよね。」
「あの人が水珂という人ならね。」
昨日と同様,無関心に答える掠夜。
「憎たらしい。」
掠夜にまたがり,昨夜のように首に手を掛ける玻紅璃。だが,力は全く入っていない。
「でも,憎めない。それだけ言えればいいです。」
そう言い,手を離してゴロンと横になる。
「そうか。で,話は変わるが二日酔いだろ?」
「んー,ちょっとかったるいだけですから。」
「ちょっと?」
含み笑いをする。
「なんですか?」
拗ねた口調。いつも通りの玻紅璃だ。だが,いつもよりはパワーダウンしているようだ。
「昨日は俺とキスしているうちに寝たくせに。ちょっとの酔いとは思えないな。」
玻紅璃は一瞬で真っ赤になる。
「えぇ!?」
「覚えてないのか?」
「いや,キスした事は覚えてますけど。」
その後の記憶はない。暗にそう言っているのを読み取り,掠夜は微笑む。
「今日は寝ておけ。俺は仕事に行くけど。」
「行っちゃうんですか?」
「作曲したやつのCD製作でスケジュールがいっぱいだからね。適当に過ごしていな。」
「はぁい。」
眩しい朝日の中,掠夜は部屋をあとにした。
その日の夜,醒が物をつっかえたような,あまりよくない表情を浮かべながらやってきた。仕事の疲れかと思っていたが,どうやら違うようだ。ワインに手を付ける前に,ゴシップ雑誌の切抜きを掠夜に差し出した。
「とりあえず読んでみろ。」
言われるままに目を通す。横から玻紅璃も顔を覗かせて読む。その表情が段々と疑惑に満ちてくる。
「これって本当に起こったことですか?」
「多分。」
ワインをひと口飲んで落ち着いた醒は言った。
記事の内容は,某交響楽団の団員の半数がコンサート後に事故にあったということである。しかも,バラバラにだ。数名ならばこの記者はもとより,誰も気に掛けなかったであろう。だが,被害にあったのは団員の半数である。数十人にものぼる。
「誰かが故意にしたってことか?」
醒は首を軽くかしげた。
「分かるのは,俺たちの誰かってことじゃないくらいだな。」
「私たちの知らない力の持ち主ってことも分かるんじゃなくて?」
横から声を入れたのは,玲であった。お決まりのように,葵と一緒に来ていた。
「やぁ,いらっしゃい。」
掠夜は軽く笑んで迎え,サッと手を振って日本酒とグラスの追加をした。
「いつも一緒に来るんだな。」
「付き合っているのか?」
思いもよらない質問に玲は目を丸くし,葵は少々慌てた表情をした。
「付き合ってませんって。こんな僕と釣り合いませんし。」
「そんなことはないと思うけどな。似合っているよ。」
半分は本当にそう思い,半分はからかっている掠夜。面白がっているその様子が気に食わなかったのか,玲はキラッと狙いをすました猫のような視線を向ける。
「そう言うのなら,掠夜と玻紅璃だって付き合っているんじゃなくて?」
2人が顔を合わせる。色めいた雰囲気は欠片もない。
「付き合ってはいないな。」
「そうですね。」
あまりにあっさりとした反応。更に面白くなく,玲は肩をすくめて席に着いた。
「私たちもそれが気になって来たのよ。」
「ゴシップ雑誌だから真偽は微妙ですけれど,ここまで大きいと無視出来ませんから。」
この記事を巡って5人は話し合う。玻紅璃の勘ではこの記事内容は本物のようだから,一体誰がしたのか。また,何のためにしたのか。あてもないところから探っても仕方がないのだが,やはり気になる。しかし,結論としてはやはり様子を見る,ということであった。
その後,教授の特訓にほとほと疲れた侑もまざった。疲れきってはいたが,この話に食いついてきた。あまりない様子に,全員の視線が集る。
「それは本当のことだ。教授が,教え子がコンサート後に突然死んだって話していたから。」
「どこの楽団だ?」
某交響楽団とは,地方の交響楽団であった。だが,知名度としてはかなり低い。そんな交響楽団だからゴシック雑誌に取り上げられたのだろう。
「ま,さっきもそうだったけど,やっぱり様子を見るしかなさそうだな。」
醒が掠夜に視線を向ける。向けられた彼はすました表情であったが,唇を片方吊り上げて鼻で笑った。
「そうだな。また何かあれば出てくるだろう。」
掠夜がまとめてしまえば,他の人は何も言わない。
それからは,最近の手柄の話や掠夜のCD製作の話に移って言った。
彼らの知らないところで,うめき声をあげて倒れた人がいた。全身を強く打ち,血が流れている。それに気を取られることなく,その場から離れて行った人がいた。
コンクリートの地面に,ハイヒールの音だけが響いていた。