血の色ワイン
掠夜と葵が女性を路上に置いて戻ってくると,玻紅璃の伴奏に合わせて醒が歌っていた。2階から放たれる声が洋館に反響し,落ち着かせている。だが,その声は『声』として耳に入らなかった。直接脳に働きかけているような,優しい波長を醸し出していた。
歌い終わったところで掠夜と葵は拍手し,醒は軽くうなずいて見せる。そして伴奏をしていた玻紅璃に握手を求めた。
「初見なのに結構弾けたもんだな。凄いね。」
手離しに褒められ,玻紅璃はにっこりして握手する。
「ありがとうございます。ちょっと緊張しちゃいました。」
「玻紅璃は腕が上がったんじゃないか?」
2階に上がってきた掠夜がそう問いかけると,首をかしげた。
「掠夜作曲のを弾くために相当頑張りましたけど,まだまだですよ。」
「でも,成長の可能性はかなりあるよ。鍛え甲斐があるね。」
「え?掠夜さんが教えていたんですか?」
驚きの声を上げる葵に,掠夜は軽く微笑む。
「まぁね。醒,ご苦労様。」
「いや。ここらへんの人の記憶を消しておかないと,あとあと大変だからな。こっちは請求させて貰うよ。」
「了解。」
4人が応接間に戻ると,すでに玲は日本酒を飲んでいた。
「ご苦労様。」
「いや。玲もご苦労さん。」
「いーえ。醒,よろしくね。」
「へいへい。」
全員が席に着き,グラスを傾ける。
「何を食べたい?」
掠夜が注文を取り,サッと指揮をするように腕を動かす。すると30分後にはそれぞれの食べ物が配られてきた。
「便利ですね。」
「これも力の内だよ。」
「やっぱり掠夜さんが1番強いんだな。」
恨めしそうに侑が言うのを聞いて,掠夜はクスッと笑む。
「そんなことないよ。以前,玻紅璃にかわされちゃったからね。」
侑は目を広げて玻紅璃を見るが,見られた方は恥ずかしそうに身をすくめた。
「勘が働いただけですー。強くないですからね。」
「あら,そんなことないでしょ。」
「そんなことありますよー。」
酒盃を抱えながら抗議すると,玲は妖しく微笑んだ。
「ここに集っている人たちは力を操り,自分の物として持っていられるのよ。強いに決まってるじゃないの。」
「力を自分の物とすることが,強い証拠であるからな。」
掠夜はニヤリと笑んだ。
その後。残った玻紅璃と洋館の主の掠夜はまだお酒を飲みかわしていた。
「強いな,玻紅璃は。」
「飲みたい気分なんですよー。ね,今度は真っ赤なワインが欲しいなぁ。」
酔いの回った声で言われ,掠夜は苦笑する。
「明日潰れるぞ?」
「いいんですー。ねー,ちょうだ〜い。」
駄々っ子のように掠夜にワインをせがみ,彼は仕方なしに運ばせる。
「1杯だけだよ。」
「やったぁ。」
アンティーク調のグラスに注がれる様子をじっと見て,満たされたワインに口を軽く付けた。
「美味しい。」
掠夜も自分に注ぎ,口を付ける。年代物ではあるが,渋みは少なくて口にちょうど合う。
2人ともしゃべらず,静かな中でワインを傾ける。香りだけでも心地よいワインだが,喉に流すと格別である。上質なワインをゆっくり味わって飲み,グラスを空ける。
グラスが空になったところで,掠夜は口を開いた。
「今日はどうしたんだ?」
もたれかかってくる玻紅璃の頭を撫で,真意を引き出そうとする。だが,玻紅璃はまだ口を開かず,ワイングラスを眺めるだけであった。ちょっぴり残った真っ赤なワインがグラスの中を泳ぎ,目を遊ばせる。
「玻紅璃?」
呼びかけるが返事はなく,まだグラスを眺めているばかりであった。
痺れを切らした掠夜はグラスを取り上げ,玻紅璃に正面を向かせた。
「いったいどうしたんだ?」
こんなに人に執着を見せた事がなかっただけに,自分の今の姿に呆れ返ってしまう。だが,そんなのはお構いなしだった。玻紅璃の様子が気になって仕方がない。
「真っ赤なワインだよね。」
テーブルに置かれたワイングラスを取って傾け,ちょっぴり残っていたワインを掌で受ける。
「痛かったよね,きっと。」
掠夜は眉をひそめる。
「何の事を言っている?」
玻紅璃は掌に乗ったワインをぺろっと舐める。
「水珂のことよ。」
「は?」
掠夜の記憶にない名前を出され,軽く混乱する。だが,玻紅璃は酔っているはずなのにしっかりとした視線を掠夜に向けていた。
「海外演奏から帰って来た頃に,掠夜は女性に力を見せたでしょ。その人が水珂。」
半年ほど前の話だが,記憶には薄れていない。確かに,掠夜は海外演奏から帰って来たその日に連れ込んだ女性を仕留めていた。
「それが?」
「私の友達だったのよ。」
玻紅璃は掠夜の膝の上に乗っかり,首に手を掛ける。
「ね,掠夜。」
愛しそうに呼ぶ声。だが,冷え切った声でもあった。