一線
この日は珍しく昼間から掠夜の洋館に集っていた。それは,3年振りに掠夜が作曲した曲を試すためである。メンバー全員が集ってもパートとしては少ないのだが,おおよその流れを掴むには良かった。
「楽器が少ないから全体の雰囲気はあまり掴めないが,どうだ?」
今回は声を取り入れていないので,観客気分で聴いていた醒が掠夜をチラリと見ながら言った。見られた方は少々難しそうな表情を浮かべている。
「まぁまぁだが,もう少しキレがあるといいかな。ありがとう,参考になったよ。」
ヴァイオリニストの玲,チェリストの葵,トランペッターの侑は軽くうなずいて楽器を丁寧にしまう。2階にあるグランドピアノを弾いていた玻紅璃は拍手を送った。
「単独での演奏も魅力あるけど,やっぱり重なるといいですね。曲も好みです。」
「ありがとう。」
恥ずかしがる様子もなく受け取り,スッと視線を玄関の扉に向けた。その数秒後にドアノックが玄関ホールに響いた。
全員の視線が集中する。
一体誰が来たのかと。
ここに来る人は決まっているのだ。
知っている人ならばドアノックを鳴らすだけですぐに開けているが,今回はそうはいかない。掠夜は扉を通して相手を感じ取った。
白ではない。
でも,黒でもない。
今までない感じに眉をひそめるが,思いたってメンバーを見る。1階にいた者は皆,掠夜の判断を任せた表情をしていた。しかし,2階にいた玻紅璃は困惑した表情を浮かべていた。
「どうした?」
「何がどうだって事もないんですが,なんとなく不慣れな雰囲気を持っているように感じて。」
玻紅璃の勘がよく当たる事を知っているメンバーは怪訝そうに扉を見る。
「掠夜,どうする気よ?」
「ヴァイオリンを弾いてくれるか?」
―――気持ちを引き出してくれないか?
玲は宙に視線を巡らすが,視線を掠夜に戻してうなずいた。
「高くつくわよ?」
「醒,頼むよ。」
思わぬところで名指しされ,首をすくめる。
「まぁいいだろう。」
「交渉成立ね。」
玲は醒にニッコリ笑ってヴァイオリンを出し,弾き始めた。
ほかのメンバーは応接間で待機し,掠夜は玄関の扉を開けた。
そこに立っていたのは,40代に見える女性であった。掠夜は舞台上でする笑顔を向けた。
「どちら様ですか?」
「あの,さっきまで音楽が聞こえていたので。誘われて来ちゃったんです。」
「そうでしたか。もう終わってしまったんですけれど。何か?」
相手に隙を与えないようにスラスラと言う掠夜に対して,女性はやはりすぐには口を開かなかった。しかし,ヴァイオリンの音が段々と強くなってくると,まっすぐに掠夜を見て話し始めた。
「私がフルートを吹くと,聴いた人全員が気を失うんです。最初は聴いている人が疲れているせいだと思って取り合わなかったんですけれど,この間ホームパーティーで吹いたらみんな倒れちゃって。どうしてこんなことが私に出来るのかしら…。もうどうしたらいいのかと悩んで歩いていたら,音楽が聞こえたのでつい入って来ちゃったんです。すいません。」
「いえ。ですが,それだけではありませんよね。」
女性は思い切り視線を逸らす。後ろめたい証拠だ。それだけは言うまいと思っていたようだが,玲がきつく演奏したのを聴いて身を縮こまらせた。
「怖いんです。聴いていた息子がまだ意識を取り戻さないんです。ああ,どうしたらいいの…!!」
掠夜はうざったそうに女性を見て,それから玲にうなずいて見せた。玲は心得たように柔らかい音色をたてながら応接間に行った。
しばらくして,玲の変わりに葵が来た。
「頼むよ。」
掠夜はそれだけいい,葵はうなずく。そして,椅子を引っ張り出して来て座り,チェロを出した。
かすかな緊張感はあったが,掠夜の手を取ってからはずいぶんと使ってきたこともあり,すんなりと弾き始めた。優しい音色が玄関ホールに響き,耳を刺激する。だが,女性にとっては耳だけではなかった。身体の中心から抉り取られるような感覚が走った。
1分後。女性は倒れ,葵は汗だくになって弦を下ろした。
「ずいぶんと強いですね。でも,本人はそれを認めたくはなかった。その上,こなせる力がなかった。だから周りに影響が出たんでしょう。」
「そんなところだね。この人は路上に置いて,俺たちは応接間に行こう。ご苦労さん。」
「いいえ。」
無情のようだが,ここで面倒を見るわけにもいかないので外に放っておく。力をなくし,演奏をしても誰も気を失わないようにしただけでも,この女性にとっては得であろう。
「手綱を掴む事も,力の内だよ。」
陰を含んだ声が,玄関に響いた。