民事裁判
思ったよりも時間がかかって、連絡が有ったのは、専門学校に入って少したってからだった。
専門学校は、精神の調子を崩して、行けなくなって居た。
普通の生活が出来なくなった。
民事裁判は、弁護士2人掛かりでやる事になった。
前からお世話になって居た女性の弁護士と、新しい男性の弁護士。
いろいろ話し合いをして、何を求めるかを決めた。
刑務所から出て来てからは、あちらに制限が無いため、接触して来る懸念が有る。
直接的で無くとも、私の友達、母方の家族に危害を加える可能性も捨てきれない。
本人が動かなくても、人に頼んで何かして来る懸念が有る。
これらの事を考えて、様々な要求を纏めていく。
だが、一番の問題は父親の言う事が毎回変わる事だった。
一括で六百万出すから引いてくれと言って来たと思ったら、次には一括で三百万出すからと言ってくる。
こちらの要求は慰謝料二千万。
だがこれは現実的ではない金額だ。正直納得は出来ない。二千万でも今までの人生は買えないのだから。
そして、間違った知識や習慣を変え、やり直す必要も有る。
私はまだ、人としてのスタート地点にたどり着けずに居た。
こちらが妥協しながら、今後の接触を禁止する要求を呑ませる事と、少しでも多く取る為に高くした金額は、相手には不服であったようで、何度もごねていた。
分割だと小さな繋がりが残る事になる。それは苦痛だ。
しかし相手が金銭的に問題が有る為、ある程度一括で払った後、残りは弁護士経由での分割となった。
慰謝料の金額は半分の一千万に下げたが、こちらが決めた約束を破ると一千万上乗せになるようにした。これは弁護士から言われた事で、相手がそれだけの意思が無いなら抑止力になるらしい。
民事は弁護士任せだったが、父親も来なかったようで、あちらの弁護士も父親のころころ変わる話しに困惑気味だったらしい。ご苦労様と言いたい。
結局弁護士が説得したようだ。
もはや、何がどうなったか良く分からないが、とにかくもう接触されないと分かっただけで安心した。
気付いたら二十歳だった。
二十年、何故こんなに戦いしか無かったのだろう?
皆さんの二十年は、どんな事が有ったのですか?
成人式が他人事のようでした。
必死に笑っていました。
同級生の笑顔が眩しくて、羨ましくて、別世界のようでした。
何故言ってはならないのか、私はそう思っていました。
だって、今までどうだったかと聞かれると何も答えられないのですから。
大学行かなかった事、理由が有っても誤解されてしまうのですから。
就職出来ない事、精神病について、説明したくても出来ません。
だんだん皆とズレていく、いや、最初から違ったのだと理解しました。
裁判で五年、人は長いと言う。でもあっという間でした。言われてようやく気付きました。長いと。
ですが、これだけでは終わりません。
二十年、この影響はまだまだ現れ始めたばかりなのですから。
私はこの後、電池が切れたように、ただ眠っていました。
何も考えられないのです。
何も分からないのです。
私が何をしたいのか。
喜怒哀楽をどこかに忘れてきてしまったのですから。
何かを見ても何も感じない。
何かを触ろうとも思わない。
起き上がる事、眠る事、食べる事、喋る事、聞く事、全てに興味が無いのです。
もちろん、生きる事も死ぬ事も。