新しい生活
べたべた触る父親に母も散々注意したが(そこまでされていたとは知らない)、
「子供に親が触れるのは当たり前だ!」
と言い張り、挙げ句の果てに母がおかしいと言われた。
父親にとって、自分の思いしか、〈正解〉だと思わないのだろう。
六年生の時たまりかねて、母は私を連れて家を出た。
知らないうちに、沢山調べて、児童相談所まで調べて、母子家庭についても調べて、病院にも行って、準備をしていてくれた。
行く所は母の実家しかない。
実家に少しの間住んで、すぐ父親と母の対決が始まった。
私は意味も分からず、あっちこっちに連れてかれる。
しかし、父親の脅迫に、
(帰らないと、殺される)
と思って恐怖していた時に母とつまらない事で、喧嘩して父親の元に戻った。
本当に馬鹿だと思う。
離婚調停の二回目だったらしく、書類が足りないから次で決める事になった。
調停員は、和解を求め、外面の良い父親を誉めて、私が父親の所に居るのは、私の意志だと勝手に言われていたらしい。
もちろん、私の意志ではない。
怖いからだ。
父親の所に戻ると、父親は豹変していた。
とにかく優しい。
触ったりしない。
それでも恐怖は薄れず、逆に増して行った。
ある日、変な電話が来た。
下着の色を聞いてくる何度も掛かって来る、気持ち悪い電話に恐怖して、取らないように気を付けた。
だけど、ふと一回の電話を取ると母だった。
安心して助けてを求めた。
母は父親に恐怖したと勘違いして、私を連れ出した。
最後の調停の数日前だった。
後で聞いたら、
「あの時一回しか掛けて無いよ。一週間に一度と言われてたし、父親がうるさかった。」
と聞いて、運に助けられたと思った。
そのまま、最後の調停を迎えて、私は母の所に居た為、母に親権が渡った。
大きく人生が変わった瞬間だった。
いろいろ、変わった生活に苦労しながら、楽しさを覚えた。
しかし、父親は諦めなかった。何十回も電話が鳴り、ノイローゼになりかけた。
「ゲーム買ってやる。小遣い有るぞ。」
から始まった電話。
鳴り続ける電話に耐えかねて、会いに行った。
母に理由は言わなかった。
負担を掛けたくなかったから。
やはり、会うと体を弄りまわす。
会うのを渋ると、
「養育費払わんぞ!」
と言われた。
当時、養育費など良く分からず、決まりだと知らなかった。
しかし、お金が無いのは知っていたので、会いに行った。
時には、
「お前が居ないと生きていけない。自殺するぞ。アイ頼む。」
と言ってきた。
子供の私に、実父が死ぬのはつらく、自分のせいだと言うならと、会いに行った。
実際に、自殺未遂をした事も有る。
死ねない手段で…。
今もトラウマになって居る。
どんな手でも使うのが父親だった。
体調がおかしくなって来たのは、この頃だった。
次第に、眠れなくなり、腹痛も襲う。
もはや学校なんて行けなかった。
中学生になり友達の話から、自分の家に違和感を覚える。
しかし、脅迫は相変わらず。
家まで来る。
養育費を持って。
母が振り込みにしてくれと、言ったが聞く耳を持たなかった。
結局、三年生まで言いなりだった。
ストレスの影響か、動物に八つ当たりするようになった。
犠牲になったうさぎ、ハムスター、猫には申し訳ない気持ちでいっぱいです。
手段も酷かった。本当に、ごめんなさい。
かなり前から有った不眠症で眠れずに、なんとなくテレビをみたら、キャバ壌の話がやっていた。
自分にされた事がいくつか有り疑問になり、調べ始めた。
パソコンで調べた結果に愕然とした。
AVビデオの画像に有った物に、見に覚えが有ったから。
用語も調べまわって、流石に笑うしか無かった。
男女のやる事だと、ちゃんと認識した瞬間だった。
手洗いやシャワーの時間が長くなった。
自分は汚いと思ったから。それからは、受験を理由に断り続けた。
ある日にポストに手紙が有った。
切手も、宛先も無い手紙。
直接朝入れていった手紙。
内容は、いきなり縁を切るとの事だった。
いまだに、私と母を呼び捨てにした、手紙に怒りが湧いた。
まだ、所有物だと思って居るのかと。
そして母から、養育費が二万だと知って衝撃を受けた。
義務だと知って、脱力した。
私は二万円なのかと思った。
母にまだ続いて居る現状を言うか迷い続けた。
母も疲れきっていた。
私も慣れない環境やストレスで、体調が崩れた。
気力も無くなって居た。
受験を理由に、先延ばしにした。