幼稚園の記憶
アパートで幼稚園児の私と、父親、母親の三人で暮らして居ました。
毎日父親は夜お酒を飲むと暴れました。
母の話では、結婚の後少しの間はお酒を飲まなかったそうですが、結婚前から酒癖は悪かったと祖母から聞きました。
隠して居たようです。
夕ご飯の時の話です。
すき焼きを食べるのに、卵のかき混ぜ方が分からない私は、見よう見まねでクルクル箸で回して居ました。
「なに遊んでる!お前なんか外の変な奴らに連れてかれろ!」
箸をテーブルに叩きつけ、いきなり叫びました。箸は2つに割れました。
幼稚園児の私に、初めての挑戦で、まだ教えて貰って無いのに卵のかき混ぜ方は分かりませんでした。
首根っこを掴まれ、玄関の外に放り出し、良く分からない事を叫び玄関を閉めました。
真っ暗な外。田舎なので全てが真っ暗です。
裸足の足で、寒さと恐怖で固まって居ました。
「何を外で遊んでる!早く入ってこい!」
またいきなり叫びながら、今度は玄関を開けて首根っこを掴み、家の中に連れてこられました。
その後は12時頃まで、同じような内容の説教と思い出したように昔の事の説教を延々と繰り返します。
時折、叩かれ、蹴られ泣きましたが、泣くと叱られます。
酔いつぶれて父親が寝てから母とようやく寝る事が出来ました。
これが日常的です。
朝は父親の機嫌が悪く、朝食もままなりません。
昼の幼稚園は天国でした。
いつも目の前で、母は殴られ、蹴られ、暴言の嵐が繰り広げられました。
私はこの光景が目に焼き付き、逆らう事など出来ませんでした。
幼稚園児が受けたら、死にます。
本能的に、自分の感情を殺して、父親のご機嫌取りに専念しました。
「何か言え!」
「はい」
「はいじゃない!」
「ごめんなさい」
「ごめんなさいじゃない!」
「うん」
「うんじゃない!」
何を言えば良いのか、小さな頭は混乱状態になり、何も考えられませんでした。
この頃から性的虐待は有りました。
胸を触り、お尻を揉んで、時には舐められました。
嫌悪感より、恐怖が勝り、抵抗は出来ませんでした。
抵抗しなければ、父親の機嫌は良いのです。
我慢すれば生きられる、ならば感情など要りませんでした。
幼稚園の後半からは、泣く事を忘れました。
しかし、幼稚園の子供には早すぎました。
いつも出せない感情が、時折同年代の子供に激情として向かいました。
突き飛ばした事が良く有ったと、母は言いました。
今の母は良く言いました
とにかく、泣かない、手が全く掛からない、なに考えているか分からない子供だったそうです。
私の記憶にも、感情は有りません。
とある日の光景が、強く印象に残って居ます。
母方の家族と会って、家に帰ると
「あの態度が気に入らん!」
と壁を殴り、穴が空きました。
面倒見が良い、母の兄が気に入らなかったらしく、また延々と説教が続き、殴られ蹴られ、恐怖に身動きが取れませんでした。
あの光景がトラウマになり、逆らう意識が消えました。
あの力が自分に向けば、幼稚園の子供の体はどうなるのでしょう?
それが我が家の日常でした。