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No.01 似た者同士

:::



 短い休憩時間の間、ユウハとハヨはとりとめもない会話をした。

 といっても喋ったのはほとんどユウハのほうだ。しかも内容は鳥が飛んでるだの花が咲いてるだのといった、ほんとうに些細なことばかり。

 たとえば彼がどうして、どうやってここまで逃げてきたのか。「特定」はどんな環境だったのか。いま彼を追っているのが何人くらいか、という実用的な話さえ一切ない。

 ハヨもそれに「そうね」とか「うるさい」とか短い返事をするだけで、なにか質問したりはしなかった。

 お互いになんとなく気づいている。

 たぶん、似たような状況から、似たような理由で逃げ出してきたのだ。そして自分が言いたくないことは、相手も同じく言いたくないのだと思う。だから聞かない。


「ところでハヨ」

「なに」

「獣人ってことはさ、ヒト型にもなれるんだよね?」


 ユウハがそう尋ねるとハヨはあからさまに嫌そうな顔をした。軽蔑の色さえ混じったその冷たい眼差しに、ユウハは笑みがひきつるのを感じた。そんなにまずいことを言っただろうか。

 獣人──アニマロイドというこの生きものは、世にそうたくさんいるわけではない。

 そもそも違法だ。今となっては、だが。

 鋼雨の前、歴史的用語では前雨期と呼ばれたころ、汚染されていなかった国は今より平和だった。そのなかで人類の幸せのために発展してきた科学のひとつが獣人を含める「複合人種(シンテシス)」だ。学術的にはラテン語でホモ・ミクスタ(混ざった人)と呼ぶ。

 科学者たちは、動物、植物、鉱物、あらゆるものの特性を人間に取り込もうと試みた。決して悪意からではなく、純粋に彼らに憧れた結果だった。

 長い研究の結果、ヒトとそれらをかけ合わせることは、技術として確立した。

 だが結局は倫理的な問題などに結論が出ず、シンテシス製造技術は国際条約で禁止された。同時に製造理論も破棄されたはずだ。ただし認可された一部の研究施設においては保存されており、製造を伴わない研究目的であれば閲覧できる。

 どのみち日本がシンテシス関連条約を批准したのが五十年ほど前になるから、恐らくハヨは違法シンテシス・アニマロイドなのだろう。声からしてユウハとそう変わらない歳であろうし。


「ごめん……嫌だった……?」


 ハヨがあまりにも険しい表情なので思わず謝ると、彼女は面倒そうに


「嫌も何も、……服がないから」


 と答えた。予想外の回答にユウハはしばし言葉を失い、瞬きをして、それからもう一度ハヨを見る。

 暗褐色の美しい毛に覆われたその身体を。

 服がないという彼女の言葉を何度か反芻していたらそのうち恥ずかしくなってきた。つまるところハヨは今、服を着ていないということなのか。いや、服どころか、下着の一枚さえも?

 まさかとは思いつつも、たしかに布らしいものは一枚たりとも見当たらない。


「……全裸?」

「仕方ないでしょ、この大きさじゃどうしたって脱げるんだから」

「あ、そ、そうかそうだよねごめん」

「かといって人間型じゃ身体が重くて動きづらいし、目立つし、逃げるにはこっちのほうが便利なのよ」


 言われてみれば当然なのだ。人間と猫では身体の大きさが違いすぎる。

 加えてこの小さな黒っぽい身体なら、闇に紛れて逃走するのも物影に隠れるのも人間よりずっと容易いだろう。

 それにしても……。ユウハの申し訳ないような委縮した気配に気がついたのか、ハヨはじろりと睨み返した。機嫌がよくないと尻尾を振るらしい。


「何?」

「その、さっき何も考えずに抱きあげたりとか、その、ごめん」

「……そういう無駄な気遣いのほうが鬱陶しいわ。ただの猫だと思ってくれたほうがいい。どうせ、これからはずっとこの形だもの。

 それよりそろそろ移動したほうがいいんじゃないの、脱走児童さん」


 ごもっともです。


 ユウハは再びハヨを肩に載せて、ふらふらと空を歩いた。今度は走るのはやめる。

 そして歩きながら、もう少し話をした。

 まず、これからどうするのか。長い間社会から遠ざけられていたふたりには、そこで生きていくために必要な最低限の常識も知識も、そして経済的な基盤もない。生活能力はゼロに等しい。

 それに人間に混ざって暮らすほうが追手に見つかる危険性が高いだろう。人間の言葉を話せる猫なんて見つかったら間違いなくニュースになってしまう。

 それに少年の一人暮らしも怪しまれない保障はない。社会に出られる奇種児童の年齢ではないのは明らかであるし、それに何より、ふたりは自分たちが世間知らずだということをよく理解していた。これだけは幸いであった。

 これまで自分たちが暮らしていた閉鎖空間と、今足の下に広がっている世界とが、まったく似ても似つかない。

 突きつけられた現実がふたりを嘲笑っているかのようだった。何を見ても何もわからない。

 新聞、テレビ、週刊誌、インターネット、SNS──今までに手にしてきた情報は、いつもメディアを媒体にしていた。それもすべて自由に使えたわけではない。それぞれ程度に違いはあれど、かなり制限された形ではあった。

 ふたりはそれを確認する必要もあった。お互い何を知っていて、何がわからないのかを把握しなければいけなかった。

 ひとたび追手に見つかればこのまま逃亡を続けるのは至難の業だ。それを避けるために、どれほど慎重になってもまだ足りない。ボロを出すのが怖くて外界の人間に話しかけることもできない。


「誰とも関わらずに生きるしかないんじゃない。動物に混ざるしかないわね」

「ハヨはそれでいいかもしれないけど……」

「場所に拘っても仕方がないわよ。それより食糧の心配をしたほうがいい。私もあなたも、きっと生命維持機能くらいはつけられてるだろうから、餓死しかかった時点で見つかるわ」


 ハヨが言うのは、生命の危機に瀕すると救助信号を出す装置のことだ。体内に埋め込むタイプが一般的で、装着されているかどうかは外から見ただけではわからないし、取り出すのにも手術が必要になる。

 困難だが、放置するわけにはいかない問題だった。それが存在するかぎり安心はできない。


「そんなのとっくに壊したけど」


 ところがユウハはあっさりそんなことを言ったので、ハヨは眼を丸くした。


「できるの?」

「うん、まあ。逃げる前に身体のなか点検したし、GPSも付いてたから、そういうのが残ってると追跡されやすいだろうなって思ってさ……ハヨのも壊しとこうか?」

「……痛くない?」

「大丈夫だよ」


 心配そうに尋ねるハヨを少しかわいいなと思った。それが顔に出ていたのか、何笑ってるの、と咎めるような声が飛んでくる。

 ユウハはごめんと意味もなく謝って、それから猫の身体に手のひらをかざす。


「歩きながらしないでよ、横着ね」

「そう言われても。……ああ見つけた、背中に入ってる。肺に繋ぐ種類みたいだね。僕のは心臓型だったけど」

「壊せる?」

「大丈夫だよ、一瞬だから。……はい終わり」


 ほんとうに一秒か二秒でそれは済んでしまった。

 猫がわずかに身体を強張らせる。たしかに痛みも何もなかった。もともと非常に小さな機械だから埋め込まれている感覚はないし、壊されたかどうかを体感することはできない。

 どうもこの少年を信じるしかないらしいとハヨは理解する。現状では疑ってもメリットがない。

 ……それにしても。

 奇種児童の持つ能力について研究する学者は少なくない。彼らの尽力の甲斐あって、この世に生まれてしまった“奇能”の多くは解析され分類されている。

 一群には静止した物体への効果を持つもの。たとえば水を動かす、土を意図した形状にするなど。

 二群には生物への効果を持つもの。催眠術に似たものや、感情に影響を与えるものなど。

 三群には物体の性質を変化させるもの。たとえば水を凍らせる、有機物を発火させるなど。

 さらに個々の能力を数値化し、指定数値以上のものを甲類、それ以下を乙類、能力を保持する可能性があるが発現していないものを丙類としている。この分類と数値化によって、児童たちは最適だと判断された施設に送られるのだ。ただし大きな施設によっては複数の分類を収容しているものもある。

 そして、問題はこのユウハの場合だ。

 彼は「特定」の出身だと告白してしまっている。至極あっさりと言われてしまったが、それがどんな意味を持つのか、彼もハヨもわからないわけではなかった。むしろその逆だろう。

 まず何より、特定の存在が一般には知られていない。

 ハヨがそれを知っていたのは自分が国立にいたからだが、先に出身を告げたのはユウハのほうだった。なぜなら彼はまずひと目でハヨの正体を獣人だと見破っている。つまり特殊な存在であるのを理解して、そのうえで特定の名前を出しても通じると判断したのだろう。

 少年はこの出逢いを奇跡と呼んだ。違法シンセシスの少女と「特定」の少年が逃亡中に出逢う確率がいかほどのものかは、数字として叩きだせるものではないだろう。

 けれどもハヨは必然だと思った。なぜなら彼女は黙っていればただの猫にしか見えないのだ。そのハヨに気を留めて、わざわざ一緒に連れて行こうとする人間など、ユウハのほかに誰がいようか。

 その彼の能力が、どの群に分類されるのかわからない。

 効果としては一群のような気がするが、対象が生体内の静止物体、それも機械のような複雑な構造のものでは話が別だ。そんな能力は聞いたことがない。


「あなた、何者なの? 特定ってことはふつうの奇種じゃないんでしょう?

 これから一緒に逃げる関係なんだから、少しは手の内を見せて」

「……まあいいけど、じゃあそっちも隠してること教えてね」


 ふたりは眼を見合わせた。

 どこまで話していいか、それを計っている。すべてを曝け出すのはリスクが高い。

 そうしてしばらくの沈黙を挟んで、先に口を開いたのは、やっぱりユウハのほうだった。


 僕は、と少年は語り始める。

 ……僕は特定奇種児童収容施設にいた。つまり「特定奇種」、言いかえれば「群外奇種」ということだね。

 世間で分類されてる能力もいくつかあるけど、一個どうにもならないのがあって、そのせいでそっちに移動させられた。

 簡単に言えば念動力みたいなものかな。生物でも物体でも、それが人や動物の身体のなかにあっても、感知して動かすことができる。さっきみたいに埋め込まれた生命維持装置を探して機能を停止させるとか。

 それ以外は案外ふつうだと思うよ。こうやって空を歩いたりなんかは、別に僕じゃなくてもできるしね。

 特定には僕のほかにも規格外がいろいろいたけど、僕はそのなかでもけっこう強いほうだと思う。

 だからハヨ、きみのことも護ってあげられる自信がある。捕まらない自信もある。心配なのはちゃんと生きていけるかってことくらいだ。


「けど、生き延びなきゃいけない。ちょっと目的みたいなものがあってね」

「……随分軽口ね。言いたいことはわかるわ、軍事利用目的で隔離されてたってとこでしょう。それとも特定自体がそういう目的の施設だったのかしら」

「そっちこそ物分かりが良すぎるね」


 ハヨは自嘲気味に言う。私も似たようなものだから、と。

 私はご覧のとおりアニマロイドだから。あなたと違って何から何まで作りものだけど。で、どうせだからかわいいペットに留めずに、いろいろ混ぜて実験しちゃった結果がこれよ。

 ただの猫って言ったけど、そうじゃない。

 猛獣の牙と爪を隠し持ってるの。油断したらあなたの喉笛も噛みちぎってしまうかもね。

 ──言いながら、ハヨはユウハの首筋を甘噛みしてみせた。


「怖いこと言うなあ」

「まだ信用したわけじゃないのよ、規格外さん」

「これだけ話してくれれば充分だけどね。まあせいぜい仲良くしようよ、似た者同士」



 :::



 銀色の曲線を骨張った指がなぞる。

 実用性の低い形状のテーブルにはいくつものモニターが設置されているが、それぞれ違う情報を表示していた。ひとつは最近のニュース、もうひとつは各研究所から送られてきたデータ、ひとつには事務的な連絡。

 老人はそれらを一瞥することもなく、あるひとつの画面を食い入るように見ていた。

 どうやら脱走児童のリストらしい。白いフレームに名前と顔写真、身長体重に年齢、収容されていた施設の名前と住所が記載されている。

 その中にひとつだけオレンジ色のフレームがあって、そこにはひとりの少年の写真が入っていた。

 名前は夕葉(ユウハ)。彼の個人情報はほとんど書かれていない。ただ備考の欄に一言、「不存」とだけ記されている。

 それからその場面を少しスクロールさせると今度は緑色のフレームが現れる。

 幾つか名前らしいものがあるが、どれも写真はない。


「ハヨ……」


 老人は呟く。ひどく悲しげに、寂しそうに。

 なぜなら彼は不幸にも、大事にしていた飼い猫に逃げられてしまったのだ。


「生命維持装置が破壊されたようです。不存との接触確率は四十八倍に上がりました。如何いたしますか、御主人様(マスター)?」

「生け捕りにしろ。できるだけ傷をつけるな。それから……化け物との戦闘は避けるようにな」

「仰せのままに」


 老人の背後にはいつの間にか、黒服を着た背の高い男が立っていた。彼はその長身を折って跪く。


「おまえひとりでは荷が重かろう、フィリアフロラをひとり連れていけ」


 安心はできまいが。そう呟く老人に、はっ、と男は短く返事をして立ち上がる。

 顔を上げたので、鈍色の前髪が退いてその顔が露わになった。血の気のない顔に青銅色の瞳が冷たく光る。整った精悍な顔立ちをしているので、なおさらその鋭さが際立っていた。

 そして、彼の首には、黒い金属の輪が嵌められていた。



 …→ Next No.

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