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五月の終わり、アンナの様子が変わった。
授業中の返事が遅い。
食堂でもぼんやりしていることが増えた。
夜、眠れていないのか目の下にうっすらくまができている。
サチコは三日間、静かに観察した。
急かさない。話したくなったら話してくれる。
それが前世から変わらない、サチコのやり方だった。
四日目の夜、アンナが「リナ、起きてる?」と暗闇の中で囁いた。
「起きてる」
しばらく沈黙があった。
「あのさ」とアンナが言った。
「私、実は——平民じゃないんだ」
サチコは天井を見たまま、「うん」と言った。
「驚かないの?」
「なんとなく、そうかなと思っていた」
「え、なんで?」
「物の扱い方、育ちがいい人の所作というのは、隠そうとしても出る。それから——たまに遠い目をするとき、何か大きなものを背負っているように見えた」
アンナはしばらく黙っていた。
「……リナって、ほんとうに怖いね。いい意味で」
「よく言われます」
アンナが布団の中で身じろぎする音がした。
「私、ハルト伯爵家の娘なんだ。父が、私に魔法の素質があるなら学院に入れてみろって言って。でも正体を隠すように言われた。平民のふりをして、馴染めるかどうか、見てみろって」
「試されていたんですね」
「そう。でも——馴染めたんだ。リナと仲良くなれたし、学院も楽しかったし。だから本当のことを言えなくて。でも最近、父から手紙が来て。そろそろ戻ってこいって。婚約の話が出ているって」
サチコは起き上がり、ランプに小さな火を灯した。
アンナが毛布を抱えて座っている。目が赤い。
「アンナは、どうしたいの?」
「学院にいたい。魔法をもっと勉強したい。でも家の都合があって、私の一存では——」アンナは唇を噛んだ。
「リナは怒らない? ずっと嘘ついてたのに」
サチコは少し考えた。
「怒らない。あなたが平民でも貴族でも、私の友人はアンナだから」
アンナの目から、ぽろりと涙が落ちた。
「なんでそんなにさらっと言えるの」
「さらっと言える年齢に、なったので」
四十三年かかった、と心の中で付け加える。
「父に手紙を書いてみたら」とサチコは言った。
「自分の言葉で、続けたい理由を。誰かに代わりに伝えてもらうより、自分で書いた言葉の方が、親には届くことが多い」
「そんなもの?」
「そんなもの」
アンナはしばらく考えて、「書いてみる」と言った。
「リナ、内容、一緒に考えてくれる?」
「もちろん」
ランプの光の中で、ふたりは夜中まで手紙の文章を練った。
翌朝、アンナの目の下のくまは、少し薄くなっていた。




