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その日から、サチコへの視線が少し変わった。
生活魔法の生徒が井戸を直した、という話は学院内にあっという間に広まった。
しかも修理班なしで、五分で。
廊下を歩くと、戦闘魔法の上位クラスの生徒がちらちらとこちらを見る。
図書室では、上級生が「あの子じゃないか」とひそひそ話している。
サチコは気にしなかった。
前世でも、ちょっとした評判が立っては消えるのを何度も見てきた。
人の噂も七十五日、という言葉が好きだった。
しかし、注目してきた人間がひとり、妙に執拗だった。
「君が井戸を直したリナか」
声をかけてきたのは、図書室の奥の席に陣取っていた少年だった。
十五、六歳くらいだろうか。銀色がかった髪に、細い眼鏡。本を山積みにした机の前で、腕を組んでこちらを見ている。
「そうですが」
「僕はエルク。魔法理論の研究をしている」少年——エルクは言った。
「君がやったことは、理論的には不可能に近い。地下構造を魔力で探知するには、通常、専用の探知魔法陣が必要だ。それを道具なしで、しかも生活魔法の延長でやった?」
「やりました」
「なぜできた?」
サチコは少し考えた。
「水が流れているところを、なんとなく追いかけた感じです。電気が——じゃなくて、魔力が流れやすい道を辿るような」
エルクの目が光った。「電気?」
「あ、えっと。こちらの言葉では……なんでしょうね、稲妻の、小さいやつ、みたいな」
「稲妻の小さいやつ」エルクはノートに何かを書きつけた。
「面白い表現だ。魔力を電流に例えた理論は存在するが、実践した例がない。君は何者だ?」
「平民の農家の娘ですが」
「嘘をつけ」
サチコは苦笑した。
(嘘はついてないんだけどな、今世では。)
「話を聞かせてくれないか。魔法の仕組みについて、君の考えを」
断る理由もなかった。サチコは空いている椅子を引いて、向かいに座った。
それからエルクとの図書室での議論が、週に二、三回の習慣になった。
エルクは口は悪いが、頭は切れる。
サチコが前世の知識を「こちらの世界の言葉」に変換しながら話すと、エルクはそれを魔法理論に落とし込んで整理した。
ふたりの会話は、はたから見ると奇妙だったに違いない。
十二歳の少女と十六歳の少年が、難解な魔法理論を対等に議論しているのだから。
「君、本当に十二か?」とエルクは毎回のように聞いた。
「十二です」とサチコは毎回のように答えた。
「老けてる」
「よく言われます」
アンナはその様子を寮の窓から眺めながら、「リナ、エルクくんと仲いいじゃーん」とにやにやした。
「あの子、学院一の変わり者だよ? 友達いないし、いっつも本読んでるし、話しかけると小難しいこと言うし。でもリナとは話してるんだねえ」
「話が通じるので」
「それ、好きってことじゃないの?」
「十二歳と十六歳で話が通じることを好きと呼ぶなら」
「呼ぶよ!?」
サチコはアンナの騒ぎを横目に、窓の外の中庭を見た。
エルクが一人、木の下で本を読んでいる。
あの子は純粋に頭がいい。
前世で言えば、大学の研究室に入り浸っているような子だ。
理屈で世界を理解しようとしていて、でもそのせいで周囲から浮いている。
少し昔の自分に似ているかもしれない、とサチコは思った。
若い頃、仕事の仕組みを理解したくて一人で分厚いマニュアルを読み込んでいた自分に。
似ている、というだけで、恋愛感情とは少し違う。
でも——
大切にしたい、という気持ちはあるな。
それが四十三歳の感覚なのか、転生した魂の感覚なのか、十二歳のリナの感覚なのか、サチコ自身にも今ひとつわからなかった。




