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王都の魔法学院は、古い石造りの大きな建物だった。
廊下が長く、部屋が多く、どこに何があるか初日は全くわからない。
サチコは黙って覚えた。事務の仕事で鍛えた、「まず建物の構造を把握する」という習性が自然に出た。三日もすれば大体の地理は頭に入った。
授業は戦闘魔法が中心で、生活魔法は「補助科目」扱いだった。
成績のよい生徒たちは炎や氷を派手にぶつけ合い、講師も興奮気味に指導している。
サチコの授業はこぢんまりとした部屋で、生徒は十人もいない。でもサチコは気にしなかった。
「汚れを落とすのは原理的にはこうで、濡れたものを乾かすのは水分子の動きを加速させているのだと思います。だとすれば、逆に冷やすことも理論上は——」
講師のおばあさん先生はサチコの話を聞きながら、眼鏡の奥でにこにこしていた。
「リナは理屈で考えるのが好きなんだね」
「前世からの癖です」と言いかけて、「子どもの頃から癖でして」と訂正した。
学院の寮では、同室の少女とすぐに仲良くなった。アンナという赤毛の元気な十三歳で、とにかくよくしゃべる。
「リナってさ、落ち着いてるよね。おばあちゃんみたい」
「ありがとう」
「褒めてないんだけど」
「知ってる」
アンナはきょとんとして、それからげらげら笑った。
「なんか好きだわ、リナ」
サチコも笑った。
この子は前世のあの後輩に少し似ているな。
よく泣いて、よく笑って、一所懸命な子だった。
元気にしているだろうか。
もう会えないけれど。
ある秋の夕方、サチコは学院の洗濯場にいた。
膨大な量の洗濯物が、雨で全部びしょ濡れになってしまったのだ。
寮母さんが頭を抱えている。
「明日の朝までに乾かないと、生徒たちの制服が……」
「やりましょうか」
サチコは袖をまくった。
魔法を使うとき、サチコは目を閉じる。
水分を飛ばす、熱を通す、空気を動かす——前世の物理知識と今世の魔力が静かに噛み合う瞬間が、
なんとなく好きだった。
洗濯物から一斉に湯気が立ち上った。
五分後、全ての衣類はからりと乾いていた。
しかも不思議と、しわがほとんどない。
寮母さんが目を丸くした。
「リナちゃん……すごいね」
「慣れてるので」
前世でも同じようなことをしていたな、とサチコは思った。
誰かが困っていれば手を貸す。派手な活躍じゃなくていい。
ただ、目の前の「ちょっと困った」が解決されればいい。
それが、田中サチコという人間の四十三年分の生き方だった。
魔法が使えるようになっても、異世界に転生しても、十二歳の体になっても、その部分だけは変わらなかった。
窓の外で、夕暮れの鐘が鳴り響いた。
アンナが洗濯場の扉から顔を出した。
「リナー! ご飯だよ! 今日シチューだって!」
「今行く」
サチコは魔法の余韻を手のひらで確かめるように握り、それから走った。
転生したって、おなかは空く。
それだけは、どの世界でも変わらないことだった。




