27
翌朝、研究室に行くと、エルクがすでにいた。
窓から朝の光が入っている。サチコが好きな、一日の中で一番明るい時間だ。
「おはようございます」
「ああ」
「昨日、アンナと話しましたか」
「……話した」
「どうでしたか」
エルクはしばらく羊皮紙を見た。
「アンナが言った。認知の話については、僕の気持ちを優先してほしい、と」
「そうですか」
「あの子は——素直だな」
「素直な子です」
「お前と友達になるわけだ」エルクは静かに言った。
「素直な者は、素直な者を引き寄せる」
「私が素直かどうかは、少し疑問ですが」
「少なくとも、僕には素直だ」
サチコは椅子に座って、羊皮紙を広げた。
「認知の件は、どうするつもりですか」
「……受ける、と父に返事をするつもりだ。アンナのためではなく——僕が、そうしたいから」
「それがいいと思います」
「お前に背中を押された気がするが...」
「何もしていません」
「そういう押し方をするな」
「どんな押し方ですか」
「……うるさい」
サチコは笑った。
窓の外で、五月の風が木の葉を揺らした。研究室に光が満ちている。
机の上に、今日やるべき仕事が積まれている。殿下の治療の記録をまとめること、調律魔法の応用理論の続き、エルクが昨夜書き上げた新しい仮説の検討——
やることは山ほどある。
でも不思議と、重くない。
「リナ」
「はい」
「今日は、魔力伝導の第四章に入る。昨日書いた仮説の確認から始めたい」
「わかりました。読んでいきます」
「それと」
「はい?」
エルクは羊皮紙から目を上げた。窓の光の中で、まっすぐサチコを見た。
「今日も、来てくれてよかった」
サチコはしばらく、その言葉を心の中に置いた。
練習してきたのだろう、と思った。昨日の夜、ひとりで何度か言ってみて、それでも言えるかどうか迷って——それでも言った言葉だと思った。
四十三年の経験が、そう教えてくれた。
「私も」とサチコは言った。
「今日も、来られてよかったです」
エルクが羊皮紙に目を戻した。でも耳が、赤かった。
五月の研究室に、ふたりの沈黙が、あたたかく満ちた。




