24
学院に戻ったのは、夕方だった。
馬車が中庭に入った瞬間、アンナが走ってきた。
文字通り、走ってきた。校舎の扉を勢いよく開けて、石畳を駆けて、馬車の扉が開くより先に「リナ!」と叫んだ。
「ただいま、アンナ」
「よかった……! 無事でよかった……!」アンナがぎゅっと抱きついてきた。
「心配で眠れなかった」
「眠れていたでしょう。目の下にくまがない」
「そこは黙っといて!」
エルクが馬車から降りてきた。アンナが顔を上げた。
そこで、止まった。
エルクもアンナを見て止まった。
サチコは静かにアンナから離れた。ふたりの顔を交互に見る。
似ている。目の形が、少し。眉の角度が、少し。
言われなければ気づかない程度だが——知っていれば、わかる。
「……エルクくん、が」とアンナが言った。
エルクは何も言わなかった。
「手紙で、父から。リナたちが帰る前に、知らせが届いたの」
「そうか」とエルクはようやく言った。
「父が話したか」
「うん」アンナはエルクをじっと見た。
「私には姉しかいないと思ってた。でも——お兄さんが、いたんだ」
エルクは視線を外した。いつもの癖だが、今日は少し違う。
外した先に、置き場所を探しているように見えた。
「迷惑だったなら」とエルクが言った。
「同じ学院にいたことは、偶然だ。意図したわけでは」
「迷惑じゃない」とアンナは即座に言った。
エルクが止まった。
「迷惑じゃないよ。ただ——びっくりしてる。すごく。でも迷惑とは思わない」
沈黙が落ちた。夕暮れの中庭に、風が吹いた。
「……そうか」とエルクはもう一度言った。今度は声が、少し違った。
サチコは土産の包みを抱えたまま、ふたりの横を通り抜けた。
「お腹が空いたので、先に食堂に行きます」
誰も返事をしなかった。
それでいい、とサチコは思いながら歩いた。
食堂でひとり夕食を食べていると、カーロ先生が向かいに座った。
「どうだった、王都は」
「いろいろありました」
「王室から話が来たと聞いた。学院長から」
「はい。殿下の件と、研究室の設立を」
カーロ先生は腕を組んだ。いつもの眠そうな目が、今日は少し真剣だ。
「リナ、無理するなよ」
「学院長にも、エルクにも言われました」
「そうか」先生は少し間を置いた。
「生活魔法の担当教師として言うが——お前の魔法は、生活魔法じゃなくなった。でも俺はお前の最初の担当だ。だから言う」
「はい」
「困ったら言え。王室の話だろうと何だろうと、俺にできることがあれば手伝う」
サチコは先生を見た。
眠そうな目が、真剣だった。
「……ありがとうございます」
「礼はいい。シチュー、冷める前に食え」
先生は立ち上がって、行った。
サチコはスプーンを持ちながら、少し目が熱くなるのをこらえた。
(この学院が、好きだな。)
前世では、職場が好きだと思ったことがあまりなかった。
毎日行くべき場所ではあったが、帰りたい場所ではなかった。
今は——ここが、帰ってきた場所だと思う。
食事の後、中庭のベンチにアンナとエルクが並んで座っているのを見た。
話しているのか、黙っているのかはわからない。距離は少しある。でも並んでいる。
サチコは中庭には入らず、廊下の窓からそっと眺めた。
しばらくして、アンナが何か言った。エルクが少し頷いた。
アンナがまた何か言った。エルクが今度は答えた。
言葉の内容は聞こえない。でも——流れが整っていくのが、なんとなくわかった。
(調律は魔法だけじゃない。)
関係にも、時間にも、流れがある。それが自然な方向に向かうとき、急かす必要はない。
ただそばで、待っていればいい。
サチコは廊下を歩いて、自分の部屋に向かった。




