18
王都は、想像より大きかった。
馬車が城門をくぐった瞬間、音と匂いと人の密度が一気に変わった。
前世の東京を知っているサチコでも、この人口密度は少し圧倒される。
石畳の大通りに商店が並び、魔法を使った照明が夜でも街を明るく照らしている。
空には魔法飛翔船——翼を持った小型の輸送船——が行き交っている。
「すごい」とサチコはつぶやいた。
「初めて来るのか」とエルクが言った。
「はい。エルクは?」
「何度か。」
宿は学会が手配した、清潔な中規模の宿だった。
翌朝、学会本部に挨拶に行くと、受付の職員が「ああ、調律魔法の」と言った。
すでに名前が知られている。
「思ったより広まっているな」とエルクが言った。
「想定より早い?」
「学会内で議論になっているのは聞いていたが——」エルクは周囲を見回した。
廊下を歩く学会員たちが、ちらちらとこちらを見ている。
「少し、警戒が必要かもしれない」
「警戒?」
「新しい魔法体系の発表は、既存の体系に利権を持つ人間を刺激する。反対勢力が動く可能性がある」
サチコは前世の記憶を引いた。
(社内の改革提案が、古参の部署に潰されそうになったことが、あったな。)
「対策は?」
「実演で圧倒する。議論の余地をなくせば、反対できない」
「エルクらしい解決策ですね」
「最も効率的だ」
実演の前の夜、サチコは眠れなかった。
眠れない理由を分析すると、緊張というより——準備の過不足を確認したい感覚だった。
前世でも、大事な仕事の前日は同じだった。明日の段取りを頭の中で何度も確認する。
ランプをつけて、メモを書き始めた。
実演の順序。調律魔法の原理を言葉で説明する練習。想定される質問と回答。
扉の外からノックの音がした。扉を開けるとエルクだった。
「眠れないのか」
「エルクこそ」
「考えることがある。リナは?」
「段取りの確認を」
しばらく黙っていたが、エルクは廊下に立ったまま、部屋の中のサチコを見た。
「入ってください」とサチコは言った。
エルクは部屋に入り、椅子に座った。サチコのメモを見た。
「抜けはない」と言った。
「完璧な準備だ」
「エルクが確認してくれると安心します」
「……緊張しているか」
「少し。エルクは?」
エルクは少し考えた。
「している。珍しく」
「珍しく、ですか」
「人前で何かをする機会が少なかったから。研究は書けばいい。話す必要がない」
サチコは少し笑った。
「明日は私が実演して、エルクが説明をする。役割分担が、性格に合ってると思います」
「そうだな」エルクが静かに言った。
「……リナ」
「はい」
「お前に初めて話しかけたとき、変な子だと思った」
「変な子...」
「最初から対等な目で来た人間は初めてだったから。ひとつも物怖じしていなかった」
「四十三年分の胆力があったので」
「そうだったんだな」エルクはかすかに笑った。珍しく、素直に。
「だからか、と思った。あの目の理由が」
「あの目?」
「初めて会ったときから——長く生きた人間の目をしていた。それが、ずっと気になっていた」
サチコは何も言わなかった。
エルクが立ち上がった。
「明日は、うまくいく」
「根拠は?」
「お前がやることだから」
サチコは返事をしそびれた。エルクはもう扉に向かっていた。
「おやすみ、リナ」
「……おやすみなさい、エルク」
扉が閉まった後、サチコはしばらく動けなかった。
(根拠はお前がやることだから、か。)
四十三年間、誰かにそういう言葉をかけてもらったことがあっただろうか。
あまり記憶がなかった。




