12
八月の終わり、サチコに呼び出しが来た。
差出人は学院長だった。
「学院長?」アンナが目を丸くした。
「リナ、何かしたの?」
「心当たりが多すぎて絞り込めない」
「それはそれで問題じゃない?」
呼び出しの紙を手に、サチコは学院長室に向かった。
廊下を歩くと、すれ違う教師たちがなんとなくこちらを見る
。噂が広まっているのだろう。先月の暴走魔法の事件以来、サチコへの視線は以前より増した。
学院長室の扉をノックすると、「入れ」という低い声が返ってきた。
学院長のファルドは、七十代と思しき小柄な老人だった。
白髪を後ろに束ね、深い皺の刻まれた顔に、しかし目だけが異様に鋭い。王国で最も優れた魔法師のひとりだと、エルクから聞いていた。
「座れ」
サチコは椅子に座った。
ファルド学院長はしばらくサチコを見た。
値踏みするような視線ではない。ただ、静かに観察している。
「先月の件、見ていた」と学院長は言った。
「暴走魔法の後処理で、倒れた生徒三人の体内魔力を整えたな」
「はい」
「あれを一度でも見たことがあるか」
「ありません」
「習ったことは」
「ありません」
学院長はふむ、と言った。
「カーロから報告が上がっている。それ以外にも——井戸の修理、雨の日の乾燥、小動物の治療。全て、生活魔法の範疇を超えている。いや——」
学院長は言葉を切った。
「範疇を超えているのではない。生活魔法の本質を、誰よりも深く理解している、と言うべきか」
サチコは黙って聞いていた。
「リナ。ひとつ聞いていいか」
「はい」
「魔法とは何だと思う」
サチコは少し考えた。
「世界の状態を、望ましい方向に整える力だと思っています。炎を出すのも、水を乾かすのも、人の体を治すのも——本質は同じで、対象が違うだけ」
学院長の目が、かすかに光った。
「その考えに至ったのは、いつだ」
「最初から、なんとなく。前世……じゃなくて、幼い頃からそう感じていました」
学院長はしばらく沈黙した。それから、静かに言った。
「リナ。お前に、ひとつ頼みたいことがある」
頼みたいこと、とは——学院の地下にある、古い魔法陣の修復だった。
「百年前、この学院を建てた初代学院長が設計した魔法陣だ」と学院長は言った。
「建物全体に魔力を供給する根幹の陣で、これがあるから学院の魔法設備が動いている。しかし近年、陣の一部が劣化して、供給が不安定になっている」
「修復の専門家に頼めないのですか」
「頼んだ。十人頼んだ。全員、首を振った」学院長は静かに言った。
「初代が組んだ陣は複雑すぎて、部分的に直そうとすると他の部分が壊れる。全体の構造を一度に把握した上でなければ、手が出せない。つまり——」
「全体の流れを感じながら、少しずつ整える必要がある」
「そうだ」
サチコは理解した。井戸の導管を修理したとき、地下の構造を魔力で感じながら詰まりを取り除いた——あれと同じことを、より大規模に、より複雑な対象に対してやれということだ。
「失敗したら?」
「陣が完全に壊れる。学院の魔法設備が全て止まる」
「生徒への影響は」
「生活への支障が出る。暖房、照明、水の供給。それと——陣が壊れる際に生じる魔力の暴走で、建物が損傷する可能性がある」
サチコはしばらく黙った。
「なぜ私に頼むのですか。十三歳の、生活魔法の生徒に」
「お前しかいない」と学院長は言った。
淡々と、しかし確信を持って。
「先月の件を見た。あの子は世界の流れが見えている、と思った。理屈ではなく、感覚として。そういう人間だけが、あの陣に触れられる」
窓の外で、夏の終わりの風が木の葉を揺らした。
「……少し考えさせてください」
「もちろんだ」学院長はかすかに笑った。
「急かしはしない。ただ、陣の劣化は進んでいる。冬になる前には、決断が必要だ」




