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田中サチコ、享年四十三歳。死因は過労と、コンビニのレジ袋に足を引っかけた転倒というあまりにも締まらない最期だった。
倒れる瞬間、思ったことはひとつ。
(あ、録画予約してくるの忘れた。)
それが彼女の、現世における最後の思考だった。
気がつくと、サチコは藁の上にいた。
天井は低く、木の梁が走っている。窓の外から鶏の声が聞こえ、どこかで牛がのんびりと鳴いていた。体が妙に軽い。手を見ると、しわのない、小さな手。
「……子ども?」
声まで高い。
しばらく状況を整理していると、扉を開けて太った中年女性が入ってきた。彼女はサチコの顔を見るなり顔をくしゃっと歪めて、「リナ! 目が覚めたんだね!」と叫んだ。
どうやら三日間、高熱で眠り続けていたらしい。
そしてどうやら、サチコは今「リナ」という名の八歳の少女になっているらしい。
この女性は母親で、名前はベアタ。父親は農夫で、家族は村の外れに住む平民中の平民。魔法使いとは縁もゆかりもない家系。
――なのに、なぜかリナには魔法が使えた。
最初に気づいたのは、熱が引いた翌朝のことだった。
井戸から水を汲もうとして、重いな、と思った瞬間、桶がすうっと浮いた。
「……え」
宙に浮いた桶を前に、リナ(サチコ)は固まった。桶はゆらゆらと揺れながら、まるで「どこに持っていきましょうか」と言いたげに待っている。台所まで念じると、桶はするすると空を進んだ。
その日の夕方、薪がなかなか濡れて火がつかないのを見て、乾けばいいのに、と思ったら薪がぱっと乾いた。
翌日、母親が洗濯物を干しながら「今日も曇りだねえ」とため息をついたとき、乾いてほしいと念じたら洗濯物から湯気が立ち上ってあっという間にからりとなった。
サチコは悟った。
これ、便利系の魔法だ。
RPGで言えば最弱。モンスターも倒せない。炎の剣も氷の嵐も出てこない。でも重いものが浮くし、濡れたものが乾くし、あと試してみたら汚れが落ちた。
前世で十八年、事務員をやっていたサチコには、むしろこれで十分だった。
問題は、中身がアラフォーだということだった。
八歳の体に四十三年分の経験と価値観が詰まっている。
子どもらしくはしゃぐのが正直しんどい。同い年の子どもたちが草の上を転がって遊んでいるのを眺めながら、サチコは「腰が痛くなりそうだな」と感じる自分をどうしようもなかった。
とはいえ、体は子どもなので体力はある。頭も前世の記憶と今世の若い脳みそが合わさって、妙に回転がいい。
サチコは静かに、しかし着実に「便利なリナ」として村に溶け込んでいった。
雨の日に洗濯物を頼まれれば、魔法で乾かす。
重い荷物を持つおじいさんを見かければ、魔法でそっと浮かせて手伝う。
薪が湿っていれば乾かす。
料理の火力が足りなければ、鍋をほんのり温める。
派手さはない。でも確実に、誰かの「ちょっと困った」が解決される。
村人たちは最初は不思議そうにしていたが、そのうち「リナがいると助かる」と言うようになった。
母親のベアタなど、「うちの子は神様に愛されてる」と本気で信じ始めた。
サチコは「神様じゃなくて転生だけどな」と心の中で思いながら、ニコニコと受け入れておいた。四十三年生きてきた経験上、「ありがとう」を素直に受け取るのが人間関係の基本だとよく知っていた。




