九条の名
教室の席がすべて埋まってからしばらくして、一人の男が現れた。
スーツ姿で細身の中年男性。
あまり特徴らしい特徴はない。
ただ、酷くくたびれた外見をしていた。
例えるなら、ブラック企業で使い潰されたような、そんな風格だ。
どこかなよなよした風格なのに……その声は、外見とは裏腹に力強かった。
「入学おめでとう。俺が担任の九条だ。先に言っておくが、あの九条だ」
男の言葉に、小さな喧騒が流れた。
「あの?」
小さな声でぴよこが呟く。
「カムイを作った一族だよ」
俺は小声でそう付け足す。
これはアラハバキに入学するような生徒なら誰でも知っていて当然の話なのだが……まあ、ぴよこはぴよこだからしょうがないか。
今では名乗ることを禁じられた【侍】の末裔。
由緒正しい刀鍛冶の一族であり、現在は国お抱えの一族。
つまり、九条とはこの扶桑国において最も力のある苗字ということだ。
だから、大臣とか議員に九条の苗字が多かったりする。
また同時に、例え血族であろうとも『九条』の名を名乗れることが許される人は少ない。
だから目の前にいる九条と名乗った男は、侍の血を引く名を継ぐことが許された特別な男ということになる。
『九条和聡』
黒板には、そう書かれていた。
「呼び方は……アラハバキの教師で九条は俺しかいないから九条で構わん。そして、これから俺から話すことは三つだけだ。お前らよく聞け」
九条の話し方は教えるというより、脅すという風に近い。
それこそ、聞かないから殺すとでも言わんばかりの殺気と勘違いするほど。
ここまでくると、草臥れたサラリーマンなんて最初の印象は消し飛ぶ。
悪い意味でのハードボイルドさを感じられる、ヒットマンのような風格だった。
「まず一つ。俺は面倒が嫌いだ。余計、余剰は省き、効率的に重要なことだけを話す。だから聞き逃すな。それが俺の方針と知れ」
「つまり?」
誰かのクラスメイトが尋ねた。
「長い話はしたくない」
「オーライボス!」
でかいオタク風な男がご機嫌な様子で答えた。
九条は顔に手を当て、落胆めいた溜息をついた。
「二つ目。気づいている奴は多いと思うが、このクラスは腐った蜜柑だ」
自らが担当するであろう生徒に、九条はそう吐き捨てるように言った。
とは言え、俺はその言葉にそうショックはなく、むしろ納得しか覚えなかった。
(やっぱりか……)
俺の確信はそのまま事実へと変わる。
机の数が少ないことと、妙に変わり者が多いことの理由がこれで判明した。
というか、どう考えても色物集団過ぎるだろう……。
「ホワーイ!? どこ!? どこに腐った蜜柑があるんだいボス!?」
巨大な筋肉達磨は立ち上がり、九条に抗議を始めた。
「……まず、制服くらいまともに着ろ」
「着てますが?」
「シャツを、見せるな。ボタンを、閉じろ」
「……だがこいつはレアだぜ?」
きりっとした顔で男は告げる。
九条の眉間に皺が寄ったのを、俺は見逃さなかった。
それから九条は再び溜息ひとつ。
そして筋肉達磨を視界から外し、いない者として扱い出した。
「……あれは『武闘刀剣少女アマガタリ』第三シーズン限定Tシャツ……確かにレアだ」
俺の隣でぴよこが妙に知的な顔で馬鹿なことを口にしていた。
「なんで知ってるんだよ……」
「いっくんも好きじゃなかった?」
「知らねーよ。仮に知ってても、俺とお前の間にある好きの意味が違う気がするんだが?」
「推し活は基本」
俺も小さく溜め息をついた。
「とまあ、見ての通りまともに制服も着れん馬鹿すらいるのがこのクラスだ。ちなみに、お前らこいつと同類と思われてるからな」
クラスからブーイングのオーケストラが鳴り響いた。
件の注目を集めた『アニメTシャツ大男』は誇らしげにマッチョポーズを取っていた。
「最後に三つ目だ。アラハバキでは、実力があれば大体のことが許される。いわば特別扱いというやつだ。何故、腐った蜜柑の貴様らが入学を許されたか……その意味を理解しつつ……貴様らの強みを生かせ」
沈黙が、続いた。
それが激励なのか、単なる事実なのか、生徒は判断がつかなかった。
その無言に満足したのか九条は頷き、そして……。
「ではこれでHRは終了と――」
「少し、よろしいでしょうか?」
透き通った、女性の声。
そう言って手を上げ、静かに立ち上がった彼女は――メイド服だった。
正しく言えば、アラハバキの物である白の制服を魔改造した、メイド服。
見るからに、九条は嫌そうな顔をしていた。
それこそ、マッチョTシャツ男以上に。
「………………何だ?」
「クラス委員を決める必要があるのではないでしょうか?」
メイドは意外とマトモなことを口にしていた。
「まあ、明日のHRにそうする予定だ」
「提案があります」
「言ってみろ」
「誰もやりたがらない時は、クラス委員と共に美化活動を含む活動すべて、私が受け持ちます」
ぴくりと、九条の眉が揺れた。
まるでメリットとデメリットを測っているような、そんな顔だった。
「……あー。お前らの中にクラス委員を是非やりたいっていう勇猛な奴はいないか? ……できたら居てくれ。頼む」
これまでのハードボイルドさの薄れた、どこか懇願するような声。
けれど九条の祈りもむなしく、教室はただ静まり返るだけだった。
「おいお前。そこのTシャツオタク。お前こういうの好きじゃないのか? 青春だぞ?」
「オウシット! オタクに委員とか死んでしまいます!」
「貴様のどこがオタクだ」
「どこを切り取っても立派なオタクですが?」
「二メートルを超える筋肉隆々なオタクはいねーんだよ! 貴様何上がりだ? アーミーか? ネイビーか?」
「オタク差別です!」
「うるせぇ! それと悪いな。てめぇの身体に合わせた席は明日までに用意しとく」
「センキューねボス!」
「ったく。というわけで、誰もいないみたいだが……おいメイド。お前の狙いは何だ?」
「はい。委員長という役職名を、公的に、正式に『メイド』と変えて下さい! ついでにメイドがやりそうなことはなんでもやります! クラスにご奉仕しましょう!」
九条は静かに、だけど確かに、震えていた。
それはそれは、苦渋に満ちたという言葉以外が出てこない、そんな表情だった。
しばらく……数分の間、苦悩に苦悩を重ねた末、九条は折れた。
「というわけでクラス委員改め、皆様のお世話をさせていただくメイドの篠宮有栖と申します」
そう言って微笑みながら有栖は頭を下げる。
誰も、状況が理解出来なかった。
メイドとは一体何なのか、どういう存在なのか。
知識として知るメイドとあまりにも違う状況に、メイドという概念が崩壊していく。
だけど、誰も有栖に逆らえない。
理解出来ない状況だからか、あまりにも頭がおかしいからか。
まるで蛇に睨まれたような、そんな妙な緊張感が教室に流れていた。
九条は盛大に、本当に盛大に疲れた溜め息を吐いた。
ハードボイルド系教師だったはずなのに、このクラスで九条の立ち位置は、苦労人に転がり落ちていた。
本当に疲れ顔となった九条が退散し、自由時間となってぴよこが俺の前に立った。
「楽しくなりそうなクラスだね!」
ニッコニコ顔のぴよこに俺は呆れ顔を返した。
「なりそうというか、楽しいクラスというか……」
「いっくんも楽しそうで何よりだよ!」
「ああ……うん。まあ、楽しめると良いな」
「うん!」
大きく、ぴよこは頷く。
中学の時、こいつには大勢の友達が居た。
ただ、皆と距離があった。
亜人という存在が物珍しい、そんな普通の人ばかりだったから。
逆に言えば、ここならこいつは亜人として浮くことはない。
というか亜人なんか気にしない変人ばかりなのはもうわかっている。
だからこいつにとってはきっと、ここは理想的な空間なのだろう。
(それに……中学の時と違ってもう俺の世話もしなくて良いしな)
家族を一度に失った記憶喪失の幼馴染。
そんな面倒事の世話をしなくてよくなれば、こいつも亜人のみそっかすなんて言われずに済むだろう。
「何か失礼なこと考えなかった?」
「気のせいだ」
「そう?」
「おう。ところでさ、ぴよこ」
「んー? 何?」
「いや、結局ぴよこって『実戦科』で受かったのか? 同じクラスってことは?」
「へ? ううん。私は『刀匠科』だよ」
「は!? お前が刀匠科!? お前、刀いじったこともないのに!?」
「これから習うから良いの」
「はぁ……本当によく合格出来たな。てっきり『奉納科』の推薦枠で行ったのかと……」
「いや。だって私は――」
バタン! と、大きな音がぴよこの言葉を遮った。
教室が静まり返る。
滅多なことでは同様しないであろう個性の爆弾であるはずの、この教室が。
皆の視線が、一か所に集まっていた。
その、開かれた戸の向こう側に。
そこに居たのは、目を奪うような綺麗な髪をした女性だった。
綺麗な、まるで太陽のようなブロンドの髪。
服装は制服だが、彼女が特別な存在であることは容易に想像出来る。
彼女の頭には、輝くティアラを付けていた。
「邪魔するわ!」
そう言って、彼女は堂々と教室に入ってきた。
その後ろを、いかにもな老紳士の従者が付いて歩いていた。
彼女はつかつかとこちらに近寄り、そして俺の前で立ち止まる。
正しくは、俺ではなく、ぴよこの前で。
どうやら、彼女の目に俺は全く映ってないらしい。
自信に溢れた微笑のまま、彼女はスカートを軽く持ち上げ優雅な挨拶を見せる。
「ごきげんよう。わたくしはユーフィミア・エリザベート=インペリアル四世。クラリス王国の第三王女です」
「は、はぁ。私は……」
「知ってます。アセリア・ピュリコット。なにせ貴女を探してこのクラスに来たんですから」
「はえ? 私に用事?」
「ええ。その通りです。アセリア・ピュリコット。私に仕える名誉を授けましょう」
そう言って、彼女はぴよこに手を差し出した。
「えっと……つまり?」
「私のペットにおなりなさい!」
威風堂々と、そんな態度で、そいつはそんな阿呆なことを言い放つ。
ガタリと音を立て、俺はつい立ち上がる。
そこで初めて、俺は王女様に認識された。
ありがとうございました。




