この世界の日常
家の外には、いつもの光景が広がっていた。
集団登校する小学生たちと、それを誘導する数人の主婦。
少し離れた場所ではスーツ姿の男性が時計を見ながら駆け足で、さらにその奥では、老夫婦が杖を片手に微笑みながらゆっくりと朝の散歩を楽しんでいた。
全員が、何等かの武器を手にして――。
主婦の手にはさすまた、サラリーマンは木刀。
老人は何もないが、間違いなく杖に何か仕込まれている。
子供でさえ、腰には玩具にしか見えないプラスチックの剣を。
そう……これがこの世界の当たり前。
武器を持たず外に出る人など――この世界にはいない。
「えっと、あれ、なんて名前だっけ」
俺の言葉にぴよこは首を傾げる。
「ん? あれってー?」
「【帯刀令】の正式名称」
ぴよこの表情が、ピシリと固まった。
「……それは……えっと……ほら、私、外国生まれだから」
「【扶桑】生まれ扶桑育ちの幼馴染さん?」
「フソウ語、わかりませーん」
「お前英語赤点続きじゃねーか」
「でもでも! いーくんだってわからないんじゃん!」
「まあ、そうなんだけどさ……」
実際、この質問をすらっと答えられるのは、それこそ法律を専門に扱う人くらいだろう。
【帯刀令】
もしくは、【帯刀強制令】
それはこの国とずっと共にある、法律の通称である。
内容は大方字の通りで、刀剣やそれに準ずる武器を所有しなければ外出してはならないというもの。
大昔に廃刀令、いわゆる【帯刀禁止令】にちなんでそう呼ばれてからは、もう新聞だろうとニュースだろうとその呼び方だけ。
正式名称を聞く機会は学校でさえ一生に一度あるかどうかだ。
そんな、名前が忘れられるのが当たり前となる程身近に存在する法律。
俺達にとって当たり前の、馴染みしかない教え。
それが、帯刀令である。
「……いつもの日常……いや、ちょっとだけ違うか」
「何が違うの?」
ぴよこに言われてから、俺は周囲の様子をぐるっと見回す。
いつもの光景、いつもの日常。
それに違いはない。
だけど……。
「いつもよりちょっとだけ、見られている」
真新しい白の制服を着た俺達を見る周囲の目は、ほのかな尊敬と暖かいものが混じっていた。
「え? そう?」
ぴよこは首を傾げた。
「まあ、ぴよこにゃわからないか」
「それ、私が鈍いってことかな?」
「それもあるかもな」
「むぅ」
「冗談だ。『名門学園の制服に身を包む生徒』より【神裔】の方が珍しいからしょうがないわな」
「……エイ? 魚?」
「『亜人の正式名称』を、なんで張本人のお前が忘れてんだよ……」
「難しくない? 漢字とか歴史とか」
思いっ切り突っ込みたかったが、非常にデリケートな内容であるため、俺は曖昧な笑みを浮かべ誤魔化す。
気心知れた相手であっても、ずけずけ触れて良い部分ではない。
俺が亜人でなくただの人でしかない以上、本当の意味でそれを理解することは難しいのだから。
強引にでも話を切り替えそう。
そう俺が思っていると――急に、けたたましいサイレンに俺達は襲われた。
耳をつんざくその音が、強制的に俺の思考を止める。
火災警報でも警察の出動とも違う、独特の不協和音。
それで、街の様子は一気に変わり、人の動きが二極化した。
つまり……逃げる者と、向かう者。
子供達やその保護者達は、音の聞こえた方角の反対に避難していく。
サラリーマンも時間を気にしながら、とても申し訳なさそうに。
それに対し、余裕のありそうな人達は音の方に進んでいく。
青年は目を輝かせ気高そうに、ある大人はしょうがないという態度で。
杖がないと歩けない老夫婦も、ゆっくりとした足取りで音の方に歩いていた。
俺達はどうする?
そう聞こうとする前に、ぴよこは一歩前に。
「行こう」
その声には迷いも躊躇いもなかった。
「これで入学式遅刻したらどうするんだ?」
「討伐での遅刻で責める学園じゃないよ。それに、どうせいーくんも最初からそのつもりでしょ?」
図星を突かれ、俺はちょっとだけ悔しい気持ちでぴよこの横に立った。
「……サイレン音は最小かつ継続三秒から五秒くらいか」
俺の呟きにぴよこも頷く。
(継続なしの最短最小。なら、大した警戒はいらないか…)
どちらともなく、俺達は全速力で駆けだした。
街はずれの少し寂れた商店街。
その隅で、街の人たちが何かの群れと戦っていた。
黒一色で淡い輪郭を持った何か。
まるで人の影がそのまま立体になったかのような、そんな存在。
これこそが、帯刀強制令を生み出した元凶であり現象――【影障】である。
【影障】
姿は実体化した影のよう。
けれどそれは生物でさえなく、おおよそ生命としての特徴を一切持たない。
知性らしきものはまるでなく、発声器官を持たず呼吸もしない。
現れても、ただ後先考えず暴れることしかしない。
素手でコンクリートを砕く力を持って、銃弾さえ無効化する異常な物理耐性を持って、ただ暴れ回る。
だから一応は、本当に恐ろしい存在なのだが……。
「そっち! 一秒も遅いよ! 何やってるの!?」
「老人を労わらんかい!」
「こちとらヘルニア持ちの主婦様よ!? 歳を言い訳にする暇あれば手を動かしな!」
「生意気な奴め! おい若いの! ワシらが先じゃ順番は守りな!」
言い合いをしながらも、彼らは巧みな連携を持って、集団で影をボコボコにしていた。
「こりゃ私達要らなかったね」
ぴよこはぽつりとそう呟く。
ただ、こうなると別の心配が出て来る。
「……これはちょっと不味いな」
「え? 増援の気配? それとも別の問題?」
「いや……俺たちを含め未満持ちしかいない」
帯刀強制令があるとはいえ、正規の武器を持つには資格がいる。
その資格持ちが、この場には誰もいなかった。
「この規模ならそれでも問題なくない?」
ぴよこはそう尋ねて来た。
俺が持っている木刀も、ぴよこの竹刀も、街の人が持っている全ての道具に多少の【霊力】が宿っている。
その霊力は物理攻撃を無効化する影に対し有効であり、僅かな霊力であっても、影は攻撃を喰らうたびにスタンショックのように体を硬直させていた。
だから、ひと昔前にはたった一個体で村を滅ぼしたことのある影であっても、現代ではこのように、ただの住民だけで完封する形を取ることが出来る。
影は数百年前から変わらないが、人類は数百年の間に、対抗策をノウハウとして整えていた。
ただ、俺達無資格の武器に籠った霊力は、本当に僅か程度。
討伐までには相当の時間を要する。
つまり――。
「このままだと遅刻する」
この場の心配ではなく、俺達の今日の心配をする必要はあった。
「なるほど。じゃあここは大丈夫そうだし離れよう……なんてことを言いだすいーくんじゃないよね?」
ぴよこがそう、俺に声をかける。
ぴよこはきっと、そうしたいのだろう。
少しだけ、本当に少しだけ、申し訳なさそうな顔をしてから、俺は袋から木刀を取り出した。
「すいません! 通して下さい!」
今この場で戦っている人にそう叫びながら、人の波をかき分けていく。
俺に道を譲ってくれた男性は尋ねてきた。
「あんた学生さんかい? 時間は大丈夫なのか?」
その男性の女房らしき人が、男性の肩をぺしっと叩いた。
「馬鹿! 制服見なさいよ! この子達は……」
男性の奥さんらしき人の言葉に俺は首を横に振った。
「期待させてすいません。俺たちはまだ……」
「まだ? ――ってそうか! 今日は入学式じゃない!? なんでわざわざこんなところに……」
「だから、あの学園を目指したんです」
俺の言葉に、奥様ははっとした顔をした後微笑んだ。
「あらあら立派ねぇ。頑張んなさい。ああでも無理しちゃ駄目よ! あんたらにゃ未来があるんだから」
「ありがとうございます!」
微笑み、頭を下げ、俺は更に先に進む。
幾たびも人の波をかき分け、ようやく俺は、それと相対した。
影。
それは紛れもない、影だった。
二足歩行で歩く、光に当たっても影を生まない黒い塊。
当然だろう。
自分自身が、影なのだから。
背丈はおおよそ二メートル程。
だが、自分より大きいからか実寸以上に巨大に感じる。
そう誤認するのは、全身より吹き出る黒い靄とその威圧感も関係しているかもしれない。
――怖い。
当然のことだが、俺はそう感じていた。
既に日常の一つであり、長い歴史の中で処理の構造が定まった相手。
生物ではなく、障害であり現象。
それでも、いやだからこそ、これは本来人が立ち向かい敵うものではない。
分類でいえば、竜巻や地震の同類なのだから。
俺は今、この場で戦っている街の人たちに敬意を覚える。
確かに、影の討伐にはマニュアルがあり、死亡率は極端に低くなっている。
そうだとしても、これに立ち向かうのに勇気がいらないわけがない。
猛獣よりも危険なだけでなく、見るだけで何故か悍ましいと感じ体が竦み上がる。
邪悪であり、不気味であり、理解不能。
まさしく異形だ。
多少程度戦える俺でさえ、今すぐ逃げたいと思うくらいには怖い。
だからこそ、引けるわけがなかった。
多少でも剣術を学んだ俺が、ここで引くようなことがあってみろ。
今この場で戦っている彼らに、俺と交代で下がってくれた、さっきまで戦っていた彼らに……彼らに合わせる顔が、ないだろうが。
「ごめん遅れた」
そう言ってぴよこは俺の横に立つ。
その手には彼女が持つ武器の竹刀が握られていた。
通常の竹刀よりも大分短い、脇差のような長さ。
けれど、それくらいでないとぴよこには扱えなかった。
「いや、構わん。いつも通りで良いか?」
「ん、任せて」
ぴよこが頷いたのを確認し、俺は木刀を正眼で構えた。
俺の殺気に反応したのか、ただ単純に俺が一番近かったからか、影は俺の方に体を向けた。
「学生さん! そっちに行くぞ!」
「大丈夫です! こっちは二人で行けますので残りを!」
影から視線を外さず、俺はそう返す。
影の動きは緩慢で、痺れがまだだいぶ回っている。
なら……。
俺は迷わず、影に前進する。
すり足も何もない、純粋な前進……いや、ダッシュ。
前に走り、俺は木刀を振り上げ……。
「シッ!」
短く叫び、木刀を叩きつけるよう振り下ろした。
ゴッと鈍い音と共に、影が怯む。
自我や痛覚がないとされる影が怯むということは相応のダメージがあったということ。
だからだろう。
周りから小さな感嘆の声が上がった。
と言ってもまあ『若いのになかなかやるなぁ』程度の小さな感嘆だが。
数秒の停止の後、影は緩慢な動作で腕を振り回すように叩きつけてくる。
パンチをするほど知性もなく、爪や牙という武器を持たない。
けれど、そんなもの影には不要だった。
ただ腕を振り回せば、勝手に人が死んでいく。
サイズが違うだけで、ダンプとかタンクローリーとかそういうものと同じ質量、出力と思えば良い。
俺は静かに二歩分下がる。
それだけで影の猛攻を避けられるとは思っていない。
ただ、それで十分だとは理解していた。
俺へと延びる腕は……ぴよこの側面斬撃により俺へと届く前に止まった。
学力は並、運動神経は微妙。
体力は多少あるものの男子と比べるほどでもない。
つまり全体的に平凡以下。
それがぴよこのステータスだ。
本来亜人とは人に劣る部分はなく多くは勝っているということを踏まえると、本当に酷い。
けれど、ぴよこは決して弱くない。
直接の試合なら百回やっても俺は負けないだろう。
だが、影への処理能力は俺に並び、対応力という意味なら俺を凌ぐ。
それは……。
ぴよこは影から放たれる蹴りのような攻撃を、高く跳び回避する。
そのまま空中に滞在し、時間をずらし降下と共に斬撃を放った。
空中を利用する高速立体機動。
それは鳥の資質を持ち、空が味方であるぴよこだけの力だ。
更に言うなら、亜人とは正式名称で【神裔】と呼ばれる。
神の末裔、神の子。
扶桑国の最も尊き方々より、その名を直々に賜った存在。
だから、亜人は皆自前の霊力を持っている。
俺達みたいに一つの武器に固執する必要はなく、ペンから下敷きまでも影に通用する武器とすることが出来た。
と言ってもそこまで強い霊力ではないが。
実際ダメージレースで言えば、霊力ブースト込みのぴよこよりも、技量と腕力の分、俺の方が勝っている。
だから、俺が乾坤一擲の全力を繰り返し放ち、そのカバーをぴよこがするというスタイルが俺達の中で確立されていた。
ぴよこは踊るように舞い、翻弄し、俺の目の前に影の背が向くように誘導し、そのまま蹴り放ち影を痺れさせた。
「いーくん!」
名を呼ばれ、俺は絶妙なアシストを受けながら、全力の一撃を放つ。
上段からの、後先も防御も考えないがむしゃら渾身の斬撃。
その一撃で、影は片膝を着き手を地に付ける。
それでもまだ、倒せない。
こいつらがタフなのもそうだが、霊力ベースでしかダメージが与えられないからだ。
剣術や腕力でも影響はあってもそれほど大きいものじゃない。
だから、俺達程度の武器でこいつらを倒すためには、何度も何度も、とにかく全力でボコボコにするしか方法はなかった。
しばらくの戦闘の末……。
俺が八発、ぴよこが二十数発。
それでようやく、一匹の影が討伐される。
かかった時間は十分程度。
残りの影はあと三体。
若干時間が厳しそうだ。
「遅刻したらすまん」
俺の言葉にぴよこは笑った。
「スイーツ一回奢ってくれたら許す」
俺は苦笑し、次の影に向かった。
ありがとうございました。




