第3話 サキュバス殺し
俺は深く息を吐いた。
体の奥底から、熱い何かが湧き上がってくる。気力が満ちていく。龍のような精気、虎のような気迫——原本孱弱だった肉体が、少しずつ回復していくのを感じる。
「……病気は、まだ治ってないな。でも、前より長く持ちそうだ」
俺は自分の状態を細かく確認した。
ギフト《邪道の鬼才》がもたらした身体の回復に加えて——
配布された『魅惑術・基礎編』の内容が、驚くほど頭に入ってくる。
理論だけではない。1周目の「実戦経験」——セラフィナに精気を吸われたあの感覚が、スキルへの理解を深めてくれる。
しかも、ギフトの加速効果まで加わって——
【ギフト《邪道の鬼才》発動中】
【スキル理解速度+500%(邪道系)】
通常なら数週間かかる内容が、数時間で理解できる。
「……これなら、いける」
◇
その後、全ての展開は変わらなかった。
天然の美貌のおかげで、俺はやはりサキュバス課に配属された。
だが——今回は違う。
建物の入口でセラフィナが新人たちを出迎えた時、俺は集団の後方に紛れ込んでいた。
視線を下げて、目立たないように。
結果——セラフィナの目には留まらなかった。
「じゃあ、今日はこの子たちね」
セラフィナは顔の良い見習い兵を次々と指名していった。
整った顔立ちの者。華やかな雰囲気を持つ者。
そういった「上物」は、上級サキュバスたちの修行相手として選ばれていく。
俺は——選ばれなかった。
◇
「——残りの者は、相互訓練だ」
翌日、サキュバス課の訓練担当——中年の下級サキュバスが、俺たち「選ばれなかった」見習い兵を集めた。
見渡せば——容貌が平凡な者ばかりだ。
男ばかりで、女性見習い兵はほとんどいない。顔の良い女性は全て、上級サキュバスに選ばれてしまったからだ。
「相互訓練とは、見習い同士で《精気吸収》を練習することだ」
訓練担当は淡々と説明した。
「互いに精気を吸収し合い、スキルの感覚を掴め。ただし——」
彼女は冷たい目で俺たちを見回した。
「相手を殺した者は、魔獣課送りだ。加減を学べ」
そう言って、彼女は俺たちを訓練棟の個室に案内した。
「では——女性見習いが少ないから、順番に組み替えていく。最初のペアはこれだ」
訓練担当が名簿を読み上げた。
「黒崎遊真——お前の相手は、アンネリーゼだ」
◇
個室に入ると、一人の女性が待っていた。
金色の髪。青い瞳。顔立ちは——確かに整っている。
いや、よく見れば——かなりの美人だ。
なぜこの女性が「選ばれなかった」のか、不思議なくらいに。
「よろしく……私はアンネリーゼ。アンネでいいわ」
「黒崎だ」
「クロサキ……変わった名前ね」
アンネは俺の隣に座った。
そして——俺の耳元に、ゆっくりと顔を近づけてきた。
「ねえ、クロサキ——」
甘い吐息が耳にかかる。
「——実は私ね、貴族の出なの」
「…………」
「魔界の辺境伯の娘。でも、政争に巻き込まれて——こんなところに送られちゃったの」
アンネは悲しげに微笑んだ。
「もし私を助けてくれたら——きっと父が、あなたに報酬を——」
俺は——無視した。
「じゃあ、始めるか」
「え——」
アンネの言葉を遮って、俺は彼女の手を掴んだ。
「ちょ、ちょっと待って——」
「《精気吸収》だろ? 時間の無駄だ」
俺は魔力を操作した。
《精気感知》——発動。
アンネの精気が、視える。
そこそこ強い。平凡な見習い兵よりは遥かに上だ。
「や、やめ——」
俺は構わず、《精気吸収》を発動した。
自分の魔力を、相手の精気に共鳴させる。
『魅惑術・基礎編』に書かれた通りに——
魔力で「回路」を作る。
相手の精気を引き寄せる。
そして——吸収する。
「っ……!?」
アンネの精気が、俺の体に流れ込んでくる。
温かい。力強い。
「な、何……これ……」
アンネの顔色が変わる。
「あなた……本当に、初心者……?」
「ああ」
俺は嘘をついた。
「でも、本は読んだ」
「そんな……本を読んだだけで……」
アンネは信じられないという顔で俺を見た。
「もう一度、いいか?」
「え——ちょっと——」
俺は再び《精気吸収》を発動した。
ギフト《邪道の鬼才》の効果で、理解が深まる。
吸収の効率が上がる。
「や……やめ……」
アンネの声が弱々しくなる。
だが——俺は止まらなかった。
もっと。
もっと吸収して——
スキルを完全に習得する。
「は、はあ……はあ……」
数分後——
アンネは床に崩れ落ちた。
顔は真っ青。体から完全に力が抜けている。
「……っ……も、もう……無理……」
彼女は虚脱した表情で、天井を見上げていた。
「……悪い」
俺はアンネを部屋の隅に寝かせた。
◇
「——次、リサ」
訓練担当が次の女性見習い兵を呼んだ。
地味な容貌の女性。名前はリサ。
「よろしく……お願いします」
「ああ」
俺は頷いた。
そして——《精気吸収》を発動。
「きゃっ……!」
リサの体がビクンと震えた。
「す、すごい……」
数分後——
「もう……だめ……」
リサも、床に崩れ落ちた。
完全に虚脱している。
◇
「——次、エリカ」
三人目。
痩せた女性見習い兵。
「お、お願いします……」
数分後——
「あ……ああ……」
虚脱。
◇
「——次、マリア」
四人目。
「よろしく……」
数分後——
「……もう……動けない……」
虚脱。
◇
「——次、ソフィア」
五人目。
「……」
数分後——
「…………」
完全に意識が朦朧としている。
虚脱。
◇
「ちょっと待ちなさい」
訓練担当のサキュバスが、訓練室に入ってきた。
彼女は床に倒れている女性見習い兵たちを見て——
「……何これ」
唖然とした。
「全員、完全に精気を吸い尽くされてる……」
訓練担当は俺を睨んだ。
「黒崎遊真——お前、やりすぎよ!」
「すみません」
「加減を学べって言ったでしょ! このままじゃ、相手が死ぬわよ!」
「……以後、気をつけます」
「気をつけるじゃないの!」
訓練担当は深いため息をついた。
「……あなた、才能ありすぎるわ。初心者の域を完全に超えてる」
彼女は俺をじっと見た。
「報告する。あなたは——上級訓練に移行よ」
「上級訓練……?」
「セラフィナ様直々の指導。今すぐ、彼女の部屋に行きなさい」
——来た。
結局、目立ってしまった。
だが——
俺には、もう《精気吸収》が身についている。
5人の女性見習い兵から吸収した経験で——完全に習得した。
「分かりました」
俺は頷いた。
今度こそ——
セラフィナを、出し抜いてやる。
◇
その日の夜。
俺はセラフィナの部屋に呼び出された。
1周目と同じ——紅い絨毯、薄暗い照明、中央の大きなベッド。
「あら……」
セラフィナは俺を見て、目を見開いた。
「あなた——入隊式の時にいた子ね」
「はい」
「隠れてたでしょ? 私の目を誤魔化そうとして」
「…………」
「ふふ、賢いわね。でも——才能は隠せないものよ」
セラフィナは妖艶に微笑んだ。
「たった1日で、5人もの見習いを虚脱させるなんて——」
彼女は俺の顎に指を這わせた。
「——あなた、ギフト持ちね?」
「…………」
「答えなくてもいいわ。どうせ、すぐに分かるもの」
セラフィナは俺をベッドに押し倒した。
「さあ——本物の《精気吸収》、教えてあげる」
彼女の唇が、俺の唇に重なった。
「んっ……♡」
次の瞬間——
体の奥底から、精気が吸い出される感覚。
1周目と同じ。
圧倒的な力の差。
だが——
俺は——もう、ただ吸われるだけの存在じゃない。
セラフィナの魔力の流れが——視える。
彼女が作る「回路」が——理解できる。
「っ……! あなた……」
セラフィナの顔色が変わる。
「な、何者……」
「ただの見習い兵だ」
俺は冷たく答えた。
そして——
俺は、自分の体内に残る「病気」の気配を——
精気に紛れ込ませて、セラフィナに流し込んだ。
「っ……!?」
セラフィナの体が、激しく震えた。
「な、何……これ……」
彼女の顔が、見る見るうちに青くなっていく。
「ゲホッ……ゲホッ……!」
黒い血が、床に吐き出された。
「あなた……病気……」
「ああ」
俺は頷いた。
「すまんな、先輩」
俺はセラフィナの精気を吸い続けた。
彼女の生命力が、どんどん俺に流れ込んでくる。
そして——病気が彼女の体内に広がっていく。
「や……やめ……」
セラフィナの手が、俺の腕を掴もうとする。
だが——もう力が入らない。
数分後——
セラフィナは床に崩れ落ちた。
呼吸が止まっている。
死んだ。
◇
次の瞬間——
俺の体の奥底で、何かが轟然と弾けた。
セラフィナの精気が、俺の体に完全に融合していく。
膨大な生命力。
圧倒的な魔力。
「っ……!」
体が熱い。
魔力が——溢れ出す。
ピロリロリン♪
【レベルアップ!】
【LV 1 → LV 5】
【HP: 45/100 → 180/180】
【MP: 12/30 → 85/85】
【《精気吸収 LV1》→《精気吸収 LV2》に進化!】
【称号《サキュバス殺し》を獲得!】
「……これは」
俺は自分の体を確認した。
病弱だった体が、嘘のように回復している。
魔力の容量が——7倍近くまで膨れ上がった。
「すごい……」
Dランクのサキュバスを喰らった対価。
これが——俺の力だ。
「愉快だな……セラフィナ先輩」
俺は立ち上がった。
床に倒れたセラフィナを見下ろす。
もう動かない。
完全に——死んでいる。
「俺は一生、あなたを忘れないだろう」
そして——
俺は、部屋を出た。
(第3章 完)




