序章 クソゲーの果てに
深夜2時。
六畳一間のワンルームに、モニターの青白い光だけが灯っていた。
黒崎遊真——30歳、社畜。平日は朝8時から終電まで会社に魂を吸われ、休日は死んだように寝るか、ゲームをするかの二択。彼女いない歴イコール年齢。唯一の趣味がゲームという、テンプレのように冴えない人生を送っていた。
そんな俺の目の前で、画面がフェードアウトしていく。
『長らくのご愛顧、誠にありがとうございました。本日をもちまして、「ソードクロニクル・オンライン」はサービスを終了いたします。——またどこかで、お会いしましょう。』
キャラクターたちが手を振っている。五年間苦楽を共にした仲間たちが、一人、また一人と光の粒になって消えていく。
「…………」
俺は缶ビールを一口あおって、無言でモニターを見つめていた。
悲しいか? と聞かれれば——正直、微妙だ。
このゲーム、最初は面白かった。レベル上げに一ヶ月、転職クエストに半年。ボスレイドは50人がかりで3時間ぶっ通し。死んだら経験値20%ロストで装備もぶっ飛ぶ。キーボードを叩きすぎて壊れるから、予備を常備していた時代だ。
——あの頃は、確かに熱かった。
しかし運営はアップデートのたびにゲームを「改善」した。レベル上げは10倍速に。転職は課金で即解放。ボスのHPは10分の1に。死亡ペナルティは撤廃。
「改善」じゃねえよ。骨抜きだよ。
気づけばフレンドリストは全員オフライン。ギルドチャットは半年前から沈黙したまま。そしてついにサービス終了——当然の結末だった。
俺はため息をついて、椅子の背もたれに体を預けた。
明日も朝から仕事だ。課長の小言を聞いて、意味のない会議に出て、終電で帰って、コンビニ弁当を食って寝る。そしてまた朝が来る。その繰り返し。
ゲームだけが、この灰色のループから俺を救ってくれていた。
なのに、その最後の砦まで崩れた。
「……次のゲーム、探すか」
習慣のように検索エンジンを開く。もはや条件反射だ。社畜が退勤後にゲームを探す。呼吸と同じ。
キーワードは「ゲーム 高難易度 やりごたえ」。
検索結果の一番上に、見覚えのあるゲーム会社の広告が表示された。
「ソードクロニクル」を運営していた会社の、新作ゲームらしい。
俺は無意識にクリックした。
そして——絶望した。
●放置で自動レベルアップ!ログインするだけで最強装備ゲット!
●AIが自動で戦闘!あなたは見てるだけでOK!
●毎日無料10連ガチャ!全員に★5確定!
●「努力」も「工夫」も不要!誰でも最強になれる究極カジュアルRPG!
「…………」
俺は5秒ほど画面を凝視した。
それから、静かにタブを閉じた。
「それもうゲームじゃなくてスクリーンセーバーだろ」
いや、わかっている。時代が変わったのだ。今のゲーム市場が求めているのは「挑戦」ではなく「消費」。苦労して手に入れた一振りの剣に震える感動より、ガチャで出た★5武器をSNSに晒す快感の方が、金になる。
わかっている。わかっているが——納得はしてねえ。
俺はさらにスクロールした。
似たようなゲームの広告が、次から次へと流れてくる。
『寝てる間にレベルMAX!』
『ワンタップで全クリ!』
『難しいゲームはもう古い!ストレスフリーの異世界ライフ!』
地獄か? ここは広告のディストピアか?
苛立ちを抑えながらスクロールを続けていると——ふと、一つのサイトが目に留まった。
ゲーム名もない。開発会社の情報もない。黒い背景に白い文字だけの、異様にシンプルなウェブページ。
書かれていたのは、たった一行——
『本物の冒険を、お探しですか?』
「……怪しすぎるだろ」
普通ならスルーする。いや、普通の精神状態なら絶対にスルーする。
だが、深夜2時の社畜は普通じゃない。クソゲーの残骸を延々と見せられた上に、明日の出勤が脳の片隅にちらついている。正常な判断力なんてとっくに蒸発していた。
俺はクリックした。
ページが切り替わる。少しだけ文字が増えていた。
『あなたは"本物"を求めている。
退屈なゲームに飽き、
骨抜きにされた冒険に失望し、
それでもなお——
"あの感覚"を追い求めている。
ならば、お応えしましょう。』
「はいはい、没入型RPGの演出ね。最近こういうの多いんだよな——」
独り言を呟きながらスクロールすると、選択画面が現れた。
『難易度を選択してください。』
●簡単モード
スキル成長速度10倍。ガチャで特殊スキル3つまで取得可能。
初心者・面倒くさがりの方に。
●普通モード
標準的な成長速度。ガチャでEX必殺技を1つ取得可能。
迷ったらこれ。
●上級モード
成長速度10分の1。ただし到達できる高みが違う。
ガチャで通常スキル1つ取得可能。腕に覚えのある方に。
●地獄モード
成長速度100分の1。成長上限なし。ガチャなし。初期スキルのみ。
やり直し不可。絶望は必ず訪れます。
その絶望を超えた先に、ある真理が待っています。
——開発チームがノリで作りました。
「ノリで作ったとか正直に言うなよ……」
思わずツッコんだが、目は「地獄モード」の説明文に釘付けだった。
成長速度100分の1。成長上限なし。
——これだ。
ワンタップで全クリできるゲームには絶対にない、時間と苦痛の先にしか存在しない頂。効率を捨てて、泥を這って、それでも一歩ずつ登っていく——あの感覚。
俺が10年探し続けたものが、ここにある気がした。
迷いは、なかった。
——地獄モードを選択。
ポップアップが表示された。
『最終確認:
難易度:地獄モード
※この選択は取り消せません。
※開発チームは一切の責任を負いません。
※本気ですか?
[冒険を始める] [やめておく]』
「しつこいな。地獄モード選ぶような人間に確認しても無駄だぞ」
俺は [冒険を始める] をクリックした。
——瞬間。
モニターが眩い光を放った。
白い光が六畳の部屋を飲み込む。飲みかけの缶ビールが倒れた気がしたが、もうどうでもよかった。椅子から体が浮き上がるような感覚。重力が消える。意識が溶ける。
最後に見えたのは、モニターに浮かぶ一行の文字——
『ようこそ、"本物"の世界へ。——ご武運を。』
「は——? ちょっと待っ——」
声を出す間もなく、意識は闇に沈んだ。
六畳一間のワンルームには、倒れた缶ビールだけが残された。
◇ ◇ ◇
——そして俺は、目を開けた。
薄暗い紫色の光。黒い大理石の床。かすかな血の匂い。
壁には『新兵選別所』と書かれた錆びた看板。
頬をつねる。痛い。めちゃくちゃ痛い。
心臓が鼓動している。冷たい空気が肺を満たしている。
これは——ゲームじゃない。
俺は自分の手を見た。細い。白い。筋肉のかけらもない。30歳社畜の運動不足な体より、さらに貧弱だ。
頭の中に、この体の元の持ち主の記憶が、断片的に流れ込んでくる。
魔界。魔王軍。見習い兵の徴収。帰ってこない者たち——。
「…………マジかよ」
地獄モードを選んだのは俺だ。文句は言えない。
だが、まさか本当に地獄だったとは聞いてない。
(序章 完)




