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第九話 賭けるもの

 ●一戦目:期待された「ガルダの英雄譚」と、あっさり終わる夢


 盤上に駒が並び終わると同時に、ワトホートの胸には、高揚と緊張が同時に渦巻いていた。


 ――これが、ガルダ海戦だ。


 敵戦艦五。

 こちら三。

 うち一隻は、速力「10」、砲撃「無敵」、装甲「強靭」。


 演習ルールの説明は、事前に済んでいる。


「侵攻側は、新型艦の真の性能を“知らない”前提で行動します」


 参謀長が淡々と告げた。


「暫定評価として、従来型戦艦と同程度の数値を用います。防衛側と侵攻側で情報差がある状況を再現するための規則です」


 実際には、この場の全員が、この旗艦がどれほど狂った性能を持っているかを知っている。

 だが、盤上では「知らないものとして扱う」。

 期待値から大きく外れた交戦結果が出た時のみ、敵の観測情報として異常値が開示される。


 史実でも、ローズベルト級の建造計画は最高機密だった。

 ジェネラル・レビル号の竣工すら、国内発表をためらうほどの敗戦ムードの中で隠されていた。

 つまり、今からやるのは、「ネルソン以外の誰か」がガルダ湾に立った場合、ということだ。


 ワトホートは、自分をネルソンに重ねようとしながらも、その距離を嫌でも意識せざるをえなかった。


「では、開始」


 参謀長の声とともに、一戦目のガルダ湾が動き始める。


 ワトホートは、意気揚々とローズベルト級を前に出した。

 従来型戦艦二隻は、やや左右に開き、中央に「強靭・無敵」の巨艦を据える。


「敵の主力を、この一隻で受け止める!」


 かけ声だけなら、ガルダの英雄にも負けていない。


 侵攻側を担当する参謀たちは、淡々と手元の「暫定性能表」を参照しながら動いていた。

 彼らにとって、ローズベルト級は、「まだ正体不明だが、おそらくは重装甲・重砲の新型戦艦」としか扱われない。

 撃ち合えば、相応に痛い。

 だが、一隻目の標的として最優先、というわけでもない。

 そんな評価が、盤上の動きに反映されている。


 やがて、海図上の一点で交戦レンジが成立した。

 先に主砲を放つのは、ワトホートの旗艦だ。

 サイコロが転がる。

 針が振れる。

 判定表と突き合わせる。


 直撃。


 演習係が、事務的な声で告げた。


「敵戦艦一隻、撃沈判定」


「よし!」


 ワトホートの顔が輝く。


 演習ルールにしたがって、

 侵攻側の視界に「観測情報」が一つ追加される。


「観測結果:新型戦艦の砲撃は、従来型戦艦を一撃で轟沈させうる」


 以後、侵攻側は、「ローズベルト級を、従来型と同じとは扱わない」ことが許される。


「……ふむ」


 参謀長は、無表情のまま、手元の暫定性能表に小さく印をつけた。

 そこから先の侵攻側の動きは、急に冷静になった。

 ローズベルト級の正体は分からない。

 だが、「まともに撃ち合う相手ではない」ことだけははっきりした。


 敵艦隊は、射線をできる限り切りつつ、従来型二隻のほうを重点的に叩き始める。

 ワトホートも必死に応戦するが、従来型二隻の装甲では、五隻の集中砲火を受け止めきれない。

 一隻、二隻と痛撃を受け、やがて、盤上の「当方戦艦三」のうち、ローズベルト級一隻だけが残される形になった。


「くっ……!」


 その時点で、敵戦艦数はまだ四。

 湾内戦力比は「1:4」。

 援軍判定が動く前に、王都への侵攻条件が満たされてしまった。


 一隻は確かに沈めた。

 だが、戦局としては惨敗だった。


「第一戦、侵攻側勝利」


 演習係の声が、静かに響く。

 ワトホートは、歯を食いしばった。


「一隻は、沈められたのだな」


「はい。ただし、二隻目以降は、徹底的に警戒されたということになります」


 参謀長は、ルールに従って、敵側に二つ目の観測情報が開示されたことを説明した。


「観測結果:新型戦艦は、極めて高い防御性能を有する。砲撃による損害は、ごく限定的。」


 ローズベルト級の「強靭」、実質的な「ダメージ無効」が、敵指揮官に伝わった瞬間だった。


「侵攻側にとって、ローズベルト級を相手にする利益は、ほとんどありません」


 参謀長の言葉は、突き放すようでいて、実際にはただの事実陳述だった。


 史実でも、一隻目の敵艦は昼のうちに沈んでいる。

 その時点で、敵側は「何かがおかしい」と感じ、以後、ローズベルト級への接触を極端に避けた。


 夕陽を浴びながら爆沈する二隻目。

 あの場面は、「一度きりの好機に血眼で食らいついた」結果だ。


「……あれをやれと言われてもな」


 ワトホートは、実感を込めて呟いた。

 挿絵よりも、実際の条件を知れば知るほど、あの一撃の異常さが際立っていく。


 自分は、今、一隻沈めたところで満足している。

 ネルソンは、二隻目を落とした瞬間すら、「まだ足りない」と見ていた。


 その差が、じわじわと胸を締め付けた。



 ●二戦目:「近づけば、警戒されないのでは」


 第二戦目に入る前に、盤面は完全にリセットされた。

 侵攻側の新型艦に関する情報も、ルール上は「失われた」とみなされる。

 また一から、「従来型と同程度」という暫定評価で操作を開始する。


「では、第二戦。条件は第一戦と同じく、新型艦の情報は未開示から始まります」


 参謀長の説明に、ワトホートはうなずきながら、頭の中で新たな仮説を組み立てていた。


 一隻目で異常な撃沈を見せたから、二隻目から徹底的な警戒が入った。

 ならば、こうすればいいのではないか。


「なあ、参謀長」


「はい」


「もし、だ。ありえない威力の主砲で敵艦を沈めたことが、警戒の要因だとすれば――」


 ワトホートは、机を指で叩きながら続ける。


「通常の戦艦でも、直撃したら撃沈しても仕方がないと思える至近距離から、直撃弾を叩き込んだ場合はどうなる?」


 参謀長は、黙って聞いている。


「敵は、おかしいとは思わないのではないか?まあ、あそこまで近づけば沈むだろう、と。つまり、危険性判断が発動しないのではないか、ということだ」


 至近距離なら、無敵であることがバレない。

 理屈としては、一応筋が通っている。

 だが、それはそれとして、あまりにも危ない。

 参謀長は、その危険さを理解しながらも、あえて肯定も否定もしなかった。


「試してみる価値があるかどうかは……閣下のご判断かと」


 ワトホートは、満足げに頷く。


「よし。第二戦は、それでいく」


 第二戦が始まる。


 ワトホートは、ローズベルト級を、第一戦以上の勢いで前に出した。

 近づけばいい。

 至近から撃てば、誰だって沈む。

 なら、あれは異常ではなく、当然の結果として処理される。


 演習ルール上、確かに「直撃による撃沈」が、すぐに異常判定を引き起こすとは限らない。

 しかし、侵攻側の参謀たちも、馬鹿ではない。


「戦艦に、そこまでの接近を許すはずがありません」


 参謀長は、内心でそうつぶやきつつ、自軍の駒を進める。


 ローズベルト級は「強靭」ゆえに沈まない。

 だが、従来型の二隻は、接近戦の前に、やはりバタバタと脱落していく。


 そして何より、その戦い方は、ローズベルト級の「輝き」をすべて殺してしまう、最大級の愚策だった。


 ネルソンが見つけたのは、「無敵」「強靭」を危険視させながらも、交戦を成立させる運用法だ。


 ワトホートの第二戦は、その逆をやろうとしている。


「無敵」を「普通」に見せかけようとして、自分から最大の持ち味を投げ捨てている。


 案の定、二戦目も、ローズベルト級が一隻も沈められないまま、他の戦力がすべて失われ、王都への侵攻条件が満たされた。


 援軍が来る前に、盤上戦力だけで終わる敗北。


「第二戦、侵攻側勝利」


 ワトホートは、盤面から目を離せなかった。

 まだここで負けても、やり直せる。

 何度負けても、参謀長は笑って次の局面を用意してくれる。

 最悪、一度も勝てなくても、誰かが「努力はしていた」と証言してくれるだろう。

 ネルソンには、それがなかった。


「ここで負けたら、国がなくなる」


 その前提で、彼は一度きりの実戦ガルダを戦った。


 二戦目を終えて初めて、ワトホートは、その「一度きり」の重みを、自分の鼓動の速さに重ねて感じ始めた。



 ●三連敗と背水の陣


 第三戦も、結局、似たような結末だった。

 ワトホートは手を変え品を変え、全力でローズベルト級の運用法を探ろうとした。

 湾内の位置取りを換え、僚艦の配置をずらし、機雷原のように小艦艇を散らしてみたりもした。


 だが、援軍到達条件が発動する前に、毎回、王都侵攻条件を満たされてしまう。


 敵戦艦は沈む。一隻のみ。

 しかし、その代償として、こちらの戦力も削り切られ、「撤退判断」まで届かない。


 三連敗。


 演習室に、重い沈黙が落ちた。


 ワトホートは、英雄ネルソンとの果てしない差を、嫌でも思い知らされていた。

 自分は、十回負けようが、二十回負けようが、それでも再戦を請求できる。

 ネルソンは、一回の敗北で「海軍の終わり」と「王国の終わり」を同時に抱えていた。


 何か賭けなければ、ここで「同じ盤」に座る資格すらないのではないか。


 その思いが、彼の口を勝手に動かした。


「……四戦目だ」


「はい」


 参謀長が準備を整えようとした、その時。


 ワトホートは、突然、椅子から立ち上がった。


「この一戦で敗北したら」


 参謀たちの視線が、一斉に彼に向く。


「私財で、参謀団全員に、限りなく高い肉を奢ろう」


「は?」


 参謀長の口から、珍しく素の声が漏れた。


「このエイブバリー・ワトホート、貴族の誇りに懸けて、王都でもそう目にすることのない最高級の牛肉と葡萄酒を、たらふく用意してやる」


 演習室がざわつく。


 ワトホートなりの「背水の陣」だった。


 国を賭けることなど、許されない。

 だが、自分の財布ぐらいは賭けられる。


 高級牛肉と葡萄酒。

 軍港の酒場で聞けば、下士官たちが夢のように語る贅沢品だ。

 それを「たらふく」という単位で約束するあたり、確かに貴族らしい。


 参謀長は、しばらく彼の顔を見つめ、やがて小さく笑った。


「……承りました。そのような宣言に、我々が異を唱える道理はございません」


「よし!」


 ワトホートは、再び席に座り直した。

 拳がわずかに震えている。


 自分でも分かっている。

 財布の中身と、王国の命運が、本当は天秤に乗っていないことは。


 それでも、「何も賭けない」のとは、気持ちの張り方が違った。


 この一戦で負けたら、自分の家計はしばらく壊滅する。

 贅沢もできず、甥や姪に土産を買う余裕もなくなるだろう。


 それぐらいでガルダの重みを語るな、と笑われるかもしれないが。

 それでも、彼なりに「退路を断つ」覚悟を形にした一歩だった。


 四戦目が始まる。


 ……三十分後。


 ●四戦目


「第四戦、侵攻側勝利」


 演習係の宣言に、ワトホートは、椅子の背にもたれるようにして天井を仰いだ。


「私の財布が、滅亡した……」


「……最高級ステーキ付き講和会議、近々開催、ということになりますな」


 参謀長の、ほんの少しだけ楽しげな声。


「ふ、ふん……!」


 ワトホートは、悔しさと諦めと僅かな誇らしさが混じった顔で、口角を無理やり上げた。


「……よかろう。貴族の約束は違えん。好きな葡萄酒の銘柄があれば言え。合わせて取り寄せよう。敗戦講和は痛みを伴うと相場が決まっている。ネルソンが五分に戻した局面を、私は十で引き受けるのだ」



 次の月、「ワトホート邸最高級ステーキ付き敗戦講和会議」の席で、参謀団がどんな顔をしながら肉を食べるのかは、また別の物語である。

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