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第四話 理論上、この一食で全ての健康を実現することができる

 1. ガラスの前で


 やっと、会えた。


 そう思った瞬間、自分で苦笑した。

 会う、ってなんだ。相手は紙切れだ。もう百五十年も前のインクだ。


 でも、軍服のコスプレで敬礼するよりは、この「会えた」という感覚の方がよほど自分らしい、とも思う。


 ガラスの向こう、黄ばんだ紙の中央に、あの一行。


「理論上、この一隻で全ての敵艦を沈めることができる。」


 ああ、本物だ。

 写しや複製で何度も見たのと、インクの滲み方が違う。

 字の太り方、ペン先が一瞬止まった跡みたいな小さな濃淡。

 この「ここ」に、ネルソンがペンを置いて、ほんの一拍、迷って、書き切った。


 ガルダ湾の図面が、脳内で勝手に展開し始める。

 敵戦艦十一。うち五がガルダ方面。

 こちらの戦艦は二。残りは疲弊した巡洋艦と駆逐。

 補給線は食い尽くされかけ、士気はすり減り、 「死神」と呼ばれた奇病の影が、当時の世界中の艦隊の背後にべったり張り付いていた頃。


 自分は知っている。

 この後、ネルソンがどう艦隊を動かしたか。

 どのタイミングでジェネラル・レビル号を前に出し、どこで「殴り合い」を成立させたか。

 でも、それはぜんぶ、「答えを知っている側」の贅沢だ。


 ネルソンはこの紙の前で、「答えを知らない」状態からここに到達した。

 それを思うと、ガラス一枚挟んでいても、こっちの背中の皮膚がひりつく感じがする。


「強靭・無敵・最強」


 隣の解説文の、その三語に視線を走らせるたび、毎回うっすら苛立つ。

 なんだよそれ。設計思想を名乗る文章じゃないだろう。

 中学生の落書きか、国粋主義ポスターか。


 ……そう思うたびに、苦笑いに変わる。


 ネルソンは、そこから始めたんだ。

「ふざけるなよ」と思いながら、ひたすら計算していって、「ふざけているのは言葉じゃなくて、現実のほうだ」と認めざるをえなくなった。


 疑えば疑うほど、三単語が裏付かれてしまう。


「強靭」は、本当に強靭。

「無敵」は、マジで無敵。

「最強」は、砲門数・口径・装填速度を積分すれば、たしかに当代最強。


 だからこそ、「理論上、この一隻で全ての敵艦を沈めることができる」というふざけた一行が、笑い話としてしか書けない真実になってしまう。


 俺はそこまで計算してない。

 資料は読んだけれど、紙とペンで自分の手を黒くしたことはない。

「ネルソンがやった作業を追体験する」なんて、とても言えない。


 俺にあるのは、「ネルソンがやった“後”を安全地帯から眺めている」という感覚だけだ。


 だから、ガラスの向こうの一行を、「分かる」なんて言ったら、嘘になる。


 でも、「分からない」と言うのも、逃げだと思う。


 じゃあ、せめて「この一行の“温度差”だけは、見つめ続けていたい」と思う。


 ネルソンが笑いながら書いて、書き終えたあと、


「何やってんだろうな、俺」


 と呟いた、その恥ずかしさと怖さと覚悟の入り混じった温度差。


 このガラス一枚の距離の中で、それだけを受け取りに来た。



 2. チョコとカレーと「入口」


 展示室を一旦追い出されて、ミュージアムショップを通る。

 ネルソン名言チョコが山積みになっている。

 17枚入り、うち15枚が史実として裏付けられている。


「一天四海、無敵無双!国賊ネルソンここに見参!」


 あれを最初に記録で見つけたとき、吹き出しかけた。

 当時流行っていた海賊譚、「海賊エドワード伝説」の主人公の名乗り口上に、「国賊」だけ差し替えたやつ。

 よりによってそれを、海軍監修のチョコに刷るのか。

 しかも、処分記録に残ってる、厳重注意案件の正式文言をだ。


 担当教官、よく擁護してくれたな……。


「一天四海ということは、少なくとも“海の戦士としての自覚はある”から、酌量の余地あり」。

 あの一言がなければ、ネルソンの懲戒はもっとエグかったはずだ。


 史料オタクとしては、創作混じりの名言も二枚、ちゃんと把握している。


「名将は常に勇者に微笑むものである」


 これは、ネルソンがレビル将軍に対してそんな軽い言い方をするはずがない。

 レビル評に関しては、とことん慎重だった人だ。

 兵力損耗に神経質だったレビルの実際の性格とも合わない。


「我に追いつく艦影なし」


 ガルダ海戦の状況を知っていれば、絶対におかしい。

 五隻中三隻沈めて、残りは逃げてる。

 最終盤はむしろ、ネルソン側が「領海から出るまで追い回した」側だ。


 まあ、でも、この二枚が紛れてるのも、「らしい」んだよな。


 海軍が本気でリサーチしてるのは分かってる。どちらも出典の小説が特定されているほど、有名なネタだ。海軍が考証を間違えるわけがない。

 あえて二枚だけ、怪しいやつを残している感じがする。


「あの日の馬鹿ガキの口上と、“理論上、この一隻で全ての敵艦を沈めることができる”を書いた大人が、同じ人間なんだってことを、遊び半分で示したかったのかもな」


 そう考えると、「全部きれいに真実だけ」という展示より、このぐらいのノイズはむしろありがたい。


 自分には、もうこのチョコは要らない。

 でも、これきっかけでネルソンにハマるやつが一人でも出てくれば儲けものだ。


「ネルソン名言プリントチョコ、お願いします!」


 レジに並ぶ子どもの声が聞こえてきて、思わず口元がゆるむ。

 入口は、甘くて派手で、それでいい。


 軽食コーナーで、あの親子がシーフードカレーを嬉しそうに食べているのが見える。


「海軍ランチセット」。

 名前からしてフィクションの味しかしないけれど、今日のは、見た目も匂いもちゃんとうまそうだ。


 ネルソンの時代は、壊血病の原因なんて分かっちゃいなかった。

 ビタミンだのなんだのという言葉も存在しない。

 経験的に「このくらいの期間を航海すると、あれが来る」とだけ知られていて、だから「死神」と呼ばれた。


 ガルダは領海だし、ネルソン艦隊からは発症者は出ていない。

 記録によれば、むしろ敵側に小規模な発症例が残っている。


 ……初めて知った時は、震えた。


 敵は完全勝利目前で、余裕から兵糧が贅沢になっていた。

 結果として、偶然にも栄養が足りていた。

 さらに、撤退の決断を“航行能力が無事なうち”に下したため、本格的に発症する前に帰港できた。


 その、「経験則よりも壊血病が少なかった」事例が、後世の原因解明のヒントになった。


 ネルソンは、その時、そのことを知らない。

 俺は、知っている。


 戦闘糧食が開発されるまでの百数十年、何万人もの海兵が、死神に歯を立てられて倒れていったことも、知っている。


 だから、このアルミプレートに盛られた、どう見てもまずそうな塊の意味が、他の来場者が感じるより、たぶんずっと重い。


 3. 戦闘糧食を「非加熱」で


 カウンターで注文するとき、「非加熱でお願いします」と言った瞬間、店員さんの表情が一瞬固まった。


「あの……冷たいままですけど……?」


「現場と同じ状態で味わってみたくて」


 ああ、言い方が危ない。完全にミリオタのテンションだ。

 でも、ここはそういう場所だ。許してほしい。


 テーブルに運ばれた戦闘糧食は、見た目からして「人道的偉業」とは程遠い。

 色も匂いも、限界まで「栄養効率」に振った結果なんだろうな、という諦観が漂っている。


 フォークを刺して、一口。


 ……うん。試食イベントに来たコメディアンの、「ディストピアの刑務所メシ」が言い得て妙だ。

「憲法違反の味」も「苦役」も「兵が蜂起する未来が見える」も、どれも大げさじゃない。


 あの現場のコメディアンは、ちゃんと自分の舌で確かめて、それをネタに昇華したからこそ偉い。


 一方で、「こんなものを食べるのは実質敗戦」とか言っちゃった政治家は、ほんと馬鹿だと思う。

 このプレートの意味を理解してたら、絶対に出てこない台詞だ。

 フォローに走って必死で完食したコメディアンの、「今日のギャラは国家の平和ぐらいじゃないと割に合わない」は、半分ぐらい本心だったのだろう。


 これ、「理論上、この一食で全ての健康を実現することができる」なんだよな。


 海軍が最初にこのキャッチコピー出したときは二度見した。

 あまりにも在庫が売れなかったらしく、あまりにも露骨な「メモ」パロディ。

 さすがに不敬論争になったけど、「ネルソンなら絶対に爆笑する」ということで決着したらしい。

 どんな人柄だよ。仮にも救国の英雄じゃないのか。


 まあでも、正直、俺もそう思う。


「理論上、この一隻で全ての敵艦を沈めることができる」を 笑いながら書いた人間なら。

「理論上、この一食で全ての健康を実現することができる」っていうコピーを見て、間違いなくニヤニヤする。


 この戦闘糧食には、「ローズベルト級みたいな尖った信頼性」がある。

 味覚と精神を度外視すれば、本当に365日これ3食と水があれば、壊血病どころか、栄養面の問題は一切起こらない。

 普段はそんなことをしないけど、海軍の訓練として、一週間ずっと戦闘糧食だけを食べるプログラムがあると聞いたときは、若気の至りで志願しなくてよかったと思ってしまった。


 いろんな輸送手段が封じられ、艦が孤立し、現地調達も断たれたとき、「とりあえず、この箱が積んである限り、栄養は足りる」という保証。

 兵糧攻め対策そのものだ。


「最大の敵は、慣れるまでの完食の難しさ」という解説、ほんと笑えない。

 今も俺、口の中の水分がもっていかれ続けている。


 インドア派の一般人が365日これだけ食べたら、カロリー過多で普通に死ぬ、ってのも皮肉が効きすぎだ。

 海兵の消費カロリーを前提にしてるから、当たり前なんだけど。


 でも、そんな「尖った信頼性」が、壊血病という死神を海から追い出した。


 ネルソンの時代、ガルダ湾にいた彼らは、この味も、この信頼性も知らない。

 ただ、自分たちの体力と士気と、運と読みと、敵国側の「死神の機嫌」に賭けていた。


 一方で、今の海兵たちは、このまずい固まりを「味わいながら」笑い話にできる。

 例の政治家は選挙で落ちたらしい。当たり前だ、コメディアンが全力で用意してくれた票田を焼き払って、海軍のイベントに来てる客の前で海兵を下げた挙句「敗戦」まで行った。落ちないほうがおかしい。

 この味を笑い飛ばしながらも、必死で噛みしめている人たちがいる。


 だから、「まずそうな飯を嬉しそうに食ってるオタク」という視線を隣のテーブルから感じても、ちょっとだけ肩をすくめるだけで済ませる。


「あっちのカレーは、うまそうでいいな」


 そう思いつつ、この無機質な塊を咀嚼する。

 これはこれで、俺にとっては「聖地の砂」だ。


 ネルソンが知らなかった安全策。

 壊血病のない海。

「強靭・無敵・最強」と同じぐらい頭の悪いコピーを、笑い話にできる平和さ。


 それらに敬意を払うなら、このプレートぐらい、完食してからまたガラスケースに戻りたい。



 4. 貴族士官の二十分を祝福する


 午後一時前、係員に促されて展示室を出るとき、「午後一時から二十分間、特別貸し切り」という看板が出された。


 貴族士官の見学らしい、と耳にする。


 ネルソン級に乗る誰かだろうか。

 あるいは、その親族か、軍務に関係する上層か。


「……いい時間になりますように」


 心の中でそう呟いている自分に気づいて、ちょっと笑う。


 貴族士官がピンキリであることぐらい、知っている。

 歴史上「やらかした貴族」なら、山ほどいる。


 それでも、「ネルソン級の上に立つ」という一点だけで、その二十分の時間を祝福したい気持ちがある。

 あのガラスケースの前で、ネルソンの一行と、一人で向き合ってくれればいい。


「理論上、この一隻で全ての敵艦を沈めることができる」


 この一文を、かっこいいとだけ受け取るのか、怖いと感じるのか、笑うしかないと思うのか。


 どんな受け取り方でもいい。

 ただ、自分の中にちゃんと「温度」を生んでほしい。


 そういう意味で、「二十分貸し切り」は、とても贅沢で、いい企画だと思う。


 展示室にあふれる雑音の中で、この一文とだけ向き合うのは、なかなか難しい。

 人の気配や足音や、ガイドの声が、どうしても邪魔をする。


 だから、この時間は、この国の海にとって、たぶんちょっとだけ大事な二十分なんだ。


「俺の分まで、ちゃんと震えてこいよ」


 そんなことを偉そうに思いながら、まずい戦闘糧食を噛み続ける。

 口の中は砂漠みたいだが、不思議と幸福感がある。


 ネルソンが命を削って手繰り寄せた「勝ち筋」の先に、今の海軍の「死なないための技術」がある。

 そのどちらも抱えて、ネルソン級に乗るやつらがいる。


 それなら、戦闘糧食一食分くらい、今この平和な展示館で飲み込むぐらいの苦役は、安いものだ。



 5. 再びガラスの前で ― 「分かる」とは言わないために


 午後一時半。

 貸し切りが終わり、また展示室に入る。


 さっきまでの貴族士官たちの気配は、もう残っていない。

 ガラスケースに、微かな指紋がいくつか増えたくらいだ。


「理論上、この一隻で全ての敵艦を沈めることができる」


 あの人は、どう読んだんだろうな。


 ガルダ海戦の推移を白紙から書ける自分でさえ、この一行の「本当の重さ」を理解しているとはとても言えない。

 俺が知っているのは、「史実」であって、「当事者の夜」ではない。

 ネルソンがこの一行を書いた後、「何やってんだろうな、俺」と呟いて、その言葉が医療班に申し送りされた、という記録も知っている。

 その時点で、周囲が彼の精神状態を警戒していたことも、知っている。


 でも、「その瞬間の感情」を、俺がなぞれるわけじゃない。


 だから俺は、「分かる」とは絶対に言わない。


 代わりに、「分からない」とだけ言って終わらせるのも、逃げに感じる。

「分からない」を免罪符にして、この一行を眺めるだけの観光客になってしまう。

 だから、自分なりの「線」を引く。

 俺は、あくまで「結果を知っている側」だ。

 机の上でガルダ海戦を解き直すとき、ネルソンが既に踏み抜いてくれた地雷原の跡を、ぱっと見て「ここは通っていい」「ここは行ったら死ぬ」と判断できる側。


 だから、この一行の「輝き」は、俺にとっては、もうだいぶ減衰して見えているはずだ。

 それでも、その減衰した光を、こうして一日かけて凝視し続けることぐらいなら、できる。


「ネルソンが見ていたローズベルト級の輝き」は、おそらく、今の自分がどれだけ身を乗り出しても、

 同じ眩しさでは掴めない。


 当時は壊血病に怯え、敵の死神と自国の死神と、両方の足音を感じながらこの一行を書いた。

 今の俺は、壊血病のない世界で、「理論上、この一食で全ての健康を実現することができる」なんてコピーを笑い飛ばしながら、冷たい戦闘糧食を食べている。


 その距離感は、埋められない。


 でも……埋めようとしないまま、ただ「聖人化されたネルソン像」に甘えるのは、もっと嫌だ。


 ネルソンは、聖人じゃない。

「国賊ネルソンここに見参!」って名乗った悪ノリの延長線上で、国宝メモを書いた人間だ。


 その「振れ幅」ごと好きだから、俺はこの一行を前に、「分からない」とだけ言って立ち去るのは嫌なんだと思う。


 俺にできるのは、多分、こういうことだけだ。


 史実をできる限り正確に覚えること。

「結果を知っている側」である自覚を絶対に手放さないこと。

 それでも、「あの夜の先」に続く現在の技術や艦や兵糧を、ちゃんと敬うこと。

 ネルソン級に乗る誰かの二十分を、勝手に祝福すること。

 そして、ここに来たときには、一回は戦闘糧食を完食してから、このガラスの前に戻ること。


 そうやって、自分なりに「線」を引いておく。

「分かる」と言わないための、最低限の線。


 ガラスケースの向こうのインクは、今日も乾いたままだ。

 壊血病のない海と、ネルソン級の速力と、イベント会場のまずい飯と、子どもが嬉しそうに食べるカレーと。


 その全部を抱えた「今」から眺めていることを、ちゃんと自覚し続ける限り、俺はこの一行を前に立ち続けていい。

 そんな風に、自分を許すために、今日ここに来たのかもしれない。

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