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第二話 「国賊」ネルソン

 1. 若き「国賊」の大言


 この国では、名将レビルの名は、ひとつの尺度であった。


 将官クラスが「私はレビルを超える英雄だ」と言えば、その場の空気は凍りつき、正気を疑われる。

 だが、新兵が同じことを口にしても、教官たちは笑って受け止める。


「レビル将軍も、新時代に期待しておられるであろう。貴様には特別課程を用意してやりたいところだが、あいにく我らに名将を育て上げる器はない。自ら律することを期待する」


 野心を、笑いとともに抱きとめる――それが海軍の文化だった。


 若き日のネルソンも、その一人である。

 海軍学校を出たばかりの新米士官は、酒場の片隅で大口を叩いた。


「かの名将レビルを範として、そこに辿り着く存在になる」


 一同、腹を抱えて笑う。


「おいおい、お前、分かって言ってるのか」


 友人の一人が、グラスを掲げて言った。


「レビル将軍に匹敵する武勲ってのはな、その武勲が必要になるほどの国難ってことだぞ。お前が“レビル級”になるってのは、国難の到来を祈ってるようなもんだ」


 その日から、ネルソンにはあだ名がひとつ増えた。


 ――国賊。


 本人は気にするどころか、その名を気に入ってしまう。


「おう、“国賊”がお通りだ。レビル将軍にご足労願わんで済むよう、自力で何とかしてみせるさ」


 自分でそう名乗っては教官に怒られ、懲戒記録には、後の数々の勲章に先立って「厳重注意」の文字が一行だけ刻まれた。


 のちに国を救う大提督は、その一行を、密かな誇りとして生涯忘れなかった。



 2. ローズベルト級「ジェネラル・レビル号」


 やがて、本当に“レビル級”の国難が訪れる。


 敵国の旗が海峡を埋め、味方の港は次々と赤く染まり、地図上の海は、敵艦隊の色に塗り潰されつつあった。


 そんな中、工廠の奥深くでは、一隻の怪物が生まれようとしていた。


 ローズベルト級戦艦一番艦。

 その艦名は、建造前から決まっていた。


 ――ジェネラル・レビル号。


 二代目となるその戦艦は、当時としては最高峰の砲門と、厚く重ねた装甲を誇っていた。


 ただし、代償も大きい。

 重すぎる砲と鋼板は、艦を鈍重にし、速力を奪った。


 殴り合いになれば無類の強さ。

 だが、敵が殴り合いを避けて逃げれば、追いつけない。


「敵がレビル将軍の威光に怯え、逃げ出してしまう」


 建造中止を唱える者たちは、そんな皮肉を口にした。

 名将への不敬を避けるための“婉曲な反対論”である。


 戦局は悪化の一途を辿り、「こんなものを完成させる余裕がどこにある」という声が、日ごとに強まっていく。


 それでも、ローズベルト級一番艦は、奇跡的に竣工まで漕ぎつけた。

 誰もが、もはやその巨体を“棺”としか見ていなかった頃である。



 3. 国賊の狂気


 ネルソンは、その頃、資料庫の闇の中にいた。


 敗戦の報が増えるたびに、彼はさらに深く書庫に潜り、機密指定の設計図と戦術報告を、血眼になって読み漁った。


 ある夜、彼は分厚い製本の一ページにペンを止める。


 ――ローズベルト級戦艦、理論上の戦闘持久力と砲撃性能について。


 そこに列挙された数字を見て、ネルソンは静かに計算を始めた。


 一対一の殴り合いなら、これに勝てる艦は存在しない。

 同時代の主力艦複数に囲まれても、至近距離の撃ち合いであれば、最終的に浮いているのはジェネラル・レビル号だけ――という結論になる。


 補給を度外視し、すべての戦闘が「殴り合い」になると仮定した時、ある“狂気の一行”が、紙の上に浮かび上がった。


 ネルソンは、後に国宝となるたった一行のメモをしばらく見つめ、やがて、乾いた笑いをこぼした。


「理論上、か」


 その足で、彼は執務室を出た。

 部下たちは、目の下に隈をつくり、どこか憔悴した表情の提督を見て耳打ちする。


「提督がとうとうおかしくなられた。ジェネラル・レビル号を前線に出せと仰っている。医療班を――戦艦よりも先に医療班を呼べ」


 だがネルソンの目は冴えていた。

 狂っていたのは、戦局のほうだ。


「ジェネラル・レビル号を、即時前線配備していただきたい」


 本部に上申されたその要求は、一部で嘲笑を招いた。


「名将の艦で自らを飾り立てたいだけだろう」


 だが、もはや誰も、まともな「別案」を持っていない。

 敗戦と亡国の未来が、誰の目にも見えていた。


 海軍本部は、半ば投げやりな覚悟を添えて、こう告げる。


「――それで貴官の気が済むのなら、好きにしたまえ。なお、貴官の後任はいない。提督としての地位は、戦果にかかわらず保障される。進退については心配無用」


 紙の上だけ見れば、それは“免責”にも等しい台詞だった。

 だがネルソンは、それを一種の遺書として受け取った。



 4. 鈍足の一騎当千


 艦隊戦は、相対速度の戦いである。


 こちらが高速で追えないなら、敵が高速で突っ込んでくるように仕向ければよい。

 足りない艦速は、作戦と読みで補えばよい。


 紙の上で「理論上」と記された狂気を、現実に引きずり出せる者が、この世にただ一人いるとすれば、それは、若き日に「レビルに並ぶ」と笑われ、「国賊」とあだ名された男だった。


 ジェネラル・レビル号は、その巨体で海を押し分ける。

 ローズベルト級の側に立つ者だけが、その鈍重さの裏に潜む「一騎当千」の意味を知っていた。


 ネルソンは、敵艦隊の配置と速度、これまでの交戦記録と指揮官の癖、補給線の制約と政治的圧力、そのすべてを、ひとつの盤上に重ね合わせた。


「敵は我々を追い詰めていると信じている。ならば、その自信を利用してやればいい」


 ジェネラル・レビル号は、あたかも“ここしか通れない”とでも言うように、あえて鈍重な進路を辿る。

 敵から見れば、確かに“逃げ場のない大砲の塊”がそこにある。


 ――そこから先は、殴り合いの世界だった。


 敵の主力艦が、油断と勝利への焦燥に背中を押されて突っ込んでくる。

 その瞬間だけでよい。

 ただ一度、ジェネラル・レビル号の正面にその姿を晒せばよい。


 厚い装甲は、致命傷を拒む。

 大口径砲は、一撃ごとに敵主力艦の名前を海図から消してゆく。


 逃げ出す敵艦隊は、ジェネラル・レビル号の鈍さを見て方向を変える。

 ネルソンはその「転進の角度」さえ読み、あらかじめ僚艦を潜ませていた。

 逃げ場を変えたつもりが、新たな待ち伏せの射線に飛び込んでくる。


「ローズベルト級は、殴り合いを約束してくれる」


 ネルソンは後年、静かにそう語っている。


「ならば、殴り合いの場所と時刻を、こちらで決めてしまえばよい」


 紙の上では狂気の一文だった「この一隻で全ての敵艦を沈められる」という理論は、現実には、「すべての決定的な場面で、この一隻を相対させる」という形で実現された。


 ネルソン自身が、ローズベルト級そのものであった。

 欠陥と強みを知り抜き、その重さごと前へ押し出していく意思。


「それでも、まだいくつか負け筋は残っていた」


 戦後、彼はそう振り返っている。


「しかし、“そうなればどうしても国がなくなる”筋だけは読まなかった。考えても変えようのない地獄になど、思考を割く暇はない。“勝てるとしたらこうするしかない”にだけ頭を使った」


 その削ぎ落とし方こそが、ローズベルト級にふさわしい指揮だった。



 5. 英雄と「国賊」の剣


 絶望的と評された戦局は、やがて、信じがたい報告で塗り替えられていく。


 敵主力艦、次々沈没。

 侵攻艦隊、壊乱。

 首都陥落の報は来ず、国王の避難計画は、紙の上から一度も現実に降りてこなかった。


 ネルソンは、救国の英雄と讃えられるようになった。

 だが、彼自身はその肩書を、どこか他人事のように聞いていた。


「レビル将軍のお力添えを、少々お借りしただけですよ」


 国王が授与した剣には、秘められた意味があった。


 本来は、王自らが自刃を覚悟して用意していた一振り。

 敗北の暁に、王権の終焉を飾るはずだった鋼。


 それが今、「ネルソンがいる限り、これは必要ない」との言葉を添えられ、大提督の手に渡る。


 ネルソンは深く一礼し、その重みを黙って受け取った。


 その夜、古い友人たちと杯を交わしながら、彼は笑って言った。


「私のような国賊が、過ぎた名誉を受け取るわけにもいくまいがね」


 一瞬、座が凍りつく。


 若き日、酒場で軽口を叩き合い、「レビル級の武勲は国難だ」と囃し立てて、彼に「国賊」というあだ名を貼り付けた同僚たちが、そこにいたからだ。


 ――あれは、冗談だったはずだ。

 ――彼自身も面白がって、自ら名乗っていた。

 ――その言葉が、現実になった日を、我々は目撃してしまった。


 ネルソンだけが、その緊張に気づいていないかのように、朗らかに笑っていた。


「いや、本当に。私は国賊ですよ。名将レビルに匹敵する武勲を挙げるには、その武勲が必要とされるほどの国難が要る。私の願い通り国難が来てしまったわけだ」


 彼の賞罰歴には、今もただ一つ、勲章たちに先立って「厳重注意」の文字が残っている。

 若き日の「国賊」自称癖に対する、教官の最後の情けである。



 6. 名を辞退し、名を刻む


 戦後、国王はネルソンに新たな栄誉を与えようとした。


 建造中の新戦艦一番艦に、「アドミラル・ネルソン」の名を冠する。それは、レビル将軍に次ぐ英雄にのみ許される提案だった。


 ネルソンは、静かに首を振る。


「古今無双の名将レビルと並び立とうなど、不敬の極み。身に余る重荷は、どうかご容赦願いたい」


 レビルと同じ形式の称号を持つことを、彼は全力で拒んだ。

 その謙遜は、やがて逆説的に、彼を「レビルに次ぐ英雄」として位置づけることになる。


 数十年後、第三代「ジェネラル・レビル号」の建造計画が立ち上がった時、海軍と王室は、ひとつの答えを出す。


 ――艦種名を「ネルソン級」とする。

 ――その一番艦の艦名を「ジェネラル・レビル」、二番艦を「ネルソン」とする。


 こうして、名将レビルの名は、いつものようにただ一隻の戦艦にだけ刻まれ、ネルソンの名は、艦種名として時代を越えることとなった。


 ネルソンは、その決定を草葉の陰で聞きながら、きっとあの日と同じように笑っただろう。


「私のような国賊に、ついに艦種まで与えるとは。レビル将軍も、さぞや呆れておられるに違いない」


 だが、海軍の誰もが知っている。


 ローズベルト級二代目ジェネラル・レビル号を、文字通り“理論上の狂気”から“現実の勝利”へと変えたのは、他ならぬあの「国賊」だったことを。


 そして、三代目ジェネラル・レビル号を載せたネルソン級戦艦が海を行くとき、その船底で低く唸る新型機関には、「提督の御力添え」という、静かなあだ名が付けられていることを。


 それは、ローズベルト級の欠陥を抱きしめ、なお勝利を引き寄せた男への、遅すぎる褒章だった。

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