第9話「約束の火の中で」
燃える屋敷の中、少女はただ走っていた。
髪は灰にまみれ、ドレスの裾は炎に裂かれていた。
それでも、彼女は叫び続けた。
「お願い……!また、あなたに……!」
その声が、燃え盛る瓦礫に飲まれていく。
俺――加瀬透は、ただその夢を見ているしかなかった。
夢の中で、俺はいつも傍観者だ。
誰かの未練、誰かの願い、誰かの終わり。
それを、ただ“視るだけ”。
でも、今回は妙に引っかかった。
叫んでいた彼女の声だけが、ずっと胸の奥に残っていた。
転校生が来たのは、数日後だった。
霧島 灯。
長い黒髪、整った顔立ち、古風な言葉遣い。
それでいて、どこか遠くを見つめるような目をしている。
人の輪に混ざらず、図書室の隅や廊下の端で、誰にも気づかれないように佇んでいる。
俺が初めて彼女に声をかけたのは、放課後の図書室だった。
「……加瀬透くん?」
「……知ってるの?」
「夢の中で、名前を呼んでた。あなたを、じゃない。……けれど、あなた“も”そこにいた気がするの」
彼女は静かに本を閉じた。指先が震えているのに気づく。
「火の中に、私はいた。誰かを探していた。間に合わなかった。届かなかった。それが、ただ、悲しくて……。」
俺は座り直して、まっすぐ彼女を見た。
「……夢、よく見るの?」
「子供の頃から。燃える建物の中で、私は誰かを待っているの。でも誰かの顔も、名前も、分からない。わかるのは、ひとつだけ。」
彼女は口を引き結んで、目を伏せた。
「“私は、誰かを愛していた”。」
その言葉が、部屋の空気を止めた。
彼女の“記憶ではない記憶”は、断片のまま、ずっと彼女の中で疼いているのだ。
俺は夢の中で見たことを話した。
燃える屋敷。崩れる柱。叫ぶ少女の声。
灯は、うつむいたまま、頷いた。
「やっぱり、あなただったんだね。夢を視る人。」
「……その声、間違いなく君のだったよ。」
灯はそっと目を閉じた。長い睫毛が震えていた。
「私ね、転校してきたの、家の都合だけじゃないの。」
「……うん?」
「探してたの。ここに来れば、“彼”がいるかもしれないって、根拠もないのに思ったの。」
「“彼”って、その夢に出てきた人?」
灯は小さくうなずく。
「忘れているの。でも、“再会しなければいけない人がいる”っていう気配だけが、いつも胸の中にあって……。」
「……怖くはなかった?」
「ずっと怖かった。けど、それ以上に……会いたかったの。」
沈黙が流れた。
“前世の記憶”を持つ者にとって、それは希望であると同時に、呪いにもなる。
思い出せない愛、忘れられない声、終われなかった物語。
彼女はその中で、ずっとひとりだった。
「じゃあ、探そう。」
灯が目を見開く。
「その“彼”がこの学校にいるかは分からない。でも、君がずっと探してきたなら、俺も手伝うよ。」
「……どうして?」
「夢を視るだけじゃ、報われないんだよ。俺も、何度も見た。終われなかった人たちを。だからせめて――“続きを始めるところ”までは、付き合う。」
灯は、ふっと微笑んだ。
「……ありがとう。そういうの、ひさしぶりに言われた。」
図書室の光が、彼女の横顔を淡く照らす。
燃える夢の中で叫んだ彼女は、今ようやく誰かに声が届いたのだ。
その夜。
俺は再び夢を見た。
燃える屋敷。倒れる梁。駆け出す少女。
そして今度は、はっきりと見えた。
彼女が探していた“誰か”の後ろ姿――
「……あれは……。」
目が覚める寸前、俺はその名前を言いかけて、飲み込んだ。
まだ、言葉にするには早い。
でも、分かってきた。
灯の夢の続きを、俺は知っている。
加瀬透、高校生。前世恋愛再生請負人、ただいま捜索中です。
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