第39話「伝わらなかった、けれど」
夢の中、縁側に腰掛ける老紳士がいた。
着物の襟を整えながら、静かに庭を眺めている。
背後から、子どもの声が響く。
「じいじ、ただいま!」
男はふり返らない。けれど目元が、わずかにほころぶ。
「……おかえり。」
その声には、深い愛しさがにじんでいた。
でも――
「……愛している、とは、結局……言えなかったな……。」
夢が終わる瞬間、男はそう呟いて、庭に咲いた花をひとつだけ見つめていた。
「加瀬くん、今朝も夢見たよ。またあの縁側の……あの人が出てきて。」
同級生の高瀬理久が、モーニングルーティンのように俺に話しかけてくる。
理久は人当たりが柔らかく、面倒見がいい。けれどどこか、常に“誰かを気にかけている”ようなまなざしがある。
「でさ、その夢に、昨日お前紹介してくれた槙野くんが出てきた。」
槙野涼は、俺のクラスメイト。理久とは違うクラスだけど、偶然文化祭の実行委員で接点ができた。
「なんか、俺がその子の手を握ってるんだけど、妙にぎこちなくて……でも離したくなくてさ。」
「恋愛じゃない、って感覚?」
「そう。……でも、ちゃんと“守りたかった”って気持ちがあるんだ。意味、分かんないだろ?」
俺は静かに首を振った。
「……それ、たぶん前世の記憶だよ。」
理久が少しだけ目を見開く。
前世で理久は、老いてから孤独の中でひとりの少年を引き取った。
血の繋がらない養子。でも、ただの保護ではなかった。
「守りたかった」「見届けたかった」「愛していた」
けれどそのすべてを、伝える手段を持たないまま、男は世を去った。
放課後、図書室の窓辺。
槙野がぼんやり空を眺めていた。
「……誰かに、見守られてるような気がするときがあるんだよね。」
「理久くんのこと、どう思う?」
「うーん……変な言い方だけど、すごく“懐かしい”。」
俺はふたりを、校舎裏の小さな庭へ誘った。
「ねえ、ひとつだけ芝居してみてくれない?」
「また、それ?」
「今回は、別れの場面。理久は“愛してる”って言いたい。でも、その言葉を持ってない人として、ただ立ってるだけでいい。」
理久は何も言わず、頷いた。
槙野は、ほんの少し間を置いて、口を開いた。
「……ちゃんと、生きてきたよ。」
沈黙。
そして理久が、そっと目を伏せながら言った。
「……それだけで、もう十分だよ。」
ふたりの間に、ほんの一瞬、季節が止まったような静けさが流れた。
加瀬透、高校生。
今日の仕事は、伝えられなかった“愛している”を、沈黙の中に宿らせることだった。
そしてその沈黙は、確かに誰かの心を温めていた。
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